お開き
仲居が正面の閉じていた襖を引くと、布団が二つ並べてあった。
既に用意は万端らしい。
「アラ、陸ちゃん休みたいんだって」
意味ありげに見交わす女達。
眼に獣じみた光をともした娘もいる。
音を立てて酔いが醒める。
さて、どうしようか。
馬車は帰らせてしまったし、足を呼ぶにも深夜だ。一夜の宿はまぬがれない。
私とて、大学時代は友人と連れ立って芸者遊びをしたこともある。酔い潰れた友人は奥座敷に放り込んで、残った面子で夜通し酒盛りをしていた。好みの芸妓と別部屋に行く男もいた。男同士の仲なら普通だ。
かといって、八城を一人で休ませるのは難しい。
ここには八城と触れ合いたい女が山ほどいるのだ。
八城は実際疲れているだろう。朝から動き回った末、料亭で大勢の機嫌を取っていたのだから。
しかし八城は女にはまめであるので、無理を押して情けをかけるはずだ。
夜寝ても構わない場所に私の隣を選ぼうとした我が家の猫を奥座敷に追いやって、襖を隔てても伝わる房中の唸りを聞きながら、穏やかに酒を飲むなど決してできない。
ならば家でするのと同じに、隣で眠ればよかろうともいかない。芸者衆に、なんなら八城にも試されている可能性がある。
八城がここに友達を連れてきたのは未聞らしい。宴で祝うほどめでたい八城の友人枠に、私が選ばれていたのはいくらか自慢にも思う。
ならばなおさら、奴の数少ない友人として紹介された私が、芸者を差し置いて料亭の奥座敷で二人きりはまずい。酔いにつけ込んで寝込みを襲ったなんて絶対に思われたくない。
たとえ八城がそのつもりでも、そもそもできるのだろうか。私が? 八城と? ここで?
何か、何か良い手はないか。
数秒間で思考を終えて、もたれかかる八城の肩を揺らす。
「八城、奥で休むか?」
「……鈴島は?」
「私は……」
「…………じゃあ俺も」
酔って鈍いというよりかは、眠く気だるいざらついた声で、八城は私に体重を預けながら杯を取る。
「もうやめておけ、明日が辛くなるぞ」
「お前のお出かけに最後まで付き合ってやろうってんだぜ? 感謝しろよな」
「ね、眠いなら、膝でも貸してやろうか」
苦し紛れの一言だった。
眠いのに盛ろうとする八城を奥座敷に置かず、私の近くに寝かせるには、もうこれしかないと思う。
「膝枕ぁ?」
八城がぴく、と反応した。奴が実際に猫だったら耳と尻尾がぴんと立っているはずだ。
つかみに成功したので、胡座を崩して足を伸ばし、呼び寄せるように太ももを叩く。
「私もお前に最後まで付き合ってやるから、もう寝なさい。お前が蘇らせた足だ。好きなだけ使っていいよ」
「…………くくくっ。ではお言葉に甘えてっ」
いつになくかわいらしい顔をした八城が杯を捨て置き、伸びをしてから私の膝を枕に畳へ横たわる。そのまま体を丸めて目を閉じた。人の頭の重みと温み。
「おやすみ!」
痩せた男の膝に何の価値を見出しているのか、すこぶる幸せそうな八城は甘い声で寝入り際に鳴く。
八城の脱ぎ散らした背広が側にあったので、毛布代わりに背にかけてやった。やれやれ。
「お熱いことでござんすなぁ」
八城が静かになると、遠巻きに私達を観察していた芸者達がわらわらと集まってきた。気を利かせた仲居が茶を各々(おのおの)に配りはじめた。宴会は茶話会になりつつある。
「鈴島様ったらお優しい。ほんに、ほんに陸さんのお友達なのね」
小柄な芸者が熱い湯飲みを手渡してくれながら、ほうとため息をついた。
「鈴島様は魅力的な殿方ですが、八城さんに牽制されたら引き下がらなきゃだわ」
牽制?
解せない私が首を傾げると女達がどっと湧く。
「鈴島様、陸ちゃんがあちき達に尻尾を振っていたのは、貴方様を取られたくないからでござんす!」
年増の芸者が口元を押さえながら説明した。
「今夜連れてきたのは大事なお友達だから手を出すな、出すなら俺にしろってことですよ。念の為、わっちらが鈴島様に粉をかける前に貴方様を酔い潰そうとしたが、案外貴方様がウワバミだったので、自分が酔った振りをしたんでしょう。鈴島様を奥座敷に引っ張り込んでしまえば、わっちらも鈴島様に食指を伸ばせませんからね。そうすりゃ鈴島様がわっちらより自分を優先するって踏んでいたんですよ」
まとめ役らしい中年の仲居が言葉尻を引き取る。
「陸ちゃんは老若男女見境なしの両刀使いだけれど、世間では男は女を選びますから。きっと今日だって渋々ウチの店に連れてきたはずですよ。知り合いが多い店の方が、あの子に義理を感じて引いてくれるでしょうし」
「こんな火傷顔の私の何を心配しているんだか……」
「マア旦那様ったら! 偉ぶらない紳士って素敵なもんですよ? 陸ちゃんの大っぴらな誘惑に負けない人だってなかなかいないんですから! 酔いに任せて自分に手を出したりしない優しい殿方を、あたし達に自慢するだけ自慢して、しまいにはあたし達に旦那様が取られないように膝の上に陣取るなんて…………、男の悋気は憎いこと!」
仲居がわざとらしく怒りながら、眠っている八城の尻をつねった。
膝の上で、くふくふと忍び笑いが聞こえる。なんと狸寝入りである!
脱力する。気兼ねして損した。
「そもそも八城が先に女を買いに行こうと言ってきたんだが……」
「貴方様が断るものだとばかり考えていたんでしょ。でも、当てがはずれても、この子が鈴島様のお膝を借りてる限り、鈴島様はあたし達とイイコトできないんだから一安心。ついでに鈴島様が場の空気に流されない友情をお持ちだとわかって一石二鳥。いえ、自分と鈴島様の仲の良さをあたし達に自慢できるから一石三鳥ですねぇ。あんなに満足げな陸ちゃん初めて見ましたわ」
八城と女衆に、見事に手玉に取られた気持ちである。八城の手練手管にまんまと引っかかり、慌てた私の一挙一動は微笑ましく見守られていたのだろう。
「まさか、膝枕とくるとはねぇ」
「あたいらじゃ不満なら幇間を呼ばえばよかったのさ」
「男芸者を呼ぶのも嫌だったんじゃあござんせんか? 女はともかく幇間に口を吸われるのを、鈴島様には見られたくないざんしょ」
女達は姦しくさえずり合い、先ほど酌をしてくれた、若い芸者が節をつけて歌う。
「男女の仲なら 終わりもくるが 男同士は 長いから」
いい声だ。
「都々逸か。初めて聴く唄だ」
「うふふ。わっちの即興ですわ」
頬を押さえて照れている芸者を褒めると、何やら脛が痛い。下を向くと、八城が目をつぶりながら私の脛に爪を立てていた。そんな八城に女達はまた大笑いである。
仲居が茶目っ気を収めて座り直し、私に深々と頭を下げた。
「あの陸ちゃんが、あたし達に取られたくない人ができるなんて、喜ばしいですよ。あたし達もこの子が好きですが、女の身でつい頼ってしまうし、この子は花柳界の女の業を、さも自分の役目みたいに背負っちまうところがありますから。ちゃんとした人が近くにいてくれるようになって、ようやく陸ちゃんにも果報が来たね。鈴島様、どうか、陸ちゃんをよろしくお願いしますよ」
「「「よろしくお願いしまあす!!!」」」
総員でお辞儀をする女衆の揃った声で、宴会はお開きとなった。
片付けをする皆を後目に、私の膝で寝る八城に話しかける。
「八城。起きてるか」
「…………どうしたよ真剣な声で。奥座敷のお誘いか?」
目を閉じながら口ばかり達者に動かす奴の頭を撫でた。
「実は今日、もう一つ行きたかった場所がある。夜明けに馬車を出してもらうつもりだ」
手持ち無沙汰に八城をさすりながら、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「なかなか行こうと思えなかったが、今、やっと決心がついた」
「今日一日で、鈴島に決心をつかせること、なんかあったっけ……」
「なんかってお前、私が人に取られそうな時は止めてくれるだろうから。八城、お前が、私を本当に友人と思ってくれているなら、私が帰るまで、家で待って…………いや、」
八城がぱちりと目を開け、待て人に取られそうな所に俺を連れていくかと起き上がる前に、八城の右手を掴む。
「私と来てくれ」
体を起こした八城がゆっくりと口を開ける。見つめ返すと、眉根が下がり、吐息と笑みを漏らして猫のように笑った。
「まったく、言葉足らずなんだから仕方ねえな。……いいぜ、どこにだってお供してやる」
私の手に八城の左手が重ねられる。
今日あんなに私を翻弄してくれた常識外れの友人は、一転して恋人のような真摯さで、臆病者の願いを受け入れた。




