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エピローグ:終わらない物語

1.雪解けの朝

 北の廃都に、奇跡のような朝が訪れた。

 数日前まで空を覆い尽くしていたあの呪わしい暗雲はどこへ消えたのか、透き通るような冬の青空から柔らかな陽光が降り注いでいる。屋根の雪がぽたぽたと音を立てて雫に変わる。それは、この土地が数百年ぶりに経験する、本当の意味での「雪解け」の合図だった。


 魔王城の城門前では、旅の支度を整えた一行が集まっていた。だが、その輪の中で機工師のドックだけが、空になった作業場を呆然と見つめていた。


「……あの、食えない野郎……ッ!」


 ドックは、昨夜まで自分が心血を注いでいた「空間」を指さして吐き捨てた。

 昨日の夕暮れ時、ドックはモロが拾ってきたボロボロの年代物リヤカーの修理を完遂した。錆びたネジを打ち直し、歪んだ軸を叩き矯正し、秘蔵の潤滑油を注したそのリヤカーは、ドックという一流の機工師の意地によって、指一本で押せるほど軽やかに、滑らかに回る逸品へと蘇っていた。

 ドックは、その「完璧な手応え」を噛み締めながら昨夜は床に就いたのだが……今朝起きてみると、その最高傑作は跡形もなく消えていたのだ。


「……モロの旦那、夜のうちに出発しちまったのか」

 バルトが苦笑いしながら辺りを見回す。焚き火のそばで誰よりも上質な酒を飲み、煙に巻くような講釈を垂れていた道化師は、ドックの修理したリヤカーと共に、忽然と姿を消していた。


 カイトがふと、城門の脇にある、ひび割れた石柱に目をやると、そこには一通の封筒が、枯れかけた冬の花と共に置かれていた。封蝋には、あのアホらしいほど陽気な「道化の仮面」の紋章が刻印されている。


 カイトがそれを手に取り、中身を引き出す。そこには流麗な筆致でこう記されていた。


『親愛なる共犯者たちへ。


 幕が下りたあとの舞台に、いつまでも役者が残っているのは無粋というものだよ。特に私のような、三百年前の台本を抱えたままの旧い役者なら、なおさらね。


 諸君、素晴らしいアドリブだった。

 私は、この素晴らしい「脚」――ドック、君が再生させた最高傑作のことだ――を一台借用して、一足お先に出発させてもらう。

 世界は広い。神様が目を離している空白の間に、もっと面白い「嘘」を仕込みに行かなければならないからね。


 カイト、ルシアン。

 これからの物語には、もうト書きもなければ、運命の導きもない。

 真っ白な地図の上に、君たちの汚い足跡で、最高の「私事わたくしごと」を書き記したまえ。


 ……追伸。

 ドック。君が再生させたあのリヤカーの車輪、魔法を一切介さずこれほどの精度を引き出すとは、驚きを通り越して感動したよ。

 ……これからは、君がこの時代の「ポチ」を造っていく番だ。次に会う時は、私の魔法でも修理不能なほどの傑作を期待している。


 さらばだ。また、次の喜劇の幕が上がる時に。


 ――大賢者にして、世界最高の道化師、モロより』


 手紙を読み終えたカイトがそっとドックにそれを手渡すと、無愛想な機工師は、ひったくるようにして内容を盗み見た。


「……ケッ。当たり前だ。俺を誰だと思ってやがる。……あんなゴミ溜めの鉄クズを、一晩で極上の馬車より滑らかに直せるのは、世界に俺一人だけだってんだよ」


 ドックは鼻を鳴らしたが、その視線は誇らしげに、今はなきリヤカーの轍を見つめていた。モロが自分の技術を認め、一流の職人として一目置いた上で、その「作品」を選んで旅立ったことを、彼は誰よりも理解し、誇りに感じていた。


「……全くだね。借用と言いながら、ドックが魂を込めて直したばかりのリヤカーを、その夜のうちに持っていくなんて。あの大賢者様は、どこまでも見通している」

 ルシアンも苦笑いしながら、遠く、南へと続く街道の先に目をやった。


 そこには、朝靄に紛れるようにして、小さくなっていく一人の道化師の影が見えたような気がした。リヤカーを軽快に引き、笛を吹きながら、世界という名の新しい舞台へと消えていく、あの不老不死の賢者の背中が。


 カイトは手紙を丁寧に畳み、懐にしまった。

 右腕を、ゆっくりと回してみる。そこにはもう、自分を支配する冷たい輝きはない。


「さあ、僕たちも行こうか」

 カイトが前を見据え、一歩を踏み出す。

 雪解けの廃都を背に、二人の足跡が、真っ白な雪の上に刻まれていく。

 それは誰にも強制されない、彼ら自身の意志による、新しい物語の最初の一歩だった。


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