午睡
縁側は、白んだ陽射しが当たり、爪先を付けると温かく感じるほどぬるんでいる。
珍しく晴れた六月の、輝くような良い日和。
八城は気持ちよさそうに体を伸ばし、廊下と縁側を塞いで惰眠を貪っていた。
毎日は来ないとの約束だったが、八城は思いのほか頻繁にやってきた。
その度に、女中にねだって適当に飯を出して貰い、縁側や畳の上で勝手に寝ている。
挙動は猫だが体の大きさはしっかりと人間並みなので、放っておけない時もある。通り道で寝られると、足を引きずり移動する身としてはたまに邪魔だ。
三日、間を空けずに遊びに来るのであれば、もう入り浸っていると称しても過言ではないだろう。
何をするでもなく、私も特に構ったりはしないのだが、この家が気に入ったらしい。
庭の雑草抜きを手伝い、ぼうろ菓子などをを女中に貰って忙しく口に運んでいる様は齢七つの子のようだ。
こんな男が彼方此方で浮名を流しているのだと思うと不思議な気持ちになる。
寝息に合わせて上下する胸。あの日取れた釦はそのままで、露わになった鎖骨が覗いている。
軽い気持ちでシャツをめくった。
未だ、見事なまだらである。
絞殺未遂の痣が消えた後も、彼の肌には喧嘩でやられたと思しき切り傷や打ち身、それから甘い悪戯で付けられた歯型や紅色をした印、爪の跡が絶えることがなかった。生来の気質が遊び好きなのだろう。
人が関わらぬ時でも何かと注意散漫で、体をぶつけたり転んだりしているし、濡れた学帽と靴を女中に干されているところも見た。
自分の身体を大事にするという考えはないと、がさつな挙動が証明しているようであった。
まったく、『この腹が癒えたところを見せてやる』とは、よく言えたものである。
爪先で腹をつついていると、鬱陶しそうに目を開けられた。傷に響いたのかもしれない。
「なんだよ、寝ている猫を起こすと嫌われるぞ」
八城を猫扱いする妙な約束も、細々と続いている。
「本当にお前、猫に生まれていたら良かったのに。猫なら構わず意中の輩と存分に遊べるぞ」
「うーん、モノホンの猫だと男同士でまぐわえないからなあ」
「猫より慎みがないというのも珍しいな。幸か不幸か、お前は人間なのだから、恣男女を相手にしていると、いつか絶対に殺されるぞ」
「それも御免だな。幽霊ってのは腰から下がないらしい。つまり死んだら情事も何もない、嫌だ嫌だ」
「節操のないことだ」
その放埒ぶりと口達者に呆れてしまう。
隣に腰を下ろすと、いつものお返しとばかりに顔を触られた。遠慮ない指が火傷に当たり、つい眉をひそめてしまうが、八城の顔は、まるで綺麗な蝶を捕らえる童である。
「鈴島、あんた家持ちなんだから少し身なりを気にした方がいいな」
「仕事は家でできるから、身なりを気にせずとも誰も見るまいよ」
「なあ、ずっと文机でなんか書いているけれど、どんな仕事をしているの」
「翻訳だ。異国の童話、雑誌、風俗の紹介、機械の説明、そういうのが回ってくる。この国が発展するには、異国の力が必要不可欠だが、まだ翻訳者が少ないので、それなりに忙しい」
「忙しくても髪くらいは梳けよ。 細面のいい顔なのに勿体ない」
切らずにくくった髪、白濁した片目、この美男子は私のどこを勿体ながるのか。頓着すべきはまず傷だらけの自分であるべきだ。
「お前だって髪が伸びているぞ」
「俺はこれでもモテるもの。俺程じゃあないけれど、あんただって髪を整えて洋装して、気取ってその杖ついていたら、インテリなんだし嫁も来るだろう」
「ふっ」
つい吹き出してしまった。
確かに、西洋の紳士は気取ったステッキなぞ持つが、出歩かずに痩せた足で、杖にすがりながら洋装もないものだろう。
私が笑うと、八城は目を丸くするが、撫でさする手は止まらない。長閑な午後の庭と相まって、気が緩んで眠くなってくる。
「ん……、嫁は、要らないかな。本を読んで、仕事をして、あとは庭の花か月を肴に酒を飲めば事足りる」
「へえ、そこまで言い切れるなら其の髪切って、坊主にでもなっちまえばいいじゃねえか」
「剃髪すると火傷が露わになるから無理だろう。それに、もう女は結構だ」
「なんだお前、酷い女に当たったんだな。じゃあ俺についてどうこう説教できる柄じゃねえじゃんか。もしかするとその傷も、女にやられたとか?」
「あー……」
猫の隣にいると眠くなる。俄然元気になる八城と反対に、私の体はうつらうつらと船を漕ぎ始めていた。
晴れた六月の潤んだ空気と、暖かい陽射しに誘われて、閉じる瞼に抗えない。
「なあ、その傷のことを話してくれよ」
腕をつつきながら嬉々として尋ねる猫を諫めることもせず、私はしばし午睡を取った。