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野良と家付き  作者: 青沼がざみ
野良と家付き
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口約束

 女中が薬箱と絞り手拭いを持ってきた。


 甲斐甲斐しく八城の体を拭いて、痣以外の、擦り傷や切り傷に軟膏を塗っていく。



「お滝さん、ありがとう」


 礼を言う八城をみて、素直なところもあるのかと驚き、同時に自分は女中の名前を碌々覚えていなかったと気付いた。



「鈴島もありがとうな。本当に助かったぜ。あんたは命の恩人だ」


「私は何もしていない」

 強いて言うなら、自分の風体が初めて役に立ったのだというべきか。




 一応、しっかりと礼を言える躾はされているのかと見直した瞬間、八城は無邪気に首を傾げた。


「なあ鈴島。善行ついでに、また俺を買ってくれないかい?」


「男狂いか貴様」


 浮気事で死ぬ目にあって、すぐに鞍替えとは面の皮の厚いことである。好色を全面に出された戸惑いで、つい語気が荒くなった。



 あっけらかんと続けられる。


「あいつはさ、毎夜仲間内の家か芸者屋で飲んだくれてこの国を変える案をぶってたんだ。ご高説を聞き流して酒を飲みながら寝てればいいから、宿借りするには便利だったんだが、流石に場所を移動しなけりゃいけないだろう?」


「それに私を巻き込むのか。何度も言ったが、私には男色の趣味は……」


「先日と同じだ。あんたは俺の体を飯の分だけ触っていい。いじくり回してもいい。それ以上をお望みでも安くしとくよ、恩人だもの。いくつか当てがあるから毎日は来ない。邪魔はしないさ」



 八城の指先がシャツの裾をゆるりとつまみ上げる。つまんだ指は鎖骨あたりまで上がる。


 白肌を汚す腫れた痣を恥じもせずに、見せつけた。


「この腹が癒えたところを見せてやるから」


 それでも何も言わない私に、八城は業を煮やしたのか、乱暴に立ち上がり、此方に近付き身を寄せる。

 する、と腕を絡められた。


 久方ぶりの人肌の接触に、思わず硬直する。

 嗚呼、体温は熱いのだ。


「なァ?」

 

 挑むような目と、明け透けな媚に腹が立つ。

 私が、これで喜ぶ人間だと思っているのだろうか。



 しかし、私が断ったら、この美少年は死ぬのではないか。殺されるのではないか。そもそも行く当てがないから、ほとんど面識のない私に媚を売っているのだ。



「…………いてもいいが、次からは布団は出さない。そこらの畳で勝手に寝てくれ」


「飯は?」


「残り物くらいなら、女中が出してくれるだろう」


「うん、十分だ」



 女中がため息をついた。


「旦那様、いくらなんでも、それではまるきり猫扱いではありませんか」


 老いた女中は、既にこの若い男にほだされ掛かっているようである。全く、人懐っこいというのは得だ。



「猫、か」


 猫。


「言い得て妙だな」


「なんだよ畜生扱いか。そういう趣味かね助平が」


「何を言う。男を囲うより、猫に餌をやる方が余程健全だろう」



 そうだ。人一人を世話するのではなく、煩い猫を飼うと思えばいいのだ。


 色々と難がある奴だが、此方が入れ込まなければ、ただの少年、ただ飯をたかり、外で傷をこしらえ、体をすり寄せてくる猫である。



「口約束だが、双方そこまで損はない。この家にいるとき、お前は猫だ。それでよかろう」


「ふうん」


 僅かばかり不満げな八城だったが、すぐに猫のような笑みを浮かべる。



「わかったぜ、鈴島。約束は守る。それで、早速、触ってはくれないのかい? 飯と引き換えなんだ、触らなきゃ損だぜ?」



 なおも、いやあえて、猫のように振る舞っているのだろうか。

 八城は床に座り、私の膝に顎を乗せて楽しそうに問うてくる。


 諦めて、長く濃い髪に手を伸ばす。

 手入れの悪い頭だが、なかなか撫で心地がいい。温かく、毛のあるもの。脈を感じるもの。

 本当に、猫を飼うというのも、一人で生きる慰めにはなるかもしれない。



「さあ、頭は撫でたぞ」


「にゃあ」



 八城が目を細めて鳴いた。



「いい返事だな」




 契約成立である。

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