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苦手な方はご注意ください。

知らないうちに女神になっていた義兄と綺麗でおかしな義弟の話

作者: 月丘きずな

閲覧ありがとうございます!

こちらはノベマにも掲載している作品です。

「悠くんのことは、いつだって俺が守ってあげるからね」 

 そう言って微笑んだ彼の名前は、花岡蓮という二つ下の後輩だった。悠の高校の一年になったばかりの蓮は、花のように可憐な名前だけでなく、その容姿も美しく輝いていた。綺麗な形の大きな目に、すっと通った鼻筋。そして口角の上がった唇だけでも十分なのに、髪の毛さえもサラサラと艶やかに光っている。「私は蓮の頭に生える髪です」と自信を持って生えているようだなと常々思っていたから、それをそっくりそのまま彼に言ってみたら、蓮は花が綻ぶように笑っていた。こんな馬鹿な話に見合わないほどの綺麗な笑みは、どうしてか心底嬉しそうで、本当に変わった子だなと思ったのだ。

 そんな蓮は、学内のみならず町内でも有名人らしいのだ。どうやら悠が知らなかっただけで小学生の頃から想像以上に目立つ存在だったそうで、芸能界からのスカウトも頻繁に受けているという噂だ。これを教えてくれたのはクラスのミーハー女子たちで、「苗字が一緒だからって、あんまり仲良くしてると嫉妬されちゃうよ」とある時忠告してくれたのだった。生憎嫉妬されるほどのスペックを持ち合わせていない自覚があるから、その時は適当に笑って流したけれど、思い返すと少々惨めかもしれない。悠はとにかく平凡な自覚があった。身長と体重は平均より少し下で、テストは平均よりちょっと上。その辺を上手いこと均したとして、つまりは平均ギリギリの平凡男子だ。

 でも、そんな平凡男子の悠には、友人にも秘密にしていることがある。いつかはバレてしまうかもしれないけれど、なるべく明かさずにいたいこと。それは蓮が悠の可愛い弟であるということだった。


 けたたましい目覚まし時計の音に、なんとか目をこじ開けた。悠は枕元にパタパタと手を彷徨わせて、なんとか音を消すことに成功する。さて、今日も一日が始まると起き出そうとしたその時、腹のあたりに巻きつくいつもの温もりに気がついた。

「…また人のベッドに潜り込んだな」

 そう言いながら、巻き付いているものの正体を振り返る。悠を後ろから抱きしめるように眠っているのは、まさしく可愛い蓮だった。巻き付いている腕を剥ごうと試みるも、びくともしない。

「こらぁ、蓮」

 右手で蓮の頭をポンポンと撫でると、ようやく蓮が身じろぎをしてサラサラとした髪の隙間から顔が見えた。寝起きにも関わらずあまりにも美しいその相貌に、感嘆とはまた別のため息が漏れる。可愛いけど、今は悠を困らせる可愛くない弟。実際には蓮が幼稚園、悠が小学生の頃に出会った義兄弟だけれど、誰がなんと言おうと悠にとって蓮は正真正銘の弟だ。

 義兄弟であるとは特に公にしていなかったために、一緒に通っていた小学校や中学校では似ていない兄弟ということで有名だった。似ていないと言われる時、それは当然のように、あまりにも平凡な兄と、あまりにも綺麗な弟だという意味だとわかっていた。多感な時期は居た堪れなさを感じていたのも事実だけれど、義兄である悠から見ても蓮は稀な美しさを持っているとわかっていたから、仕方がないことだと自分に言い聞かせてきたのだ。でも大事な義弟のことをほんの少しでも嫌いになりたくなくて、かなり迷った末に、地元から少し離れた高校に進学することに決めた。そこには悠と蓮の関係を知る人間はおらず、悠としては非常に居心地が良かったのだった。

 しかし、この春に蓮が同じ高校に入学してきたため、また中学校までのような比較される日々が始まると覚悟していた。それなのに、蓮は悠と兄弟関係であることを誰にも明かしていないようなのだ。彼が何を思っているのかは悠にはわからない。でも、こんなに平凡な悠が義兄であることを隠したいのかもしれないと考えて、悠も当然のように蓮が義弟であることは明かさないでいたのだ。

 義兄弟であることは隠すけれど、学校で関わらないかと言ったらそんなことはない。廊下であえば嬉しそうに話しかけてくるし、家では尚更今みたいによくくっついてくるのだ。

「…悠くん、動かないで」

「もう目覚まし鳴ったの。起きないと」

 悠が起き出そうと身を捩っても、蓮はびくともしない。高校三年生の悠に対して蓮はまだ高校一年生になったばかりなのに、蓮の方がずっと体格が良く、当然のように背も抜かされていた。だからもう無駄かもしれないけれど、今朝もしっかりと牛乳を飲もうと決意する。

「そろそろ離さないと、怒るぞ」

 できる限り怖い顔をして蓮を睨みつける。しかし、蓮は気にしないどころか、ふわりと笑顔を浮かべてきた。

「悠くん、今日も可愛いね」

「また寝ぼけて。俺が可愛い訳ないだろ」

「うんうん、可愛いね」

「もう、そろそろ本気で離して」

 今度は悠も気合を入れて蓮を引き剥がしにかかった。すると蓮はぎゅっと腕に力を入れて、悠の体をベッドに押さえつけるかのように上からのしかかってきた。グッと至近距離に近づいてきた顔を、悠は精一杯の不機嫌な顔を作って見つめ返す。

「おはようの、チューは?」

 ほぼ毎朝のように聞かれるこの言葉。いくら可愛い義弟とはいえ、毎朝のことだと困ってしまう。それなのにゆるく細められた双眼は甘い優しさを含んでいるようにも見えて、毒気を抜かれてしまうのがいつものことだった。でも今日こそは兄貴として、これに流されるわけにはいかないのだ。

「おはようのチューは中学で卒業って昨日も言っただろ」

 説得すように声をかける。すると蓮は不服そうに眉を顰めた。

「悠くんが勝手に言ってるだけ」

 確かに、悠が毎朝言い聞かせているだけで、蓮は一度も納得していないかもしれない。

「もう子供じゃないんだから」

「子供ならしていいの?じゃあ俺はずっと子供でいる」

「子供だって、兄弟のいない子はしてないんじゃないの」

「そんなの当たり前じゃん。でも、兄弟がいる子は中学卒業してもみんなしてるよ」

「……それ本当なの?」

「うん」

「うーん……」

 毎朝同じようなやりとりを辿るのに、毎朝いつの間にか悠が劣勢になるこの状況をなんとかしたい。

「……じゃあ、今度理玖に聞いてみようかな」

 理玖は悠にとっての一番の親友だった。高校で三年通じて同じクラスになった彼とは、休み時間になると基本的にいつもつるんでいる。三人兄弟の真ん中の彼は、きっと悠よりも兄弟事情に詳しいに違いなかった。これまでなんとなく理玖に聞く気にはなれずにいたけれど、そろそろ悠が感じているこの行為に対する違和感をはっきりさせたほうがいいと思うのだ。

「…理玖、くん」

 蓮は理玖の名前を小さくつぶやくと、不愉快そうな顔をして見せた。

「朝から俺以外の奴の話するの、禁止」

「なにそれ。理玖って、あの理玖のことだよ。俺の親友の」

「理玖理玖って、だから嫌だってば」

 そう言ってそっぽを向いてしまった蓮に、悠は少し慌ててしまう。蓮は困ったところもあるけれど、悠の気持ちをいつでも優先してくれる優しい義弟なのだ。小さな頃のわがままだって、可愛いものばかりだった。そんな彼がこんな風になるなんて一大事だ。どうしてかわからないけれど、今の一連のやり取りが彼の機嫌を大いに損ねたらしい。つまりは悠のせいだと言うことだと理解して、悠は気遣うように蓮の目を伺いみた。

「れーん?」

 優しく呼びかけてもむくれるだけで反応しない蓮に、とうとう仕方がないとため息を漏らす。機嫌を直してもらうには悠の経験上、方法は一つしかなさそうだ。悠はゆっくりと頭を持ち上げて、唇で蓮の頬にそっと触れた。ほんの一瞬のことだけれど、義兄弟なのにどうしてか恥ずかしい。するとすぐに、蓮はどうしようもなく嬉しそうな顔をして、思い切り悠の左頬にキスを返してきた。

「ほら、もう準備しないと遅れる」

 悠が諭すように声をかけると、蓮は素直に頷いて、のそのそと悠の上から起き出した。やっと自由になった体を、悠はグッと伸ばす。起きるだけで一苦労だ。

「悠くん、急がないと遅れるよ」

 いつの間にか扉の前にいる蓮が悠を振り返っている。まったく、どの口が言っているのやら。

「蓮のせいだろ」

 思わず唇を尖らせながらそう言うと、蓮はなぜだか満足そうに頷いて、「そうだね」と言った。



 悠と蓮の両親は海外出張が多いため、月単位で家を空けることはよくあることだった。蓮が中学に上がるまでは頻繁に帰ってきてくれていたけれど、振り返ってみれば親のおかげというより、蓮と力を合わせて無事にここまで育ってきたと思っている。

 金銭的には苦労したことはなかったものの、早く自立するために、悠は蓮の高校入学と同時にアルバイトを始めた。最初はアルバイトだなんて許さないと蓮は反対していたけれど、最近ではアルバイト先での話もよく聞いてくれているようになった。

 今日も放課後になると、悠はアルバイト先である商店街の喫茶店へと向かった。優しい店主が営む小洒落た喫茶店は、商店街の中でもかなりの繁盛店だ。バックヤードでブレザーを脱ぎ、黒いエプロンを身につけると店へ続く扉を開ける。店内は夕方近くにも関わらず、常連客がポツポツと席を埋めていた。

「お、来たな」

 髭を蓄えた店主がキッチンの方からやって来て、悠の頭にぽんと手を置いた。見かけによらず繊細な仕事をするこの店主のことを、悠は非常に好ましく思っている。

「早速で悪いけど、買い物頼めるか」

 店主はメモと店用の財布を悠に見せながらそう言った。

「はい!いってきます」

 返事をしながらメモと財布を受け取る。買い物は悠の得意分野だ。悠は店の扉をカランコロンと開けて外へ出た。

 五月の空気は気持ちが良くて、しばらくの間上機嫌で歩く。しかし少しして、商店街の雰囲気がいつもと異なることに気がついた。その原因はすぐにわかった。本屋の前でガラの悪い男子高校生たちが騒いでいるのだ。あの灰色のブレザーは、隣町のヤンキー高校の生徒に違いなかった。大人たちは関わりを持たないよう、彼らを避けるように歩いている。悠も当然近づかずにいようと思ったけれど、灰色の間から悠の高校の青い制服が見えたことで思わず足を止めた。一人きりで不良に囲まれているなんて、カツアゲでもされているのだろうか。制服に真新しさを感じるから、彼はおそらく一年生だろう。そう分析するのと同時に、蓮の同級生だなと思い至った。

「てめえ調子乗ってんじゃねえぞ!」

「お前、あいつとよくつるんでるだろ」

「女取られて黙ってられねえんだよ」

「あいつどこにいるんだ!」

 カツアゲというより、誰かを探しているようだ。そして標的は中央の彼ではなく他にいるらしい。少しだけ集団に近づいて灰色の不良たちの間を覗き込むと、中央にいる男の子には見覚えがあった。しばしの間考えてから、喫茶店で接客をした記憶が蘇る。若い客は珍しい上に、「蓮と同じ年くらいかな」「雰囲気が少し蓮に似ているな」と思っていたから、非常に印象的な客だったのだ。ただ、そうなると尚更放って置けなくなってしまう。これは兄貴としての性なのかもしれない。気がついたら悠は集団にさらに近づき、一番大きな体躯の男の肩を叩いていた。バクバクと鳴る鼓動と共に、頭もズキズキ痛いほど脈打っている。男はグルンと悠を振り返ると、ただでさえ不機嫌そうな顔をもっと顰めた。怖くてたまらないけれど、目を逸らすわけにはいかない。

「なんだ、てめえ」

 確かに、なんだろう。赤の他人を助けるためになぜ体を張っているのだろうか。でも大切な義弟を重ねてしまったのだから仕方がない。ただ、「なんだ、てめえ」に対する答えが分からなくて、思わず悠は「え?」と聞き返してしまった。それが男の逆鱗に触れてしまったらしいと気がついたのは次の瞬間だった。男は眉と目をますます吊り上げて、拳を思い切り振り上げた。

「痛え!」

 そう声を上げたのは、悠ではなかった。悠は目をギュッと瞑っていたし、なんなら後ろから何者かに抱きすくめられて目隠しをされていたから、決定的瞬間を見逃してしまったのだ。

「悠くん、何やってるの」

 目隠しをされたまま耳元で囁かれた声は、間違いなく先ほど思い浮かべていた義弟のものに違いなかった。慌てて身を捩って振り向くと、そこには思ったとおり蓮がいて、氷のような表情で悠を見つめていた。もちろん驚いたけれど、今はそれどころではない。今度は前へ振り向いて状況を確認する。足元には悠を殴ろうとした男が蹲っていて、男の取り巻きたちは慌てたように走り去っていく。悠は蹲る男の向こうに佇む男の子に視線を向けた。蓮と同じ真新しい制服を着た彼は、この状況に見合わず平然としている。

「君、大丈夫だった?」

「はい。僕は無事です」

「どこも痛くない?」

「こう見えて、僕は攻撃した側なので」

 可愛い顔をしておいて物騒だなと思いつつ、それなら良かったと安堵する。それから、悠は蹲る男の横に跪いた。蓮が「悠くん」と咎めてくるけれど、悪いやつとはいえ目の前で苦しんでいるのだから見捨てるわけにはいかないだろう。左頬を押さえているからそのあたりにダメージを負っているのだろうと分析しつつ、一応「どこが痛いの?」と聞いてみた。

「……うるせえ」

 小さな声で言葉を返す姿が痛々しくて、ちょっと可哀想になる。これからどうしようかと考えたところで、今度は蓮が悠の隣、つまりは男の正面に蹲み込んだ。

「あんた、俺を探してたんでしょ」

 蓮の言葉に男がバッと顔を上げる。

「あんたの彼女が俺と浮気でもしたって?」

 蓮の言葉に驚いて「え、略奪愛?」と悠が呟くと、蓮は悠をしっかりみて「マジでそれだけはない」と宣言した。それからもう一度男の顔を覗き込む。

「あんたが彼女に何を言われたのか知らないけど、俺はその辺の女の子には興味ないの」

 へえ、と悠は思った。蓮とは恋愛の話をしたことがないから知らなかった。やっぱり蓮ほどの男の子は、町一番の美女だとか、悠には想像もできないような高みを目指すのだろうか。そんなことを考えながら蓮のことを観察していたら、蓮は突然悠のことを振り返り、ふわりと優しく微笑んだ。

「俺の好きな人は、世界一可愛くて優しい、女神様みたいな人なんだ」

 へえ、と改めて悠は思った。好きな人いるだなんて、知らなかった。しかも、女神様だなんて、そんな女の子が蓮の周りにいただろうか。鈍いと言われる悠には知らない世界で、蓮はいつでも堂々と生きて素敵な恋をしているのだろう。途端に、胸の奥がズキズキと痛んだ。年頃の義弟に好きな人がいるなんて、それはどう考えても普通なことだ。なのに、なぜこんなにも苦しいのだろうか。複雑な気持ちを誤魔化すように悠が蓮から視線を外すと、蓮も改めて男に向き合った。

「それに、俺の友達は見かけよりもずっと強いから気をつけて」

 蓮がそう言うと、どうやら蓮の友達と思われる同じ制服を着た彼は「うん、そうだよ」と言った。

「蓮、俺そろそろ行くけど」

「サンキュ。悪かったな、律」

 律と呼ばれた彼は、悠にぺこりと挨拶をしてその場から去っていった。それと同時に、蹲っていた男もゆっくりと立ち上がってふらりと歩き始める。

「あ、待って」

 悠が静止しても男はまるで聞く耳を持たずに行ってしまう。悠は急いで近くの自動販売機まで走り、缶のコーラーを買った。そして男を追いかけて正面に回りこみ、それをずいっと差し出した。

「これで頬っぺた冷やしておきな」

「……はあ?」

「それとね、君の彼女はとても素敵かもしれないけど、あんまり悪者になったら君がもったいないよ」

 悠自身もおせっかいかなと思った助言に、男は不愉快そうに悠を睨んだだけだった。一向に缶を受け取ってくれないことに痺れを切らして、悠は男の頬に冷たい缶を押し付けた。冷たかったのかびくりと体を揺らした様子が年相応に見えて、心の中が少しだけ愉快になる。

「いい?手離すよ」

 そう言った瞬間に本当に缶から手を離すと、男は慌てたように落ちていく缶をキャッチした。悠が「ナイスキャッチ」と笑うと、男は悔しそうななんとも言えない表情で缶を握りしめた。所詮隣町の可愛い高校生なのだなと思う。そうこうしていると、悠の右手を蓮が隣から優しく包み込んできた。

「悠くん、何か用事があるんじゃないの?」

「あっ、そうだった!じゃあ、よく冷やして、それで気をつけて帰ってね」

 悠が空いている左手で手を振っても男は返してくれなかったけれど、悠はすぐに買い物をしていないことに焦って必死になったのだった。

 アルバイトを終えて家に帰る道中、悠は蓮と並んで歩きながら「あれ?」と思った。今日は当然のように蓮に助けられたけれど、なぜあの時タイミングよく蓮が現れたのだろう。少し考えて、ああ、そう言うことかと合点がいった。きっと蓮は友達の律くんと遊んでいたに違いない。その最中に律が不良に囲まれて、きっと蓮が頃合いを見て助けようとしたのに、悠が勝手に巻き込まれにいってしまったのだろう。どう考えても悠は必要なかったのだ。我ながら、めちゃくちゃに役立たずで、少し恥ずかしい。横目でチラリと蓮を見ると、蓮は綺麗な瞳で夜空の星を眺めていた。こんな完璧な義弟は、こんな不完全な義兄をどう思っているのだろうか。

 アルバイトが終わる時間になると、蓮は暗がりの中、店の外で待っていてくれる。いつも「たまたま」とか「ついで」とか言っているけれど、優しい蓮のことだから、悠のためを思って待っていてくれているのかもしれない。もしそうなら、無理して待っていなくて良いよって、兄貴としてきちんと言うべきだろう。

「蓮、あのさ」

 そこまで言いかけて、「ん?」と悠を振りかった顔をみたら、結局何も言えなくなってしまった。一緒に夜空の下を歩いているだけなのにあまりにも嬉しそうで、可愛いからこのままでいたいなと思ってしまったのである。悠が思っているより、蓮は悠のことを好きでいてくれているのかもしれない。いつまでも義兄のことが好きだなんて、本当に可愛い義弟だ。

「なんでもないよ」

 悠がそう言うと、蓮は少し可笑しそうに笑って、それから恥ずかしげもなくこう言った。

「悠くんのことは、いつだって俺が守ってあげるからね」



 平井律には高校に入ってすぐに友人ができた。花岡蓮だなんて随分と綺麗な名前を持つ彼は、顔の造形や存在感まで華やかで美しく、すぐに全校生徒たちの憧れになった。最初はみんなからチヤホヤされている彼に対してあまり良い印象はなかった。律だって地元の中学では可愛い顔だと有名だったのに、蓮のせいで存在感が薄れている気がしてならない。ところが、名簿順で席が前後だったことをきっかけに少しずつ話すようになっていったのだ。あの時も、前の席の蓮が律を振り返ってきたから仕方なく世間話をしていたのだ。多分性格は悪くない。掴みどころがない蓮との会話は、退屈な高校生活の中ではちょっとマシな方だ。冗談も通じるし、顔に見合わず面白いことを言う時もある。そんな風に蓮のことを分析しながら会話をしていたら、彼は突然なんの脈絡もなくこう言った。

「律って、俺の兄貴にちょっと似てる」

 そんなことを言われたら悪い気はしなかった。律だってこんなに可愛いのだから、学校一美しい蓮の兄貴に似ていてもおかしくはないだろう。ところが、蓮から始めた話なのに、彼は途端にすごく嫌そうな顔をしてみせた。

「やっぱ前言撤回。勘弁して」

「は?」

「悪いけど、俺の悠くんの方が何億倍も可愛いからね」

「……はあ?」

「悠くんってね、俺だけのお兄ちゃん。最高に可愛くて、キュートで、俺の神様なの。いや、あのお淑やかさと優しさはむしろ女神様」

 そもそも律に対して失礼だし、兄に対する恐ろしいほどの執着心が不気味で恐ろしい。一人っ子の律からしたら確かに兄という存在には憧れがあるけれど、こんな歪な兄弟の形は見たことがなかった。でも、蓮があまりにも本気で律に訴えかけてくるものだから、不覚にも笑ってしまったのだ。完璧な男のおかしな部分を知れたことが、ちょっとくらいは嬉しかったのかもしれない。

「そっか。良いお兄ちゃんなんだ」

 人付き合いに大切なのは共感だとよく聞くから、一応そう言ってみた。喜ぶかなと思ったのに、蓮はなぜだか途端にきゅうっと悲しそうな顔をしたのだった。

「今日はその良いお兄ちゃんである悠くんの誕生日なんだけど、悠くんアルバイトなんだって」

「ふーん」

「だから悠くんの好きなカレーを作ってあげたいんだけど、それだとアルバイト中の悠くんを見守れないんだよね」

「え、兄ちゃんのバイトって見守るものなの?」

「そりゃ、初めてのアルバイトだからね。俺は初日からずっと見守ってる」

 ここまで執着がすごいとかなり引いちゃうなと思ったけれど、蓮があまりにも真剣だから茶化すこともできない。兄貴ということは蓮や律よりも年上なのだから、そんなに心配しなくてもきと大丈夫だよと言ってあげた方が良いだろうか。

「だから、今日に関してはさ、俺はカレー作って、律が見守る係ね」

「……ん?」

「仕方がないから俺の悠くん見守らせてあげる。だからその代わり悠くんを守ってね」

 みんなには内緒だぞと指切りげんまんまでされてしまって、律はなぜだか蓮の兄であり女神様である悠くんとやらを見守る任務に就くことになったのだった。

 蓮の要望通りわざわざ制服から私服に着替えてから案内されたのは小さな喫茶店だった。そこで初めて悠くんとやらを見た時、律は思わず拍子抜けしてしまった。確かにどちらかといえば可愛い部類の顔立ちかも知れないけれど、あくまでもどちらかといえばといったところだ。律の方が断然可愛いし、何より蓮の兄だとは信じられなかった。邪魔にならないように店の外から見守ってくれと蓮から言われていたけれど、律は言いなりになるような性格をしていないから迷わず喫茶店の扉を開けた。

「いらっしゃいませ」

 心地の良く店内に響く声と、人好きのする笑顔に迎えられる。今のところ悪い気はしない。すぐにカウンター席へ通されて、着席と共にアイスコーヒーを注文すると、悠はすぐに作業に入った。それから少しも待たずに提供されたグラスの中身は、冷えたコーヒーがいっぱいに注がれていた。

「ゆっくりしていってください」

 接客時の常套句だとわかっているけれど、どうしてか温かい気持ちになる。律がぺこりと頭を下げると、悠はにこりと笑ってからカウンターの中でコーヒーカップを磨き始めた。

「悠ちゃん、今日誕生日なんだって?」

 カウンターの端に座っている老年の男性が悠へ尋ねた。

「はい。今日は弟がカレーを作ってくれるって言ってたので楽しみで」

 本当に楽しみにしているようで、るんるんと弾んだ音が聞こえてきそうだ。初めて会った赤の他人だけれど、こんなに嬉しそうなら見守る係になった甲斐があるかもしれない。ストローでアイスコーヒーを一口飲むと、華やかな香りと苦味が口に広がった。

「隣の家の爺さんに聞いたよ、血が繋がってないんだろ」

 突然のことに、何が起きたのかと思った。囁くような声だったけれど、老人の声が律にはしっかりと聞こえてしまった。店内の空気が凍りついたように感じる。信じられないと批難する視線をカウンターの端の老人へ投げてから、チラリと悠の顔を伺った。きっと、本当のことなのだろう。正直驚きはしたけれど、外見から判断したら意外ではない。ただ、悠が傷付いていたら嫌だなと思ったのだ。しかし律の心配をよそに、悠はパチパチと目を瞬かせただけだった。そして老人にそっと顔を寄せて、少し大きな声でこう言った。

「でもね、なぜだか俺に似て、超イケメンなんです」

 イタズラに笑った顔に、店内が一気に和やかな雰囲気になった。誰も傷つけずに空気を正すなんてすごいと素直に思った。もしかしたら、悠の人生では珍しい出来事ではないのかもしれない。ただ、何ができるわけでもないけれど、あの老人のデリカシーのなさは律が絶対に許さないと心に決めた。

 薄くなったコーヒーを啜っていたら、気がつけば時刻は19時を迎えようとしていた。悠を観察していたら案外面白くて、あっという間だった。そろそろカレーを作り終わった蓮と交代できるだろう。先ほど最後の常連客が帰っていったため、店の奥のキッチンにいる店主を除けば店内は律と悠だけになっていた。二人だけになると、律の性格上、少しウズウズしてくる。あのデリカシーのない老人のことを思い出したらムカムカしてきた。悠の対応は素晴らしかったけれど、「あれは許さなくていいと思いますよ」と言ってもいいだろうか。

「どうかしました?」

 突然悠から声をかけられた。チラリと目だけで伺うと、彼は心配そうな顔をして律を覗き込んでいた。悠にちゃんと言ってあげたい。でも、過ぎたことを蒸し返すことは果たして悠にとって良いことなのだろうかとも考えてしまう。律が何も言えずに黙っていたら、悠がポツリと何か言った。「さっきはありがとう」と言ったように聞こえたけれど、思わず「え?」と聞き返すと、今度はふわりと笑顔を向けられる。

「俺の代わりに怒ってくれたんだよね。君は少し、俺の弟に似てる」

 具体的にどの辺が似ているのだろうか。顔なら良いけど、性格はちょっと難ありみたいだから嫌かもしれない。義兄への愛が凄まじすぎる。そんなことを考えていたら、悠が慌てたようにワタワタとし始めた。

「いや、あのね。俺と違って、弟はすごく綺麗な子でね。ほら、血が繋がってないから俺と似てないの!性格も良くてね、だから、君のことを褒めてるんだよ!」

 こんなに必死に説明されてしまえば、悪い気なんてするはずがなかった。

「ありがとうございます、なんか嬉しいです」

 そう素直に伝えてみたら、悠はやっと落ち着いて、心から嬉しそうに笑った。

 スマートフォンが鳴って、蓮からのメッセージが届いたことを告げている。少し名残惜しく思いながらも、「ごちそうさまでした」と席を立った。そうしたら、奥から出てきた店主が「今日は俺の奢りだよ」とだけ言って戻っていった。

「だって。よかったね」

「はい。じゃあ、次はちゃんと払うためにもまた来ます」

「あはは!偉いね」

 笑顔の悠に見送られて店から出た。カランコロンという音に反応して、一番近くの街灯の下にいた蓮が顔を上げてずんずんと近づいてくる。

「律、なに俺の悠くんと楽しくおしゃべりしてんの?」

「おう。カレー、上手にできたか?」

「当たり前だろ。悠くんに食べさせるんだから」

「はいはい、よかったな」

 兄ちゃん、良い人だなって伝えようと思った。いや、良い人っていうより、もっと神聖な感じの人だった気がする。

「いや、あれは女神かもしれない」

 馬鹿馬鹿しいと思いつつも、思わず正直な気持ちが口をついて出た。まあ、人付き合いには共感が大事なわけだから、蓮も喜ぶだろう。そう思ったのに、蓮はどうしてかこの世の終わりのような顔をした。

「何何何!?この短時間で女神様という答えに行き着いたってこと!?」

 信じられないほど取り乱す蓮が面白くて、思わず揶揄いたくなってしまう。

「うん、あれは女神様。お前の兄ちゃん最高。可愛いし惚れちゃうね」

 イタズラ心で言ってみただけのつもりだったのだ。他意はない、はずだ。ところが蓮は急に無表情になって、きゅっと目を細めた。急に周囲の気温が下がった気がする。美形の無表情はただただ恐ろしい。

「……お前、どういうつもり?」

「いやいや、俺が蓮ならね、とっくに惚れてるって意味だよ」

 慌てたせいで、我ながら意味のわからない言い訳をしてしまった。いくら悠への愛が強い蓮でも、義弟が義兄に惚れるわけないだろう。と思ったのに、次の瞬間、律の両手は蓮によって握りしめられていた。何事かと蓮の顔を見ると、あまりにも嬉しそうに目を輝かせている。

「律って、本当に最高!その通り!」

 ブンブンと手を掴まれたまま上下に振られて、めまいがしてくる。えっと、つまり、蓮は悠に惚れているということなのだろうか。それって、実際なんかどうなんだろう。ちょっと考えてから、まあ嬉しそうだからどうでもいいかと思った。蓮にとったら律は最高らしいし、それって結構気分が良い。純粋にそう思った。

 その日から、蓮と律はすっかり仲良くなった。正直、義兄へのとめどない愛を語られてしまうといまだに引いてしまう。でも、それも彼の個性だと認めてあげることにしているのだ。それに、蓮や悠と関わっていると本当に飽きない。退屈だと思っていた高校生活が案外面白いのだ。この前は個人的に悠が働く喫茶店へ遊びに行こうとしたら悠を見守っていた蓮に阻止されて、仕方なく本屋に行こうと思ったら蓮目当ての不良に絡まれてしまった。律は己の可愛さを自覚しているために護身術と格闘技を習っていたからへっちゃらだったけど、悠を守るために必死な蓮が見られて非常に面白かった。そしてあの時律が倒した不良は、最近では悠のいる喫茶店へ通うようになったらしい。大きな体でカウンター席に座って、悠と楽しくおしゃべりをする仲になったようだ。不満を隠そうともしない蓮からそう教えられて、律は最高に面白いなと思ったのだ。これからも、二人には是非とも律を楽しませてほしい。そして少しばかりは、二人がどうか幸せでいてほしいなと思うのだった。



 野上理玖には、高校に入ってから親しくなった唯一無二の親友がいる。花岡悠だなんて可愛い名前の彼は、名前通りどうしてか可愛く思えてしまう不思議な存在だった。同じ苗字を持つ後輩のように特段美しい見た目というわけでもないのに、関わっているとどうしてか可愛く思えてしまう。本人としては自分に自信を持てずにいるようだけれど、そんなところでさえも好ましく思えるのだから不思議だった。

 昼休みの終わり、悠と他愛のない話をしながら音楽室に向かう。音楽の時間は割と好きだけれど、高校生にもなってクラス全員で歌うだなんて恥ずかしいなというのが正直な気持ちだ。それでも悠はいつでも一生懸命に歌ってて、そんなところが理玖には尊敬できる。二年になったある時素直にそう言ってみたら、「昔は弟によく子守唄を歌ったからね」と言われたことを思い出した。昔子守唄を歌ったことと現在一生懸命に歌うことのどこに因果関係があるのだろうかと思ったけれど、そんなことより弟がいるだなんて知らなかったから驚いたものだ。

 そんなことを思い出していたら、音楽室まで後少しのところで、廊下に人だかりができていることに気がついた。中央には、この高校で一番の人気者である花岡蓮。そしてその周りを女子生徒が囲んでいる。珍しい光景では無いけれど、理玖には少し思うことがあって、チラリと隣の悠をみた。彼はその集団を全く気にしていないようで、今日の夕食の献立の話をしている。そろそろキャベツを使い切らないといけないらしく、そんな平和な話なのにあまりにも深刻そうな顔は少し面白い。そんな悠相手に、少し試してみようと理玖はガバリと悠の肩を抱いた。

「そんな顔するなって。キャベツはスープにしたらカサが減るよ」

 そう言いながら今度は集団をチラリとみると、中央の花岡蓮と目が合った。恐ろしいほどの無表情なのに、ギラギラと光る目が恐ろしい。ああ、やっぱりなと思う。

「やっぱスープだよね。昨日もスープだったから弟が嫌がるかもしれないけど、仕方ないね」

 呑気にキャベツの消費方法について話す悠の傍、花岡蓮と数秒間睨み合う。「蓮くん?」という女子生徒の呼びかけに我に返った花岡蓮に、なぜだか勝ち誇ったような気持ちになった。悠と肩を組んだまま音楽室に入り、名簿順に席につく。そして後ろに座った悠を振り返り、手招きして、少しだけ顔を寄せた。

「あのさ」

「ん?なになに」

「悠の弟って、花岡蓮?」

 小さな声で聞いてみると、悠が驚いたような顔をして、わかりやすく慌て始めた。

「ち、違うよ。全然、違う」

「今、嘘ついてる時の顔してるよ」

「嘘なんてついてないもん」

「ふーん。そっか」

 理玖の中では十中八九正解だろうと思うのだけれど、もし蓮との関係を隠しているのなら、それなりの理由があるのだろう。今までもそれとなく弟の話題を振ると、意図的にはぐらかされてしまうことには気がついていた。親友として隠し事は少し寂しいけれど仕方がない。それ以上何も言わずにいたら、悠が数秒黙った後、意を決したように口を開いた。

「みんなには内緒にしてね」

「……やっぱり弟なんだ」

「義理のね」

 そう言われてから、途端に申し訳ない気持ちになった。事情があって隠していたかもしれないのに、興味本位で聞くべきではなかった。後悔して次の言葉を探していたら、悠が顔の前で手をブンブンと振ってきた。

「でもめっちゃ仲良いよ。昨日も一緒に寝たし」

「……え?」

「恥ずかしいけど、ちゃんと朝はチューもしてさ。本当、だから気にしないでね。顔は似てないけどさ」

 顔が似てないことなんて気にしたことがなかった。それよりも、一緒に寝ていることとか、チューとか、なんだそれは。とりあえず冷静になって、まず問題を一つずつ解決しようと悠の右肩に手を置いた。

「待って。一緒に、寝てんの?」

「うん。弟が勝手に布団に入ってくるだけだけどね」

「チューもしてるんだ」

「ほっぺだけどね。だから、他の普通の兄弟と一緒だよ」

 平然と話す悠に意識が遠くなる。普通の兄弟のことをなんだと思っているのだろう。でも、悠にとっての日常を真っ向から否定するのは気が引けて、精一杯言葉を探す。

「確かに、外国人はほっぺにキスくらいするもんな」

「そうそう。だから、義理でも仲良くやってるよ」

 仲が良すぎて不安だなんて、どうやって悠に伝えたら良いのだろうか。確かに、悠と理玖が絡んだ時の蓮の様子は、強い嫉妬と執着を感じて普通ではないと思っていたけれど、ただブラコンなんだと思っていたのだ。面白がっていたのに、それどころではなくなってしまった。でも、悠のためにも、やっぱり放置するのはいけない気がする。

「一緒に寝たり、チューしたり、嫌じゃないの?」

「義理とはいえ兄弟だから、それくらい普通だよ」

「非常に言いづらいんだけど、少なくとも俺はね。兄貴とも弟とも一緒に寝ないし、チューもしないよ」

「……えぇっ!」

 教室に響き渡るほどの驚愕に、「ちょっと、声が大きいよ」と、理玖は慌てて悠の口を両手で塞いだのだった。



 キャベツをたっぷり入れた鍋をコトコト煮込みながらかき回す。そんな中で、悠は音楽室での理玖との会話を思い出していた。まさか、蓮と兄弟であることを勘付かれるとは思っていなかったし、正しい兄弟としてのあり方を教えられるだなんて思わなかった。普通の兄弟は一緒に寝ないしチューもしないらしい。流石にチューについてはおかしいのかなと思ってはいたけれど、まさか本当におかしなことだなんて、正面から叩きつけられるとショックだった。

 ガチャリと玄関が開く音がする。蓮が帰ってきたとわかったのに、どうしていいのかわからない。「俺たち、普通じゃないらしい」と言ったとしたら、蓮は悠みたいにショックを受けるのではないだろうか。

「ただいま」

 蓮がリビングの扉を開けて部屋の中へ入ってきた。

「お、おかえり」

 少し振り向いてはみたけれど、蓮の姿を直視することができない。

「悠くん?どうかしたの」

 察しの良い蓮が鞄を床に置いて近づいてくる。悠は昔から蓮に隠し事ができないのだ。隠していても、すぐに気づかれてしまう。蓮はキッチンにいる悠に近づいてきて、横から顔を覗き込んできた。

「学校で何かあったの?」

「いや、何もない」

「嘘だ。嘘ついてることくらい、俺にはわかるよ」

「もうちょっと考えさせて」

「やだ。悠くんが困ってるのに放って置けないよ」

「……それじゃあ話すよ。蓮、落ち着いて聞いて」

 悠はコンロの火を消して、それから蓮に向きあった。高い位置にある蓮の顔をまっすぐに見上げる。蓮は心底悠を気遣うような顔をしていて、悠の心はひどく痛んだ。

「兄弟は、一緒に寝ないらしい」

「……え?」

「チューもしないって」

「……」

 驚くだろうと思ったのに、蓮は思ったよりも冷静な様子で悠を見つめ返してきた。思っていた反応ではないけれど、もしかしたら相当ショックを受けている可能性もある。悠は諭すように蓮の腕にポンポンと触れた。

「驚いただろ?だから、寂しいかもしれないけど、今日からは」

「やだ」

 突然の否定に、悠は一瞬ポカリと口を開けて驚いてしまった。でも、話はこれからなのだ。義理とはいえ兄貴として、間違っていることは正さないといけない。

「ちょっと、まだ最後まで言ってないよ」

「悪いけど、知らない。よそはよそ、うちはうち」

「そういうわけにはいかないよ」

「なんで?どうせ俺たちは普通の兄弟じゃないんだからいいでしょ」

「だからね」

「俺は悠くんのことが好きだからね」

「俺だって蓮のことが大好きだよ。でもね」

「いや、俺は悠くんのこと愛してるもん」

「そりゃ、俺だって…」

 あれ、と思った。なんだか話がズレてしまった気がして、慌てて修正しようと頭をフル回転させる。その時、突然額に触れた湿った感触。驚いて思わず両手で額を抑えると、蓮は今までで一番綺麗な笑顔で微笑んでいた。ああ、なんて綺麗で可愛いのだろう。そう思っていたら、蓮は悠の顔を両手でそっと包んできた。

「俺のこと、愛してるんだね。同じ気持ちだなんて嬉しい」

「え?」

「二人でずっと一緒にいようね。俺たち、兄弟だし、家族だし、恋人だからね」

 それはちょっと違うだろうと思ったのに、蓮があまりにも嬉しそうだから、心のどこかでそういうことにしてあげてもいいかもしれないと思ってしまった。大事な弟の言うことは聞いてやらないといけないだろう。でも兄貴としてやられっぱなしは気に入らなくて、悠はずいっと蓮に顔を近づけた。

「俺たち、いつから恋人になったわけ」

 悠がそう聞くと、今度は今までで一番幸せそうな顔をして、「もちろん、ずっと前からだよ」と蓮は言った。



 焦茶色の木製の扉を開けたら、カランコロンと軽快な音がした。昼を過ぎた時間にも関わらず、店内はそこそこ賑わっている。

「いらっしゃいませ」

 そう声をかけてきたのは予想通り、親友の悠だった。二ヶ月ほど前からこの店でアルバイトを始めた彼は、今では店に欠かせない存在になっているらしい。

「理玖!ここ、どうぞ」

 驚いた顔をした悠にカウンター席に案内される。大人しく、灰色の制服を着た見るからにヤンキーの隣の席に腰掛けた。ちょっと嫌だなと思いつつメニューを見ていたら、テーブル席の接客から戻った悠が「ご注文は?」と聞いてきた。

「ナポリタンと、アイスティー」

「店主いないから俺が作るけど、大丈夫?」

「いいよ。悠の料理、食べてみたかったし」

 理玖がそう言うと、右から視線が突き刺さった。チラリと伺い見ると、灰色ヤンキー、可愛い顔の男の子、それから花岡蓮の順で理玖を睨みつけている。

「ナポリタンは蓮の方が上手なんだけどね」

 彼らの視線に気がついていない悠がそう言う。すると、蓮があまりにも嬉しそうに席を立った。

「そうだね、俺が作ってあげる」

「え、いいよ。今はお客さんだろ」

「いいの。俺が作る」

 悠の静止も聞かずにカウンターに入って行く蓮はすでに黒の長袖シャツを腕まくりして、やる気満々といったところだ。

「激辛にするとかは勘弁してね」

 理玖が一応そう言ってみると、蓮は理玖を軽く振り返り、小さく舌打ちした。

 すぐに出来上がったナポリタンは、それはそれは絶品だった。ご厚意で可愛い顔の男の子と灰色ヤンキーにも少しずつ振る舞われて、随分と気前がいい。

 シャツの袖を元に戻しながらカウンターから出てきた蓮に、理玖は思わず話しかけた。

「ナポリタン、超美味いよ」

 すると蓮は一瞬嫌そうな顔をして、それから取り繕ったように笑顔を見せた。

「これは、お礼なので」

「お礼?」

「俺と悠くんが今まで以上に特別な関係なんだと再確認できたのは、あなたのおかげなので」

 耳元で「ありがとうございます」とだけ言って、蓮は席に戻っていく。

「理玖?変な顔してどうした?」

 奥のキッチンから出てきた悠が、理玖を心配そうに伺ってきた。まさか、この間音楽室で悠の認識を正してやったのに、それが上手くいかなかったということだろうか。「いや、何でもないよ」と言って、改めてナポリタンに向き直ろうとしたところで、隣から灰色ヤンキーの視線を感じる。思わず振り返ると、彼は理玖の耳に顔を寄せて、こう聞いてきた。

「悠くんって、花岡蓮のこと好きなんですかね」

 なんと言っていいかわからなかったから、「蓮が悠のこと好きなんだよ」と知っている事実だけを言ってみた。そうしたら「そんなの知ってます」と怒られて、なんだか釈然としない。

「悠くん、今日は俺が夕飯のカレーを作るからね」

「蓮の誕生日なのに、蓮が俺の好物作るのってやっぱり変じゃない?」

「いいの。作ってあげたいの」

 仲の良さそうな会話に、悠のために悩んでいることが馬鹿みたいに思えてくる。まあ二人が幸せならなんでもいいか。大事な親友が日々楽しく幸せに生きているなら、それでいいのかもしれない。理玖が色々な心配を諦めてフォークにくるくると巻いたナポリタンを口に入れたら、隣の灰色ヤンキーが焦ったように、「マジで、どんな関係なんだ」と呟いた。

最後までお読みいただき、ありがとうございました!

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