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野良と家付き  作者: 青沼がざみ
野良と家付き
9/32

布団

 馬鹿だ。


 部屋に二つ並んだ布団がある。


 私は最近の無理を押して仕事をしていた疲れに、八城は常日頃からの昼夜逆転不養生に、雨で濡れた服をそのままに口喧嘩をしていたことがたたって、二人して風邪をひいた。



 医者の往診を固辞して、とりあえずは数日滋養に良い物を摂りながらの養生となった。


 看病してくれるお滝さんは、明らかに笑いをこらえている。この矍鑠(かくしゃく)たる老女中の自分への株は急墜しているに違いない。



 静かな部屋で雨音だけを何時間も聞いていた。


 部屋は余分にあるのに、何故か八城が「一人は嫌だ」とごねて、二人で床に付いている。


 そのくせ、先日の口争いを根に持っているのか、布団にくるまりうんともすんとも言わない。たまに小さなくしゃみが響く。


 赤い顔をして押し黙り、二人で背を向け合っている、ついに初夜かと冗談を()つのも阿呆らしい。



 熱いような寒いような、目の前が明るいような暗いような、風邪を引いた時の奇妙な感覚がずっと続いている。


 寝ているらしい八城を起こさないよう、慎重に布団を抜け出した。



 八城に傷の理由を聞かれもしないのに語ってしまったのを少し悔やんでいる。きっとあの時既に熱が出ていたのだろう。自制が足りなかった。


 小用を済ませて、壁に身を預けながら歩く。


 自宅は伝統的な日本建築の隣に無理矢理洋風の家をこしらえて、最終的にそれを繫げてできた妙な家だ。洋間に置いてある曲線を多用した家具は、熱でぼやけた目で見ると陽炎のように揺れた。


「鈴島!」


 廊下の向こうから、八城の声が響く。何やら必死な叫びである。


「鈴島、何処に行ったんだ……」


 物にぶつかった音がして、腕を押さえながら八城が廊下を走ってきた。息を切らしている。あの調子だとまた痣が増えただろう。


 私の姿を認めると、寝乱れた髪の下の端正な顔がほっと緩む。危なっかしい足取りで私に近付き手を握る。


「何かあったのか」


「目が覚めたら鈴島がいなくて。どっか行くなら俺も呼べよ」



 乱暴に腕を引かれて、部屋へと(いざな)われる。



「心配してくれてるのか」


 この、自らを縛る者なぞないと放埒に振る舞う野良猫が。


 駄々をこねて布団を並べたのも、私がいなくなることを危惧してだったのやもしれない。



「生きたいって思わない奴は死にやすいからな。寝てる時も死人みたいに静かだったし。俺ァ、そのままあの世に逝かないか、起きてはお前が息してるか、調べてたんだぜ」



 そのお節介な優しさが、なんとも面映ゆい。私にそこまでの価値はないのに。



 八城も照れくさかったのか、部屋に辿り着くと素早く布団を被り、自分の陣地に潜り込んでしまった。

 私も布団に腰を下ろす。


「私は死なないから、ゆっくり休んでくれ」


「信用するもんか。作家ってのはやたら死にたがるから嫌だ。現に死んでもいいやって庭にぶっ倒れてたのは誰だよ」


 こんもりと盛り上がった布団から、くぐもった声が返ってくる。


「世話になったな。後日埋め合わせはする」


「埋め合わせなんていらない……!」


 掠れ声で怒鳴る八城を無視して、隣の布団に手を差し入れる。掛け布団がびくんと震えた。




 別に、死んでも不都合はない。


 仕事も代わりがいるだろう。お滝さんもそろそろ隠居の年だ、家事を担うのは辛かろう。親兄弟も、私がいない方が余程楽になる。



 だが、今息を止めればこの男がきっと拗ねる。ならば生きてやってもいいと思った。



「気に掛けてくれてありがとう。折角八城が手伝ってくれるのだから、厚意を無下にはしないよ。約束だ。もう、死んでもいいなんて言わない」


「……」


「八城、西洋料理はいけるか?」


 更に奥に手を伸ばす。人肌の真綿の闇の奥を探り、湿った熱い手に触れる。

 一方的な握手だ。


「約束だ。私が外を歩けるようになったら、洋装して、ステッキを突いて、髪を結わう。八城の勧める女の三味線を聴く前に、カツレツでも牛の尻尾のスップでも、いつもは食べない物を食べよう。私も八城と外へ出たい」


「餌で釣ってご機嫌伺いか? 人の扱いが下手だな坊ちゃん」


「ほんの礼のつもりなのだが。歩けるまで付き合ってくれるのなら、銀座で食い倒れしても有り余る程の恩だろう」




「…………水臭いよ。お前、俺のことなんだと思ってるの」



 布団から、八城が半分顔を出す。どこか泣きそうな目で此方を睨んでくる。


 八城にしては、毒のない問いだった。

 次に吐く言葉に迷う。



 同輩ではない。雇っている訳でもない。知人にしては頻繁に会っている。友と呼ぶには肉感的だ。さりとて色恋にはまだ至らない。


 一宿一飯のやりとりが、行きずりの仲が、長々と続いて、徐々に互いが入れ込んで、返礼を水臭いとまで怒るまでの間柄を言い表す語彙を、私は知らない。

 日本語で表現できるだろうか。黒革の異国の辞典に載っているだろうか。



 ……また、熱が出てきた。思考がぐるぐると廻る。


 少し離れたところで見ていたいような、何を犠牲にしても自分に注意を向けさせたいような、矛盾した、熱に浮かされている独特の高揚。



 私はこの、淫蕩なくせに子供じみた、適当なようで情の濃い男との、緩やかな関わりが心地良い。



「分からない。八城は八城だ。でも、もう、家族より、八城の方が親しい気がする」



 慎重に、今まで積み上げてきた軽やかな記憶を壊さないために紡ぎ出した答えだった。



 内心、どんな関係であっても良い。どれであっても、きっと掛け替えのない楽しさがある。


 いっそのこと美しい体に溺れて魂ごと有り金を取られてしまっても構わない。幼子でもないのに気軽に身に触れ合えなくなるのは惜しいけれど。



 八城が、熱でとろけた瞳を細める。


「なあに、口説いてんの?」



 くしゃみより小さい、くすくすという忍び笑い。


 雨戸をしめて薄暗い部屋が、布団に半ば隠れた無邪気な笑顔で一瞬明るんだような錯覚を起こす。



 男なのに、可愛い。

 男色の趣味はないはずなのに、自分に懐いた猫が無性に愛しかった。



 八城の機嫌はすっかり直っている。

 私の手が、強く握り返された。


「仕方ねぇ。資生堂の、ソーダファウンテンで手を打とう。アイスクリームを百皿食べるんだ」


 熱で掠れた低い声は柔らかい。


「健啖家だな。そんなに食べたら体を冷やしてまた風邪をひく」


「そしたら、また、布団並べて二人で寝ようなあ」



 布団の中に差し込んでいた手に八城の指がかかる。


「破ったら、針千本だからな」


 私の小指に、八城の細い小指が絡められた。

 一方的な指切りにはさせなかった。

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