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野良と家付き  作者: 青沼がざみ
八城と鈴島
23/32

台所

 国産の卵が八打(8ダース)。


 白砂糖十斤。


 新鮮なバター十斤。


 小麦粉十斤。


 牛乳の入った大きな缶。


 新鮮なクリームが、…………何合あるだろうか。


 書き付けではそれぞれ一行ばかりの文字の羅列に過ぎぬ料理の材料が、白い小山となって台所にそびえている。


 八城が目を丸くしている。


「俺、こんなに卵を見たの初めてかも」


「一(ダース)が十二個だから九十六個あるな」


「どう考えても多いだろ。数が」


「しかし、失敗するかもしれないから余分にあった方がいいと弟が」


 言い訳がましい答えは自然と尻すぼみになる。


「弟ってあれだろ、風呂敷に二十人前くらいのビスケットを兄さんお土産ですよって包んできた恭二さんだろ。そりゃこうなるよ」


「卵も牛乳も滋養があるから痩せた私に食べさせたいのだろう。ちなみにそのビスケット二十人前も本日私の部屋に届けてくれた。後で持っていけ」



 真心が重い。純然たる真心が重いがそれを受け止めるのも兄の努めである。


 蔵から発掘した天火(オーブン)とカステラ鍋を使う前に、まず用意すべきは材料だ。


 弟の家では頻繁に西洋料理を作るので、良い調理法や上等な店を聞いてみたところ、自分の屋敷に使う分のついでに快く我が家の分も頼んでくれたのである。今朝、小さな家に下男が材料をどっさりと置いていった。弟の優しさと贈り物の物量が比例することを失念していた。


 明らかに大人三人には過分な量であるが、料理に疎い私が、斤や升の単位の多さを疑いもせず了承したのが悪い。

 乳製品は悪くなりやすいので弱るが、もう息が白くなる時期なので比較的保つ時期なのが幸いだ。


 お滝さんがきびきびとした動作で襷掛(たすきが)けをする。


「旦那様、失敗するかも判らぬバタ臭いものに高級な卵を使うくらいなら、いっそ玉子焼きと茶碗蒸しをこしらえた方が重宝ですよ」


「まあ、これだけ余剰があるのだから、お滝さんの好きにするといいよ」


「気前のいい旦那様を持ててアタシは幸せです」


 江戸生まれの老女中にとって、白砂糖と卵の山は願ってもなかった光景であるのか、お滝さんの目がきらきらとしている。いつになくお世辞まで言われてしまった。


 しかし現実主義者の彼女は男二人の初めての料理が惨状を(てい)することを確信し、流れるような動作で鰹節(かつおぶし)を削り始めた。

 洋菓子製作の補助は(いさぎよ)く見切りを付けて、飯の仕度をするつもりらしい。牛の乳やバターは気味が悪いと視界から遮断しているのがおかしい。


 今日の私は顔の火傷が露呈(ろてい)するのもかまわず髪をくくり、襷掛(たすきが)けした着流しに前掛けという人が見れば吹き出しそうな姿である。台所は未だ(つくば)って菜を刻む和式であるので、足の悪い私には好都合だった。



「さて、これだけ材料が揃えば何でも作れるだろう。八城、何を食べたい?」


 母の書き付けを開くとシャツの上に濃い茶の合わせを着た八城が隣に寄ってきた。互いの頬をつけるようにして小さな手帳をのぞき込む。


「まず、カステラ鍋があるんだからカステラだろー」


「カステラの調理法は……、これだ。一度作った事がある。白身を泡立てるのが肝心だ」


「白身を……泡立てる?」


 八城が書き付けを奪い取って読み直した。


「石鹸じゃああるまいし、卵は泡立つものじゃないだろ?」


 西洋料理には卵白を泡立てた調理法が頻出するが、カステラを食べたことがあっても作り方までは知らないようだ。実際に見なければ納得しないだろう。


「いいや、茶筅(ちゃせん)や、専用の玉子廻しを使って三十分程かき混ぜ続けると、本当に泡が立つ。根気よく、透明な白身が真っ白になるまで続ける。それに砂糖を加えたりしてそのまま果物に添えたりするが、カステラの場合はそれに小麦粉を交ぜ込んで焼く」


 指先をくるくる回してかき混ぜる仕草をすると、八城が子供っぽく驚く。


「三十分間もかき混ぜ続けんの!? 気長だな!?」


「カステラは案外難易度が高いぞ。もっと簡易的なのだと、この、次の(ページ)に記されたケイク……訳が古いな、ケーキが妥当だ。砂糖とバターと小麦粉と牛乳を等量入れて生地を混ぜてカステラ鍋に入れて、後は胡桃なりジャムなり入れて焼く」


「それなら俺らでもなんとかなりそうだな。あとはテンピだっけ? オーブンを使うお菓子だろー。……ええっと、これ、プデンって何?」


「これは、カスタードプディングとも呼ばれている、牛乳で作る甘い茶碗蒸しのようなものだ。砂糖を焦がして作った飴を湯でゆるめて器に入れて、そこにバニラという香料で香り付けをした生地を入れる。比較的簡単な調理のはずだからこれも作ってみようか」



 まず、七輪に火を(おこ)す。七輪二つにそれぞれ飴用の小鍋と天火(オーブン)を乗せて熱する。その間に材料を混ぜればよい。プディングの為の飴ができたら今度はカステラ鍋を熱する。


 そう、混ぜるだけでよい。

 混ぜるだけでよいはずなのに作業は難航した。


 何せ、厨房にはそうそう入らぬ男二人である。米も炊いたことがない。卵を割ったはいいが、どこまでかき混ぜればいいかわからない。生地に入った卵の殻を除くのはなんとかなったものの、牛乳を入れすぎたり、入れる器が小さすぎて小麦粉をこぼしたりと、手帳と首っ引きになればなるほど慣れぬ工程に翻弄された。


「なあなあお滝さーん、一合ってこんくらーい?」


 何度目かになる、八城の甘えた声が台所に響く。


「八城の坊や、米を計る升に牛乳を入れるのはお止し! …………はて、何やら焦げ臭い……? アアッ旦那様、何をなさっておられるのです!?」


 八城から升を奪ったお滝さんがつかつかと私の元にやってきて、私の手から小鍋を取り上げる。煙を上げる鍋の中は黒く鍋底にこびりついた砂糖水だった物体である。


「砂糖をどこまで焦がせばよいのかわからなくて……」


「危うく火事を出すところでしたよ! 旦那様、それはもう炭です。取り返しがつきません故、やり直し遊ばせ!」


「鈴島、バニラの適量って何本?」


「それはバニラの鞘だ。確か、鞘から種子を出して使っていた。書き付けには……量は書いていないな。よし、適量は適量だ。試しに三本分入れてみよう」


「あいよー」


「そんな匂いの強いものを何本も入れたら鼻が曲がります! まず鞘を割って、舶来品なのですから二つまみくらいにしておきなさい!」


「八城、二つまみとは、何本の指で二つまみだろうか?」


「さあ?」


 男など、こういう時にはてんで役に立たない。二人して服や床に練った生地をあちこち飛ばして、ようやく作業が済みつつあった。


 台所はお滝さんの牙城である。

 二人して鳴き声の如くお滝さんお滝さんと連呼して老女中の手を止めるのだが、お滝さんは手慣れたもので、こまめに我々に気を配りながら、海老と長芋のすり下ろしと溶き卵を十五個分は使った化け物じみた大きさの玉子焼きを作り上げて満足顔だった。巨大な玉子焼きを頬張るのが長年の夢だったらしい。



 料理には待ち時間がある。これまで生きてきて初めて実感した。


 湯を張った天板にプディングを入れた容器を並べ、天火(オーブン)で蒸し焼きにしている間、ブリキ皿に杏のジャムを練り込んだケーキ生地を流し込み、カステラ鍋の中に入れて蓋をして、上に炭団(たどん)を載せる。あとは待つだけである。


 頻繁に炭団をずらして、ケーキの中身が焼ける様子をそわそわと確認する八城を手持ち無沙汰に眺める。


「甘さは大丈夫かな?」


 八城が言うので、私は(さじ)を取り出した。

 丼鉢(どんぶりばち)に、作るだけ作ってカステラ鍋に入りきらなかった生地の余りがそのまま残っている。卵とバターと小麦粉と砂糖の混交物を匙ですくって舐めてみた。八城が勢いよく身を引く。


「ふむ、頃合(ころあい)の甘さだ」


「お前、焼かない小麦粉なんか食ったら腹壊すぞ」


「昔もそう叱られたが、腹を壊した事はないからきっと平気だろう」


 子供の時分に何度か味を見ただけであるが、私はどうも、この焼く前の生地が好きだ。

 少し粉っぽいとろみや、焼き上がったケーキそのものより洋酒の香りや牛乳の甘さを感じるところがいい。


 二杯めをすくい、八城の口元に近づけると、迷った風な素振りをしてから雛鳥のように口を開けた。


 どろりとした生地を嚥下してから、みるみるうちに奴の口元がほころぶ。


「美味いか?」


「うん。生のケエキ、初めて食べた」


「原料から揃えて作らなければこれは味わえないからな。作り手の特権だ」


「……どうしよう、今まで食った洋菓子の中で一番好きかも」


 (さじ)を綺麗に(ねぶ)ってから、味をしめてぱかりと赤い口腔をさらす八城にまた一匙くれてやりながら、ああ、餌付けだなと思う。



「焼く前からして美味ならば、完成品はさぞや妙なる味だろうな」


 薄暗い初冬の台所には、甘い香りと熾火(おきび)の熱。


 温かさにつられて余程ゆるんだ顔をしていたのか、八城が私を見つめて可笑しげに目を細めた。


 そして、するりと、それこそ猫のように私の肩に自らの頬をこすりつける。


 八城の持つ白い少年の肌が、私の肩の傾斜をたどる。たどった先にある結び髪から逃げ出した私の髪の一房が、八城に()まれた。


「髪にケエキがついてたぜ、坊ちゃん」


 髪が汚れていたらしい。 

 最近鳴りを潜めていた馬鹿馬鹿しい挑発に、今更うろたえる私ではない。


 お返しに、「お前だって」と、別段汚れていない八城のシャツの襟元を軽く噛んでやると、奴はくすぐったそうにけらけらと笑った。

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