初戀
男が好みド真ん中の顔してたから、惚れさせて通わせてややが出来たら取られる前に姿をくらます。自分がいない時、子供は置屋で暇な芸者に育てさせる。ナニ、置屋の女将に文句を垂れられたら鞍替えするか、懇意の旦那に頼んで妾宅を貰おう。旦那の束縛が激しくなったら妾宅を売った金で長屋を買って、三味線のお師匠でもすればいいさ。飽きたらとっとと場所を変えるのだ。
母さんという、一番身近にいた女が水商売に天賦の才があるしょうもない大物で、母の周りの「姉さん」 (皺くちゃだろうとおばさんだなんていうと拳骨が飛んできた)達も「玄人女」だったので、世間一般の母親信仰を知った時には驚いた。
二夫にまみえぬ良妻賢母。男を立て、操を守り、慎ましく家庭を支えるのが使命の毒婦の反対。虐げられようがないがしろにされようが、よよよと泣いて耐え忍ぶ、物腰穏やかで堅実な、不幸そうな女達。
そんな都合のいい奴いる訳ないと馬鹿にしていたらいるんだなこれが。母さんみたいな奴の千倍はいる。
常に行き当たりばったりな暮らしをしている癖に、身綺麗で威勢の良い母さんと、曰く『顔も体も心根もとことん相性が良かった』顔も知らない親父との、俺は相惚れの子だった。
「昼間から出掛けて一緒に珈琲なんぞ飲みに行ったねえ」
芸者に息子なぞ恥だという風潮をものともせず、「ヒ」を「シ」と発音する江戸っ子の母さんは、普通に親父の話をした。極々普通の家族みたいに。
「弟か妹」が出来たかもしれない日は、母さんは練り辛子をしこたま飲んで、墓石に腹をぶつけ、ほおずきを使っていたので、母親になりたかった訳ではないらしい。
望まれず生まれてこれなかった兄弟を思えば俺は恵まれている。俺には永劫兄弟はできない訳だが、世間とは違えどこれだって愛だろう。何せ母さんは、子供が欲しかったのではなく俺が欲しかったのだから。
男と女のやり取りで負けなしの母を俺は継いでいた。
九つの時に、十五で客を取らされた「姉さん」に手を出された。
初めてで散々嫌な思いをしたらしい彼女は、血走った目で、自分が受けた屈辱を男に返してやろうとただ近くにいた男だというだけで俺の体をまさぐっていたけど、毎晩誰かの部屋から漏れる睦言と嬌声を子守歌にしていた俺には、それはあまりにも拙くて、初々しい激情で。
門前の坊主習わぬ経をなんとやらで、客あしらいや手練手管は自然と学んでいたので、背を撫でて、口を吸ってやると、姉さんは我に返って泣いた。
意気だ張りだと強がる女達は、案外寂しい人だということは早々に覚えた。俺は女に可愛がられておまんま食ってきた男だからな、女には優しくしてやらないと。
次第に男にも手を出されるようになった。初めは女買いに飽きた色男。粋がりたい金持ちのボンボン、文明開化で廃れちまった陰間買いが忘れられない孫もいる爺さん。
生まれも育ちも色町の俺には才能があるようで、お稚児遊びの主導を握ったと誇っていた男が一転、俺の上や下で面白いほどに鳴きやがる。声で、表情で、仕草で、ちょいと転がしてやればもう意のままだ。ほんの慰みに俺をつついた大人が面白いくらいぞっこんになってくれるので笑いも止まらなくなるってもんだ。母さん同様、苦労知らずに毒婦の道を渡って行けると確信した瞬間だった。
読み書きできない女の手紙の代筆をすると小遣いをくれる。手紙や三味線を運んで駄賃を貰う。布団の中でお札を握らされる。宵越しの金は残さないでぱっと騒ぐか、助けを求める女の子にくれてやる。そうやって生きるのは滅法楽しい。
誰とでも仲良くやれる性質だったが、男友達は年頃になると桜が散るように減っていった。小さい時は凧揚げや雪合戦で騒げても、互いの背が高くなるにつれ、結構な確率で惚れられてしまう。大学に潜り込んで知り合った、世を知った風な口で哲学を語るニキビ面の学生は、俺を抱きたいとせがまぬうちはいい奴らだった。
硬派な輩ほど、物事を遊びと捉えないで本気になるから厄介だ。一月前はやれ桃園の誓いだ我々は無二の親友だと肩を組んだ野郎が、少し寝ただけで束縛するし殴るし首を吊ろうとするし、変な理想や性への夢を語るし。こんな馬鹿共にこの国任せて大丈夫なんだろうかとも思う。ああ、まともな人間ってどうしてこうも、俺といるとおかしくなってしまうんだろう。
鈴島叶という人間は、俺が知っている中で一等まともで、でも俺といてもおかしくならないおかしな男だった。
俺が縁側から上がり込んでも、追い出したりしない底抜けのお人好し。
高等遊民にもなれるのに何か難しい仕事をしていて、俺を猫だと言いながら、大学へ行かせるための読み書きを強いる変人。
パトロン、じゃあねぇんだよなぁ。俺は髪の毛一本あげていないもの。ただ飯食って、そこら辺で寝て、嫌がる奴が重い腰を上げるまでやいのやいの言い立てて、最近は外まで引っ張っていくだけ。やってることがそこらのにゃんこと変わんないや。まあ、芸者ってのは猫皮の三味を鳴らして狸を釣り上げる化け猫だからな、息子の俺も猫でいいだろ。
俺のことを猫だというが、余生の慰みに野良猫を構ってる気分でいる鈴島も、猫背気味の立ち姿やす火傷で左右の色が違う目や頬、白黒まだらの髪と達観しながらもすれていない大人しさひっくるめて、家付きの猫に近いのにな。
正直、鈴島の隣は居心地がいい。頭を撫でられるだけでそれ以上を求められない気楽さが、俺をついつい鈴島の家に向かわせる。
篤志家だと賞賛されながら若い体を貪らずにいられない腐れ爺みたいに、舌先三寸で俺を所有しようとしない。
潔癖ないい子ちゃんかと思いきや、俺が逃げ損ねたときは銃まで持ち出して庇ってくれる。
でも、役目を終えた人形か、外に出られないと諦めた座敷猫の品の良さが、勘にさわってちょっかいをかけたくなる。
…………例えば、こうやって、奴の布団に潜り込んだりとか。
鈴島は、死んだように眠る。寝返りもほとんど打たない。根の詰めすぎで鈴島がぐったりしてしまった夜は、本当に死んでしまわないかが少し心配だ。
僅かな寝息に耳を澄ませる。鈴島は、髪で隠しているが、実はお綺麗な顔をしている。怪我さえなければ引く手あまただったろう。
睫毛は俺より長いかもしれない。
体毛の薄い肌、白髪交じりの長髪、火傷の残る、涼しげな顔。
無表情。表情が、未だに読めない。寝てる時まで整然としている。毎日静かな無表情を保ちながら、時折どきりとするほど優しい声を出す。俺のことを、どう感じているのかわからない。
ああ、食っちまおうかな、とも思う。
鈴島のすまし顔を崩して歪ませてやりたい。男同士の喧嘩みてぇな止まれなくなる貪り合いも楽しそうだ。笑いながら技をかける遊戯の延長線上にある房事もいい。
でも、おんなじくらい優しくしてやりたい。布団から飛び出して真昼に外に連れ出して、子供みたいにはしゃぎたい。お熱い友情なんてお笑い種だが、でも、こいつとだったら一緒にいられる気がするんだよな。俺にとってそれは色恋より大事だ。
「ん、」
前触れもなく、鈴島が目を開けた。俺の喉がひゅっと鳴る。
濃い睫毛に縁取られた切れ長の瞳が、片方が少し濁った視線が、わずかに流れて隣で硬直する俺を刺す。
驚かれる? 怒られ……はしないな。何を言おう? 次の日から気まずくなったら嫌だな。寒かったといえば呆れながら許してくれるか。叶と名前を呼んで、このまま一線越えさせてしまおうか。いや、その目はまだ夢うつつに霞んでいる、むやみな艶声で起こしてしまってはまずい。
とりあえず目をつぶって寝た振りをした。
何事もなく誤魔化せるか、目蓋の裏の暗闇を見つめて算段していると、寝間着の衣擦れが此方に伸びてくる。一拍遅れて、乾いた指が頬を走る。
「っ!」
頬骨。目の際。こめかみ。鈴島の指先が、順番に己の熱を伝えて、耳の裏をかすめる。俺の髪に潜ってゆっくりと梳いた指は、首を経由して、背中に降りた。
「よし、よし、いいこ」
「…………」
眠たげな声であやされた。俺の背中を何度か叩くと、鈴島の手から力が抜け、俺の肩にだらりと落ちる。寝入ったらしい。目を開ける。
寝ぼけてるのはわかったけど。
もしや鈴島、俺のこと本当に猫に見えてるのか? 色気とか効かない感じ? この八城陸太郎様と同衾しても何とも思わず寝られるのかね?
じゃなければ弟と間違えてんのかだ。頭にくるぜ。まあ、それはそれで、兄弟のいない俺にはぐっとくるものがあるけれど。
……まあいいや、俺はこの家の一応書生で、その弟様公認の仲なのだ。ゆっくりやろう。
人違いで大事にされるのは癪だが、弟に甘んじるつもりはない。弟じゃできないこともある。
家族より深い仲を模索できるのが、他人のいいとこだからな。




