交渉
門の外には、男が四人いた。
目でも突かれたのか顔を押さえて呻いている小男と、小男によく似た中年、柄の悪い大男、それから大男に踏まれ、中年に押さえつけられている、鼻と口からしとどに血を流した八城。
この騒ぎが、八城が私を外に出そうと目論んだ狂言であればいい、という淡い望みは消えた。
玄関から門までは少し距離がある。ここで転びでもしたら牽制にならぬ。
杖をしっかりと握りしめ、震えないよう、膝が笑わないよう、堂々たる歩調に見えるよう、意識を払って歩く。杖音が大きく響いた。
人目に触れた事実と私の異様さに気圧された中年は小物だが、いかにもやくざ者という風体の大男が厄介だ。薄汚れた古い軍袴を穿いている。死線をくぐった軍人崩れだとしたら、大抵の脅しは効かない。
大男が言った。
「アンタが八城の飼い主か」
「違う」
八城が固い声で首を振る。
苦し紛れの嘘を誰も信じない。私の家に通っていることは、とうに織り込み済みであろう。
ちらと目をやると、なんで外に出てくるんだとばかりに睨みつけられた。
「この餓鬼が人の女をどっかにやっちまってな。今場所を訊ねているところよ。火傷野郎をわずらわせるのも気の毒だ。騒ぐなら他所でやろうか」
なるほど、そこの小男と中年が酒代欲しさに娘を売ろうとした二人だろう。大男の方は人買いか、それとも八城を捕まえる為に協力している賭博仲間か。軍人崩れだとしたら面倒だ。
「八城は私の身内だ。乱暴は困る」
「身内? ははぁっ、お見それしやしたぜ、こいつを嫁にでもする気かい? それとも義兄弟の誓いでも結んだのかね?」
小男が吹き出した。私の貧弱さを見て取ると途端に居丈高になるのだからまったく小物だ。
「旦那、こいつが大学で何をお勉強しているか知ってんのか?」
「大まかには知っているが、私と八城は色がましい関係ではない。八城はここで書生をしている。…………庭の草むしりをお願いしたり、雨戸を閉めてもらったり。私の体が不具なので、色々と助かっている」
咄嗟の出任せにしては出来がいい。口を離れた瞬間、数ヶ月前からその通りだったような錯覚を覚える。書生をして、勉学が遅れているようなら私が教えて、モグリではなく本当に大学に入れれば。少なくとも猫にまとわりつく揉め事は減るだろう。
大男がつかつかと此方へ歩いてくる。顎を掴まれる。
そいつに触るな、という八城の叫びは黙殺された。
「へっ、傷だらけだな。戦争にでも行ったかい?」
「火傷がそんなに珍しいかね? 服装を見るに従軍していたようだが」
「鉄火場では腐るほど見たさ。しかし、優男さんよ、アンタの傷は婚約者にやられたっつう噂だぜ? どんな不義をやらかしたんだね? 八城と同衾がバレたかい? そりゃあまあ、女側からすりゃあ屈辱だ」
「…………」
「アンタんとこの可愛い八城がよ、うら若き十四の乙女をそそのかしたらしくてなぁ。兄さんとは家族ぐるみのお付き合いなんで、一緒に行方不明の女を探しているところなんだ。な、八城に話を聞くだけだ、見逃しちゃあくれないか」
「容赦しかねる。私は八城の味方だ」
「そうか残念だ。こっちが下手に出たらつけ上がりやがって、痛い目を見なきゃわからんか!」
下手というより下手な交渉が決裂したが早いか、大男が足を使う。私の杖が蹴り上げられる。
体勢を崩した隙に小突いてやろうと大仰に拳を振り上げられた。
杖をついているのだ、杖を失えば無力になると考えるだろう。
しかし、私は八城との連日にわたる練習で、少しの間なら、支えなしでも動ける。そして、腕力はまともに残っている。
すかさず左手で男の胸ぐらを掴んで持ちこたえ、右手で懐から取り出した銃口を男の眉間に向けた。
カチンと金属質な音がしたのと、杖が気の抜けた音を立てて転がっていくのが同時だった。
「ふむ、銃を向けられて怖じるということは、やはり軍人上がりではないな。軍袴を履いて戦争帰りともしておけば、何かと箔が付くから誰かから盗んだのか。それ、手を頭の後ろで組め」
大男が動きを止める。ぶわりと毛が逆立ち、首から脂汗が吹き出る。
知人に将校がいるが、銃を持った私が五人いたとて丸腰で相手取れる強者だ。兵士は手強い。戦帰りでないのなら幸いだ。
八城の真似をして、男の首に腕を絡める。酒と脂汗の悪臭に咳き込みそうだ。
「刀は無理だが此方は得手だ。試してみようか。動くな、除隊済みならオモチャと実銃の違いくらい御存知のはずだ」
「坊ちゃん、絵本の読み過ぎだぜ、アンタに人は殺せねぇよ温室育ち」
「人は未経験だが鳥撃ちには覚えがある。弾はあるのだ、こう至近距離なら、鷺のような羽を持たぬ男三人、楽に片付く」
「はっ、八城諸共、牢屋行きだ」
「諸君等と私達、どちらが容赦されるか、子供でも理解するが? まあじきに巡査が来るはずだ、のんびりと話そうじゃないか」
「お巡りを呼んでみろ、その前にお前の指を切り落とす」
「既に傷物の身だ。箔が付いていいかもしれんな」
ボンボンだと侮る勿れ、此方は失う物など何もない身である。
残念ながらそれは手を後頭部に回した大男も同じのようだ。
大男が溜息を吐く。
「仕方ねぇ。カタギに本気を出すのは大人げないが、銃を抜いたそちらが悪い。八城は多方面で恨まれている。何としても連れ帰らないと俺の立場がない。続けるなら、此方の若いの大勢連れて『話し合う』しかねぇや。俺らを脅すってのはそういうことだ。ここを出入りするのは女中の婆さんと洋装の新聞屋だけだが、面子の為だ、痛い目みてもらおうか」
軽口の応酬の果ての最後通牒だった。その筋の人間は最終的には組全員で囲んでくるから閉口する。
早く巡査よ参じてくれと天に祈った時、別方向から助けが来た。
「先生ー!」
何やら嬉しそうに私を呼ばう戌井くんの声がした。
大男から視線を外せない私だが、八城が嫌そうに「うわっ……」と息を漏らし、小男二人が気圧されたように「新聞屋だ……」と呟いた。日陰にいる輩には苦手な人種だ。
「お取り込み中にすみません先生!」
「やあ戌井くん、帰ったのではなかったのか?」
「隠れていたのです。何やら先生の家のお近くに妙な輩がたむろしていましたので心配で。御安心を、巡査も大勢来てますよ」
戌井くんがひょこひょこと、私と大男の横に立つ。こうしていると、三人仲良く井戸端会議をしているようである。
「劇的だ、いいですねぇ。鈴丸の嫡男が宅、襲撃さるる! という記事を、ウチで売り出しましょう! 嫡男への脅迫、書生の誘拐未遂ともなれば大事になります。財閥に喧嘩を売る恐れ知らずの三人も、きっと有名になりますよ! 弊社は大儲けです!」
「すずまる」
ああも長口上を垂れていた大男が、それだけをやっと口にした。
御存知ありませんでしたか? と、戌井くんが指を顎に当てる。茶目っ気のある仕草だ。
「先生はあの、鈴丸財閥の御嫡男ですよ。人を数人殺しても、指先で握り潰せるお家柄です。貴方が刺青持ちか、賭場の大親分なのかは知りませんが、先生宅の書生を攫って天下の鈴丸相手に抗争を始めるつもりなら大したものです」
「鈴丸って、あの成金の?」
八城が口を挟む。戌井くんは八城の知らない私を説明するので得意そうだ。
「ええ、ですから体を傷めても悠々自適に過ごしておられるのです!」
「失礼だな。私は親の威光に甘えて人など殺したことなどないぞ。………………まだ」
八城を真似て、蠱惑的に微笑んで、拳銃を小男に向けてみる。
「ひぃっ……」
風向きが変わった事を悟った小男二人が、情けない慌ただしさで揃って逃げ出した。
銃口が逸れたが守る相手が逃げ、意地を張る必要がなくなった大男が、憎々しげに後を追う。
覚えてろよ、と捨て台詞を吐かれたので、忘れてくれ、と声を掛けると、少し苦笑して去って行った。
辺りは静かになる。
ここは山の手の、都会からは離れた郊外で、坂が多いが田園が広がる長閑な場所だ。見渡せば緑が多い。
飛ぶ小鳥の囀りが、天高くから聞こえた。
「八城、立てるか」
未だ地面に転がっている八城に手を差し出す。
「惚れ直したぜ鈴島」
こんな時にでも八城は明るい。
「おだてるな。私がいなかったらお前、どうなっていたか……」
「その時はなるように、さ。でも助けてくれて嬉しかった。ありがとな」
八城にお礼を言われたのだから、それだけで報われる気がした。
伸ばされた傷だらけの手を強く握って、腕を引く。
私とてなけなしの力を振り絞った後なので、足が限界だ。
二人でがくがくと生まれたての子鹿のように立ち上がり、ふらつきながら笑った。




