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野良と家付き  作者: 青沼がざみ
八城と鈴島
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戌井君

 私は機械の説明書などの翻訳を生業にしている。

 故に出版社の人間が仕事を頼みにきたり幾ばくかの報酬を携えてきたりと、定期的に家へとやってくる。



 私の担当である出版社の戌井(いぬい)君は、二十歳になるかならぬかの年で、真面目で行儀の良い青年だ。


 帽子に蝶ネクタイという入社時に揃えたのであろうくたびれた一張羅を大事に着た、丸い目とそばかすが印象的な彼は、著名な作家でもない私を先生と呼び、私の風体も気にせず尊敬してくれるのだが、八城との折り合いが非常に悪い。


 以前締切日前に家に居座ろうとした彼の前で、八城が私とあらぬ仲だと一芝居打って、無茶な形で追い出したことが原因だ。


 その後二回ほどばったり出くわした時があったが、戌井君は頑として八城を視界に入れなかった。意地悪な顔をした八城に「鈴島せんせはお疲れなんだからとっとと出てけよな」等の発言をぶつけられていても徹底的に無視していたので根が深い。


 八城も思うところがあるようで、戌井君を自室に呼ぶ日を伝えると、ふらりとどこかへ消えてしまう。



「寒い中、ご足労だったね。もう少し火鉢に寄りなさい」


「ありがとうございます先生! それでは少々お側に寄らせていただきます!」


 十二月の寒さで鼻を赤くした戌井君は、座布団の上にかしこまり、緑茶の入った茶器を両手に包んで指先を温めている。


 仕事のための書類をいくつか持ってきてくれるのだが、最近は外套も羽織らず白い息を吐いてやってくるので、私も文机に背を向けて休憩を取る。


 いくら「僕は寒さに強いんです」と言われようが、書類を受け取ってはいさようならとは返せない。特に今日などみぞれでも降りそうな鉛空である。


「先生、こちらはなんでしょう?」


 お滝さんがお盆に、緑茶のおかわりと湯気を立てている菓子皿に硝子(がらす)(さじ)を添えて持ってきた。戌井君は珍しげに、菓子皿の上で揺れる黄色い菓子を観察する。


「カスタードプディングという洋菓子だ。先日こしらえたら家の者に好評でね、時折作ることにしたのだ」


「え、先生が自らお料理を!?」


「手慰みに料理など女々しいだろう? この件は君の会社には内密にしてくれたまえ」


 戌井君の顔がぱっと明るくなる。


「いえ、女々しくなど! 流石は先生です!いただきます! あっ甘い! 洋菓子なんて僕初めて食べますよ! 柔らかくて舌の上でとろけるんですねえ!」


「良かった。日本人の口にも合うようだね。牛の乳なんてと嫌がっていた女中も絶賛で、書生と喜んで食べているよ」


 忙しなく動いていた匙がぴたりと止まった。



 しばしの無言の後、戌井君が菓子皿を置き、射貫(いぬ)くような目つきで私を見つめた。


「先生、あの書生は先生の愛人じゃあないでしょう?」


 どうやら虎の尾を踏んでしまったらしい。八城については言わぬが花であったのに。

 しかし、誤魔化すものでもないので首肯(しゅこう)した。


「ああ、あれは奴の冗談だ。八城は、ああいう悪戯をところかまわず起こすからね、驚いただろう」


「先生に対して、無礼千万な男です! 先生、真実お困りなら書生などお取りにならなければ……」


「はは、それでも八城は案外細やかに気を回してくれる人間でね、こちらも助かっているのだ。人に知らせるようなことではないが……」


「助かるというのは、歩行の練習のことですか?」


 まだ憤慨(ふんがい)している戌井君の言葉に耳を疑った。

 何故彼がこの庭で人知れず行われるアレについて知っているのだろうか。


「僕だって、少しはあの男についてわかっているつもりです。むしろ、あの男に素性を尋ねない、調べもしない貴方があまりにも優しすぎるのです」


 まだ不機嫌そうな戌井君が、そばかすをこすってから姿勢を正して、軽く息を吸い、口を開いた。



「八城陸太郎。年は今年十六に。三月二十日生まれ。職業は、近所の子供達に聞いたところ世間一般の下宿人よりも幾分くだけたご関係とのことですが、先生の言葉を信じましょう。……この家の書生と、合間に芸者衆のお使いや代書。もっぱら夜伽相手からの心付けが収入源。モグリの大学生などもしていて、革命家気取りの主義者共ともつるんでいるので一時期憲兵やら教授やら面倒な連中にも睨まれていたらしいですが、自力で懐柔して事なきを得たようです。この一月で体の関係は女二人男六人。夏頃と比べると大幅に減りました」


 絶句する。絶句するだけでは話は終わらないので、戌井君は止まらない。



「この手の人種は信奉者以外に何かと見下されがちですが、自身は、貢ぎ物を売った金で酒代をおごったりしているとかで他の学生との関係は悪くないとか。母親と確執は特にないものの、母親の住処にはほとんど近寄りません。母親は今は日本橋で唄の師匠をしている仇吉。本名はササ。辰巳(たつみ)芸者のように気風(きっぷ)のいい男勝りな口を利きますが昔気質(むかしかたぎ)粋筋(いきすじ)に見えてその実、ころころと転ぶ枕芸者。身につけている男物の羽織は客のさる実業家の物を譲り受けたそうです。父親は誰だか、誰にも教えていないはずです」


「戌井君、戌井君。その辺りで堪忍(かんにん)してくれ」


 情報の羅列にめまいがしてきた。一体どんな手を使って集めたのだろう。


 あれだけの暴露をしておいて、戌井君の瞳は曇りない。

 情報通といえば聞こえは良いが、恐らくあまり良くない類の敏腕家である。


 出版社には、他社を出し抜ける話題を得るために、時には阿漕(あこぎ)に時には命をかけて要人をつけ狙う記者もいるという話だが、記者を通り越して間諜にでもなれそうな才能だ。


「確かに君の話には、私の知らない物も多かった。君は、ややもすると、出版で働くより探偵に向いているかもしれないね。奴について調べていたのは、上司命令か、それとも他に頼まれたのかい?」


「いいえ、僕の独断です。勝手にすみません。先生が心配でしたから」


 (なだ)めつつ探りを入れると、戌井君は面映ゆそうに頭を掻く。


「先生、僕は貴方を敬愛しているんです。新米の僕の担当が貴方で、僕はどんなに慰めになったか。先生は温厚で、僕を罵ったりなさいませんし、時間をしっかりと守ります。文学の素養もお持ちです、代作を任せるにはもったいないほどです。それに……逃げたりなさらない」


「私の足は不自由だからね、逃げたりできないさ」


「いいえ! そうではないんです。僕の担当には、酒を吐くまで飲ませてくる作家がおります。誤字でさえも指摘すると怒り散らす評論家がおります。締切日前に原稿料を前借りして姿をくらます者も、inspirationが湧かないからここで裸踊りでもしろと尻を掴んでくる詩人もいます。とにかく、字書きは癖がある人が多いのです。でも、先生は違う。僕の憧れです。砂漠に清水をたたえる泉の如き、この世に不可欠な方です。鈴丸の家に生まれて驕らない態度を愛しております。穏やかな物腰が励みになっております。高踏的な精神を尊敬しております。もっと上等な仕事を回して差し上げたい。あわよくば、もっと近くでお力になりたい」


 うっとりと、立て板に水の早さで紡がれる執着。


「先生。先生。先生。先生。僕は先生の為なら何でもしますよ。でも、先生の交友関係に口をはさみはしませんが、もし貴方の高潔な魂が、あの男によって変わってしまったら。僕はあの男を許しません。ええ、絶対に」


 真っ直ぐに心酔した少年は凄みがある。


 速やかに話を変えなくてはならないと思った。


「締切の期日がまだ先なのに、君が家を訪ねてくるのは、その、私の素養に惚れたためなのか」


 戌井君が頬を染める。


「すみません、もう少し、先生とお近付きになりたくて……」


「……」


 これは危うい。

 純朴そのものであるのに、八城とはまた違った形で道徳心がずれている。


 なんと返事をしようか困って、ふと思いついたことがあった。


「では戌井君、その優秀な諜報能力を見込んでお願いがあるのだが、一つ頼まれてくれまいか」


 (みずか)らいざり寄って、戌井君の手を取る。戌井君は飛び上がり、膝立ちになって何度も頷いた。


「少し調べたいことがあるのだが、八城には頼めなくてね」


「は、はい! なんなりと!」


「では、ちと耳を拝借────」


「あ、あ……わっ……」


「くれぐれも内密に、もちろん法に触れてはならないよ」


「ひゃい……」


 全身真っ赤に熱を持った戌井君に耳打ちすると、感極まったのかかくんと崩れ落ちた。腰がぬけたらしい。

 

 人の好意を利用するのは気が(とが)めるが、彼が暴走して犯罪まがいの行為に走る前に(かじ)を取らなくてはとも思う。


「お礼は何がいいかね」


「い、要りません。僕が好きでやっているのですから。でも、ああ、やっぱり先生はお優しい方だ。すぐに調べてきますから!」


「ああ、助かるよ」


 すっかりのぼせてしまった戌井君が、目を(うる)ませながら(いとま)を告げる。


 帰り際に手を振ってやりながら、昔、社交をしていた時の笑顔を努めて浮かべる。悪女になった気分だ。


 籠絡(ろうらく)の仕方に、なんとなく八城の退廃を参考にしていることは、戌井君には口が裂けても言えない。

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