第06話 フラグメント
俺たちは都市中央にそびえる巨大な建物に入った。
途端──ゾワリと背筋に寒気が走った。
空気が淀んでいる。明らかに“何か”がいる。
俺は仲間を見渡す。
どうやら、全員が感じたようだ。
よし、すぐに戦闘態勢を──と叫びかけたが。
全員派手な音を立てながら、ノロノロと動いている。
大量の宝石、金貨、さらには銀製の器など、持てるだけの財宝を離そうとしないのだ。
「お、お前ら……っ! 荷物を置け!!」
俺の呼びかけに次々と不満の声が上がるが、やがて渋々と陣形が組み上がっていった。
前衛は俺とモヒカン。
中央にリスティア。後方にセラ・ミア・リサの三人。
リサが魔法で周囲を照らすと、明かりの先──
ゆらり、と何かが現れた。
「……人?」
いや、違う。
それは、人の形をしているが、人ではないものだった。
全身が煤のように黒く塗りつぶされ、顔も、性別も判別できない。
ただ、闇そのものが歩いてきているような、そんな異様さ。
「セラ、こいつ……魔獣か?」
俺はセラに問いかけた。
書物型の魔導ギアを構えたまま、セラは小さく首を振る。
「見たことありません。でも……魔獣じゃないと思います」
そうだな。
魔獣どころか……こいつからは生命の気配を感じなかった。
不気味な沈黙を破るように、モヒカンが一歩前に出る。
「なんや知らんが……邪魔や!」
そう言って、釘バットが唸りを上げる──が。
バットは、影の身体をすり抜けた。音すら立てず、空を裂くだけだった。
「!?」
何の手応えもなく、モヒカンが慌てたその瞬間。
影がゆっくりとした動きで手を伸ばしてきた。
直感が告げた──あれに触れたら、まずい。
「下がれっ!」
叫ぶと同時に、俺は身を投げ出してモヒカンを庇おうとした。
だがその刹那、背後から閃光が走る。
無数の光の矢が俺の肩越しに飛び、流星のように影に撃ち込まれた。
ぴしり、と何かが砕けるような音。 影は身をよじり──煙のように、すっと消えた。
振り返ると、リスティアが杖を掲げていた。 その表情はいつになく真剣で、瞳には揺るぎない意志が宿っている。
……助かった。
物理が通じない相手だった。もしリスティアがいなければ、俺にも手はなかった。
「さっすがセンセー! 感謝しろよっ!」
得意げなミアの声が響く。
いや、お前は何もしてないだろ──心の中でツッコミながら、俺は小さくため息をついた。
ふと、さっき影がいた方向を見ると、床に何かが落ちていた。
虹色に輝く、小さな欠片。 モヒカンの釘バットを借りて突いてみると──どうやら、実体がある。
そっと手に取った瞬間、胸の奥にざわりと感情が流れ込んできた。
──これは、誰かの記憶……恐怖、憎しみ……。どうして、こんなにも……
ふっと、その記憶が途切れる。
俺は手の中の欠片を見つめ、そしてリスティアに差し出した。
「なあ、これ……何なんだろうな」
リスティアは首を振る。 彼女にも分からない──そんなものが、この遺跡には眠っているのか。
そう思ったその瞬間、ゾクリと背筋を撫でる気配が走る。
──囲まれている。複数の影が四方から忍び寄っていた。
と、次の瞬間。
ゴウッという音と共に、俺たちを囲むように炎の壁が立ち上がる。 迫っていた影の群れが、一斉に燃え尽きていった。
ミアが杖をバトンのようにクルクルと回しながら、満面のドヤ顔で決める。
「どーよ☆」
……今のは、ナイスだ。
***
その後も影に何度か遭遇したが、リスティアとミアの攻撃魔法で対処できた。
結果的に、魔法職多めのパーティ編成が功を奏した形だ。
どうやら、ここでは俺とモヒカンは役に立ちそうもない。
リサは、「私も何か役立ちたいのに」と、しきりに悔しそうにしていたが。
まあ、今後に期待だ。この経験も修行のうちだろう。
それより問題は、セラは完全に見せ場がないので無口だった。
……まあ、ヒーラーだからな。仕方がない。
影が落としていく虹色の欠片は、一応回収しておいた。
だが俺は、胸の奥のざわつきが次第に大きくなっていくのを感じていた。
欠片が見せる記憶──それが、俺自身の記憶と奇妙にシンクロする瞬間があるのだ。
だがまだ、それははっきりとした形にはなっていなかった。
やがて、建物の最上階にたどり着いた。
そこに影はなかった。
ただ、ひとつだけ落ちていた欠片。
他のものよりも大きく、虹色のきらめきも強い。
それに触れた瞬間──俺は、思い出した。
エステル。
期間限定イベント。
アリサとは別の時代、別の場所を描いたアナザーストーリー。
次回作のプロトタイプじゃないかとも噂されていた。
俺は石目当てに周回していた。
だが、気づけば彼女の物語に惹き込まれていた。
歌が好きな少女。
その声音は、癒しと安らぎそのものだった。
歌姫を夢見て、恋と希望を胸に歩んでいく──そんな青春のストーリー。
……だったはずなのに。
欠片が見せた記憶は、俺の知っているシナリオとはまるで違っていた。
どす黒い気配。
それが、エステルに取り憑いていた。
彼女の歌声に乗せて、悪意と絶望を、この都市にばら撒いていたのだ。
隣で、リスティアが青ざめた表情で呟く。
「黒い精霊……WSO指名手配の。
それに、この精霊共鳴……“負の感情を増幅する波動”なんて、聞いたことがない……」
セラとミアは、さらに血の気が引いていた。
だが、恐怖が体の芯から沸き起こるだけで、それが何なのか思い出せないという。
エステルが見せた、最後の記憶。
それは、錯乱状態で互いに争う人々と、沈みゆく都市の姿だった。
リスティアの推測によれば──
この都市を沈めたのも、全体を包んでいる結界や門の封印も、WSO加盟精霊による実力行使だろうという。
そして、俺たちが遭遇してきた“影”。
あれは──おそらく、この都市に生きていた人々の、残留思念。
俺は思う。
この世界は……もしかしたら、エステルの物語の“バッドエンド”の、その先にあるのかもしれない。
ゲームには、いくつものIFストーリーがある。
分岐の先に存在する、“もうひとつの世界”。
ここにあるのは──最悪の結末。
……それが、ただのゲームの中だけの話だったなら、どんなによかっただろう。
けれど。
もし“ゲームで終わらなかった”としたら?
アリサの物語が、もしバッドエンドに進んでしまったら──
この世界は、いったいどうなってしまうんだ?
……それに、あの黒い精霊は、いまだWSOの追跡から逃れている。
言いようのない恐怖が、俺の背を冷たく撫でていった。
そして、エステル。
あんな終わり方──俺は、見たくなかった。
もし俺が、君のいた世界に転生していたのなら……きっと、何かできたはずだ。
……分かってる。
そんなIFを考えても、どうにもならない。
だけど、やりきれない気持ちだけが、胸の奥に残ったままだった。
俺たちは静かに、遺跡を後にした。
***
「ボスー! お宝、たんまりでっせ!」
地上に戻ってきたモヒカンが、嬉しそうに声を上げる。
成果は上々。
山のような財宝を目にして、はしゃいでいた。
「あたし活躍したもんね、取り分は9:1でしょ。そこのモヒカンは役立たずだったから──ナシ! ナシ!」
ミアがわめく。
セラも負けじと応戦していた。
「ここまで疲れなかったのは、私のヒーリングのおかげなんですけど?
……まあ、私はミアさんみたいに欲深くないから、8:2で我慢しても良いけど」
……こいつら。
バカみたいなやりとりを聞きながら、俺はどこかホッとしていた。
仲間がいる。
ホワイトな未来を、目指す理由がある。
きっと、アリサにも──。
それが希望だと、俺は信じたかった。