第20話 未来への導き
王都騎士団、執務棟。
ベアトリスの執務室は、静謐と荘厳に満ちた空間──のはずだった。
だが、この日ばかりは様子が違っていた。
ベアトリスは、いつも通り微笑を浮かべて、重厚な執務机の椅子に腰掛けている。
──けれど、彼女の前に立つミレーヌの勢いに、完全に押されていた。
ミレーヌは机に両手をつき、ぐいっと身を乗り出す。
「で、私、決めたんです!
この国を良くしたいんです。誇りをもって生きていきたいんです!!
ベアトリス様は、ずっとこの思いだったのに……私、全然気づかなくて……」
そこまで言って、ミレーヌは俯いた。
一転して静まり返る室内。
ベアトリスが恐る恐る様子をうかがおうとした、そのとき──
突然、ぐわっと顔が上がった。
「もう大丈夫です! 私がいます!!」
あまりの勢いに、ベアトリスは微笑を崩さぬまま、背を反らせた。
──その背後から、冷静な声が響く。
「全然大丈夫じゃないわよ……どうして、そうすぐに興奮するの?
本当にアリサさんにそっくり」
セリーナだった。
ミレーヌは、バッと振り向き、声を荒げた。
「ちょっと、一緒にしないでよ!」
“アリサと同類”──
この言葉が効くことは、すでに学習済みである。
ベアトリスは、困ったように目を伏せ、それからセリーナへ、そしてリュシアンへと視線を投げかけた。
このふたりは、司書室での話が終わるなり「善は急げよ!」と飛び出して行ったミレーヌを追いかけてきたのだ。
何をしでかすか分からない。
かつては、ベアトリスの“光”とアリサの“灯”との間で揺れ、不安定だったミレーヌ。
……だが、吹っ切れた今は今で、また別のベクトルで危なっかしい。
セリーナは、小さくため息をついた。
その隣で、リュシアンが静かに口を開く。
「あの……ベアトリス様。
言ってくれましたよね。正しい判断をするには、正しい知識が必要だって。
知った上で考えて欲しいからこそ、あの日、ボクたちに“現実”を教えてくれたんだと思っています」
穏やかな口調で言葉をつなぐ。
「……その現実は、確かにつらかった。
でも、諦めるんじゃなくて……変えたいと思ったんです」
ベアトリスは、落ち着きを取り戻したように、両手を机の上に重ねた。
リュシアンはさらに続ける。
「でも、気持ちだけじゃ変えられない。
導いてくれる誰かから学び、実践して、次の誰かへ伝えていく必要がある……。
ミレーヌさんは、ベアトリス様から学びたいんです。そうですよね?」
「そう、その通り!」
ミレーヌは勢いよく頷いた。
そして、背筋をしゃんと伸ばし、まっすぐにベアトリスを見つめる。
「彼の言うとおりです。
私は、ベアトリス様から“正しい秩序のかたち”を学びたい。そして、それをもとに、この国を変えていきたいんです。
私だけじゃありません。セリーナも、リュシアンも!」
……ん?
リュシアンは、一瞬言葉を失った。
いつの間にか自分が頭数に入れられていたことに気づき、内心で焦る。
(え、ボクも……?)
しかし、否定できる雰囲気ではない。
いや、賛成か反対かと言われれば……賛成だ。たしかに、自分もそう思っている。
そんな彼の戸惑いをよそに、ミレーヌは話を続けた。
「ベアトリス様、お願いです。一緒に立ち上がってください。
私たちが全力で支えます。
そして……誇りを取り戻した国を、次の世代へと受け継ぎたいんです」
ベアトリスは静かに思う。
この子たちには、かつて王国の真実を語ったときに見せていた“絶望の表情”が、もうない。
──その理由は、分かっている。
アリサの灯が、彼女たちを立ち上がらせたのだ。疑いはなかった。
それは、素直に嬉しかった。けれど──
光を失った今の自分に何ができるだろう。
「ミレーヌ」
ベアトリスは彼女の名を呼び、まっすぐにその目を見据えた。
「それが、あなたの“騎士”としての生き方なのね。
……よく言ってくれました」
「じゃあ……!」
勢いづくミレーヌを、ベアトリスは手で制した。
「でも……とても説明しづらいのだけれど……。
私にはもう、誰かを導いていけるような“力”が──」
言葉を慎重に選ぶベアトリスに、ミレーヌはあっさりと言い放つ。
「ああ、精霊共鳴のことですよね?
でも、それって必要ですか?
私は、“あなた”という人に、ついて行きたいんですけど」
ぽかんとするベアトリスに構わず、さらに言葉が続く。
「ここにいる全員、分かってますよ」
ミレーヌは、いつも冷静沈着なベアトリスが初めて見せる表情に、ニヤニヤといたずらっぽい笑みを浮かべた。
「まあ……たしかに、最近までは精霊共鳴の影響はありましたけど?
すっごく強烈なの、もらいましたからね」
そう言って、わざとらしく肩をすくめ、身をよじって見せる。
だが──ふいに、その顔が静かに曇った。
「……あの頃の私は、“光”だけがすべてだと思ってました。
ううん、今だって……まだ、そうかもしれない」
その言葉にベアトリスは、はっと息をのむ。
彼女は悟った。
かつて、自分が理想の秩序を信じ、願い、そして放っていた精霊共鳴。
それは確かに、ひとつの“希望”だった。
──だが、それは。
ミレーヌにとって、“光に満ちた魂の牢獄”でもあったのだ。
あの、自己犠牲に近い献身も。
アリサがあらわれてからの、揺らぎと苦悩も。
そのすべてが──
(私は……なんてことを)
ベアトリスは、静かに顔を伏せた。
自分の心が正しければ、精霊共鳴の波動もまた正しく作用する。
そう信じて疑わなかった。
それが、どれほど傲慢だったか──
いまさらながら、思い知る。
……喉の奥が震える。
どう償えばいい?
なにを、どう贖えばいいの?
わからない。けれど。
それでも、謝らなければ──。
言いかけた、そのとき。
「いいんです」
ミレーヌのやわらかな声には、赦しがあった。
「私は、光を信じたことに、後悔はありません。
そして今は──ベアトリス様の理想を、私の手で叶えたい。
私自身と、この国の未来のために」
アメジストの瞳に、まっすぐな微笑が映る。
その口元が、ゆっくりと開いた。
「……導いてもらえますか?」
──ベアトリスは、新しい希望を、またひとつ見つけた。
その希望は、諦めかけていた自分に立ち上がれと言ってくれる。
精霊のまなざしが自分から外れたことに、もし意味があるのだとしたら……。
それはきっと、このためだったのだ。
静かに頷くベアトリス。
ミレーヌは小さく息を吸い込み、胸の前でぐっと両こぶしを握りしめた。
***
「……それで、あなた。レイラさんのことで相談があったんじゃない?」
セリーナが冷静な声で問いかける。
そもそもの話の入り口は、そこだったのだ。
ミレーヌは「ん~」と額に手を当ててしばらく考え込み、あっさりと。
「ああ、忘れてた」
セリーナが呆れるのも構わず、ミレーヌはベアトリスに向き直る。
「契約労働者の件で報告書にあった、あの記者のことですが──
彼女のことを、ガーランド団長に調査されるのは危険だと考えています」
そう前置きした上で、これまでの経緯を説明していく。
「国外の情報を……」
ベアトリスは、眉根を寄せて考え込んだ。
確かに、ただの記者とは思えない。
他国──あるいは、WSO(世界精霊機関)の関係者である可能性もある。
仮に他国の諜報員であれば、見返りもなくアリサに情報提供するとは考えづらい。
懐柔を狙っているのかもしれないが、リスクが大きすぎる。
それに、新兵一人にそこまでの価値があるとも思えない。
……となれば、WSOの線のほうが現実的だ。
アリサの精霊共鳴。
契約労働者に対する取材活動。
──状況的には、すべてが符合している。
もし本当にWSO関係者だとすれば。
この国の未来を考えるなら、世界との関係改善は避けて通れない。
そして──もしかすると、彼女がその糸口になるかもしれないのだ。
(この国は、いま確かに動き始めている)
希望がようやく芽吹こうとしている。
ならば、そんな芽が踏みにじられるようなことは、決してあってはならない。
「レイラさん──彼女の身の安全を最優先に。急ぎましょう」
そしてベアトリスも、彼女の戦いに踏み出そうとしていた。




