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言霊のコンパイラ ~『バベルの塔』と失われた神の言(ロゴス)~  作者: 如月妙美


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第2章:闇のスクリプト ——脆弱性を突く文字列

2-1:秋葉原のデジタル・カオス

 季節は梅雨の入り口にあり、湿り気をたっぷり含んだ不快な風が深夜の秋葉原の路地裏を駆け抜けていた。  街を彩る巨大なネオンボードの明かりが、時折、通信エラーを起こした動画ファイルのようにマゼンタやシアンのノイズを激しく走らせ、数秒間だけ完全に静止する。雨粒がアスファルトに落ちる音さえ、時折「ザラ……ザラ……」という不快な砂嵐の音へと変質していた。大気そのものの密度が不安定になり、空気の摩擦係数さえもが、特定の地点で不安定に揺らめいている。

 徳永隆明と中尾玲子は、電気街の路地裏にある、廃業したネットカフェの地下へと足を踏み入れた。そこは、ダークウェブで密かに取引される「現実の脆弱性を突く文字列」を実証実験し、売買する非合法ハッカー集団『ロゴス・クラッカーズ』の巣窟だった。

 室内には、かつての繁栄を物語るように旧式のサーバーラックが所狭しと並び、冷却ファンの唸りが重低音の壁となって立ちはだかっていた。徳永は、ツイードジャケットの襟を立て、室内のカビ臭い空気と過熱したマザーボードから放たれる焦げ臭い排熱臭を、忌々しげに鼻で笑った。

「玲子、見ろ。あそこのゴミ溜めに群がっている連中から発信されているコードを。彼らは『言語』を単なる感情の伝達道具だと勘違いしているが、実際にはシステムのメモリ保護を突破するための汚いスクリプトだ。呪文なんてのは、原始的なハッキングコードの別称に過ぎない。発声すること自体が、この宇宙というメインフレームへのコマンド入力なんだよ。あいつらは、BIOSレベルで世界を書き換えようとしている無知な餓鬼どもだ。物理法則という名のセキュリティ・パッチを勝手に剥がそうとしていやがる」

 玲子は紺のスーツの袖を汚れから守るように慎重に引き寄せ、目元のナイトビジョン型デバイスを調整した。

「先生、あそこの集団が唱えているのは……古いラテン語の語根と、現代のプログラミング言語を強引に組み合わせた『合成構文ハイブリッド・シンタックス』です。唱えるだけで、周囲の銀行ATMから紙幣を物理的に『複製(Copy)』しています。物理的な接触を一切持たない、バイオ・ハッキングによる資産窃盗の極致ですね。彼らは、宇宙の『物理的な実体定義』という変数を直接書き換え、無から有を捏造しようとしています。これは経済システムへのサービス不能攻撃(DoS)に等しい」


2-2:物理的ミュートの応酬

 突如、ハッカー集団の一人が二人の侵入に気づき、歪んだ笑みを浮かべて叫んだ。その声は、喉に埋め込んだボイスチェンジャーで加工されたかのような、耳を刺す金属音を伴っていた。

「【スタック・オーバーフロー(溢れろ)】!」

 彼が発した言葉の圧力が、空間の構成粒子を物理的に歪ませ、目に見えるほどの半透明な衝撃波となって玲子を襲った。玲子は咄嗟に、特殊な「言語防壁ファイアウォール」を展開する音響シールド・デバイスを起動したが、衝撃で十センチのヒールが床のコンクリートに深く食い込んだ。空間の密度が一気に高まり、肺が押し潰され、呼吸することさえ困難なほどの圧倒的な「意味の重圧」が二人にかかる。

「くっ……! 先生、言語出力が強すぎます! 防壁が共振して持ちません! 論理が物理に押し潰されます!」

「慌てるな、お嬢様。論理的な防壁が突破されるなら、最後は個体の持つ『物理的な実数(質量)』が物を言うんだよ! 筋肉はデジタル化できない、唯一のアナログな定数だ! 管理者の計算外の重りだ!」

 徳永は一歩前に踏み出し、自らの分厚い胸板を盾にするように仁王立ちした。彼の加圧インナーが、隆起する広背筋と大胸筋に合わせて、今にも引き裂かれそうな不気味な音を立てて張り詰める。

「ふん……。その程度の稚拙な構文エラーで、私の横隔膜を揺らせると思うなよ。小僧、デバッグのやり方を教えてやる。宇宙の基底現実には、常に沈黙という名の初期値デフォルトがあるんだ」

 徳永は深く息を吸い込み、腹の底から、宇宙の基底周波数を物理的に打ち消すような、無音の衝撃波を伴う一音を叩きつけた。それはもはや声ですらなく、空間の振動そのものを逆位相で上書きする「抹消」の力だった。

「【ミュート】!」

 その一言は、音ではなく「絶対的な静寂」の弾丸だった。  ハッカーたちが紡いでいた不浄な文字列が、空中で物理的に凍結され、そのままガラス細工のように粉々に砕け散った。地下室を支配していた不規則なノイズが一瞬で消え去り、ハッカーたちは自分の声が出ないことに恐怖し、喉をかきむしった。発声権限そのものが、徳永の管理者コマンドによって一時的に剥奪されたのだ。彼らはもはや、意味を成さない、ただの呼吸するオブジェクトへと成り下がった。

「玲子、残りの汚染されたジャンク・データの回収は任せたぞ。私は少しばかり、この肺の『バッファ』を休ませる必要がある。……ふん、安物のウイスキーでもあれば、オーバーヒートした神経が冷却されるんだがな。体中の血管が熱いよ。物理を直接殴るのは疲れる」

 徳永は、発声の反動による微かな手の震えを隠すようにツイードのポケットに突っ込み、不機嫌そうに鼻を鳴らした。彼の周囲では、消去された音素が青白い火花のように散り、ゆっくりと虚空に融けていった。


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