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野良と家付き  作者: 青沼がざみ
八城と鈴島
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日の出

 一歩、一歩が重かった。真冬の寒さは身に辛い。


 久々の外出で、歩き回った足は既に限界が来ている。しかし、紳士姿の盛装で元婚約者に終わりを告げるべく会いに来た男が、精根尽きて這々(ほうほう)の体で戻るというのは男として情けない。


 元婚約者とお辞儀をし合い、穏やかに部屋を出る。通りすがりの看護婦が補助を進み出てくれたが断った。暗い色の木の廊下と重い扉が無機質に続く院内を、杖で床を穿(うが)って、できる限り背を伸ばして、体の痛みはかばわずこらえながら歩く。



「……馬車で寝ているといったのに」


 廊下を一つ曲がったところに、後ろ頭で両手を組んで壁に寄りかかっている八城がいた。


「お前なぁ、加害者と被害者を二人っきりで一緒の部屋にできるこの病院の方がおかしいんだよ。それに万一、元婚約者が一緒に死にましょなんて誘ったら、流されがちなお前は断れんの?」


 叫び声などが聞こえたら即座に部屋に突入できる距離である。病院の敷地の隅に馬車を止めさせた時には「眠いから馬車で寝てるぜ」と良い子のお返事をしていたが、万一に備えて施設に入る私を追ってきたらしい。


「案ずるな。死なないよ、私は。もう」


「本当かぁ? ま、いいや。言質取ったからな」


 知った風な口を利くが、図星であるし実際八城は私自身より私の言動を周知しているのかもしれない。


 八城が猫のように笑ってから、大きなあくびをした。ほぼ夜を徹しているので当然である。


 朝一番、つまりは五時過ぎに非常識にも寄越させた馬車に乗り、まだ夜闇が残る中を癲狂院(てんきょういん)まで走らせたのだ。夜も明けぬ中、盛装の男が行く場所にしてはあまりにも曰く付きなので、馭者(ぎょしゃ)が怯えていた。



 二人並んで無言で歩く。杖の音ばかりが響く。後数日で冬至なので、明けが遅い。夜明け前の青白い空気に満ちた朝の病院は静かだ。


 建物を出て、草の生えたる敷地内へ出る。外はあちらこちらに霜が下り、吐く息が白く煙る。


 八城が寒そうに体を震わせながら呟いた。


「なんだか、元婚約者の一人勝ちって感じがするな。結局体壊したお前が我慢して、許して、譲ったっきりっていうかさ。一発殴るか憎まれ口叩くか、何か悔しがらせてやればよかったのに」


「いや、きっと、逃した魚は大きいと悔しがっているさ。私と結婚しなかったのを後悔したとまで言わせたもの。きっと今も窓から私を見送ってくれているに違いない」


「うははっ! やるじゃん鈴島! よっ色男!」


 私と彼女の間にわだかまる感情は、単なる後悔や罪悪感などという単純なものではないが、冗談めかして片手を広げ「釣った魚」を大きく表現する。


 拍手しながら爆笑する八城の前で芝居がかった身振りをしながら、私と彼女の二年あまりの縁と業が終わったのだ、終劇したのだと納得する。


「じゃあもっと悔しがらせてやろうぜ!」


 名案を(ひらめ)いたとばかりに声を弾ませる八城に、何をするのだと尋ねる前に抱擁(ほうよう)を受けた。


 杖を取り落としそうになった。

 片足にかけていた重力は隣の男に移動する。私一人を受け止めながら、八城はぎゅうと音がするほど腕を回した。



 軽々と、()(くら)べで遊ぶような。

 きつく、恋人同士でもちょっとしないような。

 熱く、生きて帰った戦友を迎えるような。


 鼻先と唇の(とが)りが触れる。八城の白い吐息が視覚的に私へかかる。


 八城がちらりと流し目を送った先には、癲狂院(てんきょういん)の建物、そして彼女の部屋がある。


 見せつけている。蠱惑的な容姿で私を抱きしめながら。


「もっと熱烈なやつをお見舞いしてもいいんだけどな……、まあ遠目ならこれくらいでも効くだろ」


 呆れて、それから何故だか安心して、張っていた気が緩む。


「ふふ、確かに、絶世の美少年といちゃついていたら羨ましくてたまらんだろう。……早朝から二人で何をしているのだろう? もうここには来られんな」


「来なくていいだろ。別れは済んだんだから」


「お前、そんな事もなげに……」


 一見蜜月の仲の私達を、通りすがりの看護婦が口元を押さえて凝視し、そのままそそくさと立ち去った。元婚約者もぎょっとしていることだろう。


 腹の底から笑いがこみ上げてきた。並んでいた距離が縮まるだけで、既に寒さはどこにもない。



「頑張ったなあ、鈴島」


「ああ、終わった……」


「うん」


「……ようやく。今度こそ終わった」


 徹夜も(たた)ってひどく眠い。


 すがすがしい気分なのに、涙が止まらないのはそのせいだ。


 八城が腕を外し、今度は肩を組んできた。有り難くその肩を貸してもらう。


 夜が徐々に明けていく。

 影が長く伸び、朝焼けが空を燃やす。



「鈴島、お前って奴は男だぜ。役者も華族もなんのそのだ。過去にさっぱりと決着をつけられる奴は、そうはいないもんだ」


 ゆっくりと歩調を合わせてくれながら、八城が言う。


「いや、八城がいなければ、ここへ来る余裕はなかった。お前には感謝しなければ」


 白い息と共に本音を吐き出す。


 八城と会わずにここに来ていたら、私はそのまま癲狂院に入ったまま元婚約者と連れたって死ぬか、帰れなくなって自分も看護婦の世話になっていたと思う。


 住む予定のなかった母の実家は、あてがわれた時は借り物のようで、住まいの実感がなかった。いつ戻れなくても構わない居場所だった。


 今はそこに、ビスケットを焼ける台所と足跡が重なりついた庭があることを私は知っている。



 私の立ち位置は変わらない。


 私は、『体を損ない跡継ぎの座を弟に譲った若隠居』に過ぎない。これから先も死ぬまで首輪付きで隠棲の立場だ。



 それでも、豊かになった未来がある。


 眩しい朝日に目をすがめ、霜が陽光に照らされる輝きを、私は八城と浴びている。




 日の出だ。


 夜に洗われ潤んだ夜明けは美しかった。


 二人してしばし、指がかじかむまで朝日に見入りる。


 そうしてから、用も済んだことだし愛しの我が家に帰って寝ようと、私と八城は門の外に待たせている馬車を目指した。



 後ろを振り返る必要はなかった。

八城と鈴島。これにて完結です。書き溜めがなくなったので次の章から不定期更新になります。

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