第05話 合言葉
その遺跡は、今では人の近寄らない荒野の中にあった。
かつてこの地には、現在の王国が成立するよりもはるか以前──別の国家が存在していたらしい。
だが、その文明についての記録は、いまや一片たりとも残されていない。
風雨にさらされてひび割れた石柱、苔むした建物の土台らしき構造物が、ぽつぽつと点在しているだけ。
一見したところ、ただの忘れ去られた遺跡だった。
「……地表には何もないけど、地下に都市があるんだよね」
レナの言葉だった。
彼女の見立てでは、おそらくは大規模な地盤沈下によって、都市そのものが地中に沈んだのだという。
俺たちは慎重に周囲を調べ、やがて地下へと続く道を見つけた。
いかにも人工的な階段だ。これは偶然にできた穴などではない。
リサが手にした杖を軽く振ると、先端に淡い光がともる。
やわらかな光が足元を照らし、暗い通路に心細さを打ち消してくれた。
しばらく続いた下り坂の先──
「……うそでしょ」
セラの呟きが、静寂のなかに落ちた。
視界が開けたその先には、かつての栄華を偲ばせる、巨大な城塞都市の全景が広がっていた。
石造りの街並み、そびえる城壁──
地下に広がる廃都。まさに“沈んだ都市”だった。
俺たちは、しばし言葉を失ったまま、その光景を見つめていた。
「ボス! こいつはお宝ザックザクやで!」
モヒカンが両拳を突き上げ、テンション爆上がりで叫ぶ。
もちろん、俺の胸も高鳴っていた。遺跡、廃都、財宝──冒険心をくすぐる要素がそろいすぎている。それが手つかずときた。
だが、すぐに現実の壁が立ちはだかった。
「……門が開かねえな」
正面の門は頑として閉ざされたまま、びくともしない。周囲に開けそうな仕掛けも見当たらない。
「なあ、リスティアの飛行魔法で上から入るってのはどうなんだ?」
何も正面突破にこだわる必要はない。上から強行すればワンチャンあるかもしれない。
しかし、リスティアは少し難しい顔をした。
「う〜ん、そういうのは……ちょっと難しいかも」
「なんで?」
「精霊さんにも中の様子が分からないんだって。たぶん、かなり強力な結界で遮断されてるんじゃないかな〜」
なるほど、ただの物理障壁ではなさそうだ。
過去に城壁をよじ登ったり、門を破壊して無理やり侵入しようとした奴もいただろうが、何らかの対策はされているのかもしれない。
俺は門の前で立ち止まり、あたりを見渡した。
さて──この扉を開ける「鍵」は、どこにある?
「ねー、センセー。ここ、なんか書いてあるよ?」
ミアが、壁をゴンゴンと杖で叩きながらリスティアを呼んだ。
……頼むから、遺跡を雑に扱うな。
「あっ!」
ミアが不意に声を上げた。
「杖のデコ、取れちゃった。
エミリアさんにもらったキラキラの石、気に入ってたのに……」
魔導ギアも、丁寧に扱おうな。
気を取り直してリスティアと一緒に近づいて見ると、確かに壁面に文字らしきものが刻まれていた。
ただ、その文字は俺には読めなかった。転生後はこの世界の言語に不自由していなかったが──これは別だ。
「うーん……これ、たぶんルミネアエンタ語かも」
リスティアが目を細めて呟いた。
「ルミネアエンタ語……?」
思わず聞き返す。
「うん、かなり昔の言語だけど。WSOの契約術式の一部にあるから、少しなら……」
俺の背筋に、ぞわりと奇妙な感覚が走った。
ルミネア・エンターテインメント──それは、銀翼のシャリオの開発会社の名前だ。
リスティアは壁に書かれている文字を読み上げた。
「合言葉は、“恋のイケメン☆ナイツ”……なんだろ、これ」
なにそれ、ダッサ~と、ミアが爆笑した。
俺は震えた。
そいつは、銀シャリのテーマソングだ。
歌詞も振り付けも、俺の魂にしっかり刻まれている。
もちろん、ライブイベントにも行ったさ──最前列でな。
まさか、これが“扉を開く鍵”だというのか?
歌∶小林みこ(アリサ=グランフィール役)
作詞∶五反賀すすむ
作曲∶クリスタル兄
「“恋のイケメン☆ナイツ ~乙女は騎士の夢を見る~”……だと?」
思わず、サブタイトルまで込みで呟いてしまった。
その瞬間、皆の視線が一斉に集まった。
ミアが、じっと俺を見る。
「知ってるの?」
……やばい。
背中に冷たい汗が伝う。
しかし、下手なごまかしは通用しない気がした。
そこに、モヒカンが割って入った。
「さっすがボスや! その智謀は底なしやでぇ!」
どこでそう思った。
セラが圧をかける。
「何か知っているなら、教えてください。ここまで来て、手ぶらは嫌ですよ?」
リサは期待の眼差しで見ていた。
……これは、覚悟を決めるしかないのか?
皆の視線に捕らえられ、逃れる術を失った俺は、あーあーと、喉の調子を整えた。
「ときめく鼓動が惹かれ合うの♪…………」
そして歌いだした。
リスティアが嬉しそうに、手拍子を入れてくれる。
ときめく鼓動が 惹かれ合うの
あなたと出逢った その瞬間から
世界は回り出す 乙女のファンタジー
騎士のきらめき 正義の剣
夢で踊るわ 運命をこえて
あなたと叶える 乙女のファンタジー
俺が歌い終わると、あたりはしばらく静寂に包まれた。
にこにこしているリスティアを除いて──皆の視線が、痛い。
だが──
何も、起きなかった。
…………おいっ!!
俺が小声でツッコむと、リスティアが壁の文字にふと視線を落とす。
「……あっ」
不穏な予感。
「ここ……“三番まで”って書いてある」
***
俺の精神は削られた。
だが、門は……開いた。
音もなく、扉が左右に動き、地下都市への入口が現れる。
勝利のはずだ。
だが、心が晴れないのはなぜだろう。
──いや、分かっている。
ミアはずっと、ニヤニヤした目でこっちを見てくるし、セラは視線を合わせようとすらしない。
くそっ。
「団長、よかったですー!」
と、リサが健気に拍手してくれたが、そのフォローが今は胸に刺さる。
そして、モヒカンは黙して何も語らなかった。
……気を取り直して、前に進もう。
この先は何があるか分からないのだ。
俺たちは、上から見たときにひときわ目立っていた、都市の中央にある建物を目指すことにした。
***
都市は、“結界”とやらに守られていたせいか、風化はほとんど見られなかった。
王国の都市とよく似た、中世ヨーロッパ風の街並み。
だが、道は割れ、建物は倒壊こそしていないものの、随所にひび割れや崩落の跡がある。
まるで……何か、大規模な戦闘でも起きたかのような。
俺たちが目指すのは、都市の中央にそびえる巨大な城のような建物だった。
その高さは、地下空間の天井にまで届きそうなほどだ。
ここに、かつてどんな文明があったのか──
俺は仲間たちをちらりと見やる。
皆、持てるだけの宝石やら金貨やらを抱えていた。
ここまでの道中、調査──という名の物色を繰り返しながら進んできたのだ。
なんて強欲な連中なんだ。さすが、盗賊と冒険者だ。
──いや、それだけじゃない。
リスティアですら、首からジャラジャラと宝石をぶら下げてご満悦そうに「乙女のファンタジ〜♪」と歌っている。
……まあ、ホワイト盗賊団の運営資金はいくらあっても困らないしな。
けれど、今回の最終目的はそこじゃない。
精霊炉に協力してくれる精霊が喜ぶような、「お宝」を見つけること。
──ここに、それがあるといいんだが。
俺は建物を見上げ、ふと胸の奥に小さなざわめきを感じた。