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第18話 司書室にて

王都騎士団の資料室。

そこはベアトリスの管轄下にあり、秘書官であるセリーナが司書も兼ねていた。

本をこよなく愛する彼女にとって、この場所は何より心安らぐ空間だった。


資料室の奥には、“司書室”と呼ばれる小部屋がある。

事務机と、小ぶりなテーブルを挟んで向かい合う椅子が二脚。

簡素ながらも、隅々まで整えられたその部屋には、彼女らしい静けさと清潔感が満ちていた。


今、セリーナはその椅子に腰を下ろしていた。

深緑の髪を三つ編みにまとめ、薄いガラスの眼鏡の奥には、知性の光を宿す(みどり)の瞳。

凛とした立ち居振る舞いと、すっと通った鼻筋が、彼女の静かな印象を際立たせている。


そんなセリーナと、向かい合って座っているのは──リュシアンだった。


「精霊……共鳴?」


(みどり)の瞳が、かすかに揺れる。

聞き慣れない言葉だった。

彼女はこの資料室にある書物の大半を頭に入れている自負があるが、その語句にはまったく覚えがなかった。


リュシアンは、アリサが契約労働者の青年・ライネルと話していた際に起きた、ミレーヌの“異変”について説明していた。


セリーナなら、軽率に他言することはない。

共同調査任務を経て、リュシアンには彼女への信頼と敬意が芽生えていた。

だからこそ──話すことにためらいはなかった。


「はい。アリサさんには、その“精霊共鳴”という力があります。間違いなく。

そして……おそらく、ベアトリス様にも」


いまなら、リュシアンにもわかる。

彼がベアトリスを見て感じていた、太陽のような光のオーラ。

あれは、精霊共鳴だ。


リュシアンは、王立図書館で読んだ書物の知識をもとに、説明を続ける。


精霊共鳴とは、本人の意思とは無関係に、“精霊の観測”によって発生する波動である。

そして、その波動にはいくつかの種類があり、周囲の人間の心に影響を与える。


「人の……心に?」


セリーナの顔が(くも)る。

その反応は予想していた。リュシアンは補足を忘れなかった。


「はい。ただし、それはあくまでも“きっかけ”です。

それを受け取って、どう動くかは本人次第──たとえば、誰かの生き方に感動して、自分もああなりたいと思うことがありますよね。

精霊共鳴は、それとよく似たものだと考えてください。強制力はありません」


けれど──と、リュシアンは声を少し落とす。


「……受け取る側にも“資質”があります。“精霊交信”と呼ばれるものです。

資質が低ければ、波動は届きません。けれど、高すぎる場合──

過剰に波動を受け取り、心の均衡が崩れてしまうこともある」


セリーナは、リュシアンの言わんとしていることをすぐに理解した。


「……ミレーヌが、そうだというのね」


こくり、と(うなず)くリュシアン。

意図が伝わったと感じたタイミングで、彼は再び口を開いた。


「ここからは……あくまで仮説です。

けれど、ミレーヌさんの不安定さは──その原因は、ベアトリス様にあるのではないかと考えています」


セリーナが眉を寄せ、眼鏡のフレームにそっと指を添える。

しかし、余計な口は挟まない。

まずは相手の話を聞く──彼女の基本姿勢だった。


……だからこそ、慎重に言葉を選ばなければならない。

リュシアンは、真正面からセリーナの瞳を見据えた。


「精霊共鳴──つまり“精霊の観測”は、誰にでも起きる現象ではありません。

どうすれば選ばれるのか、その基準は不明ですが……。

観測の対象は、時に“移り変わる”ことがあるそうです」


セリーナの瞳が、わずかに細められる。何かを察したようだった。

リュシアンは、彼女の中で静かに……そして深く情報の整理が行われるのを待った。


「……つまり、精霊のまなざしが──

ベアトリス様からアリサさんへと移った、ということね。それが、きっかけだと」


リュシアンは静かに(うなず)いた。


セリーナの脳裏に、あの日の光景がよみがえる。

アリサとベアトリスが出会った日に、ミレーヌが見せた過剰ともいえる激昂。


その後も、あのふたりは、アリサの存在をどこか気にしている様子があった。


ベアトリスの精霊共鳴が、消えつつある。

それは、ミレーヌにとって耐えがたい喪失だったのだ。


そして、アリサが持つ新たな波動。

彼女の心はその揺らぎに晒されながら──まだ受け入れることができずにいた。


……すべてが、腑に落ちた。

ミレーヌの、一見すると不可解な言動の理由はこれだったのだ。

ただ。自分には、その世界を感じることはできなかった。

きっと、“精霊交信”の資質が、それほど高くはないのだろう。


考えに沈むセリーナの前で、リュシアンは口を開いた。


「……このことを、ミレーヌさんにも伝えるべきか迷いました。

けれど、あの人はもうわかっている。そんな気がします」


セリーナは静かに(うなず)いた。


「そうね。“精霊のまなざし”という概念までは届かなくとも……

本質は、きっと感じ取っているはず。

それをわざわざ言葉で説明しても、どれほどの意味があるかしら」


大切なのは、自分がそれを理解し、そっと彼女の支えになること。

セリーナも、リュシアンも、その思いは同じだった。


だが、それとは別の懸念がセリーナの胸をかすかにざわめかせていた。

思わず、言葉がこぼれる。


「……ガーランド団長」


不意にあげられた名に、リュシアンの目に動揺が走る。

その反応を見て、セリーナは静かに説明を加えた。


「ベアトリス様の精霊共鳴が弱まっているという話──

それは、騎士団内部の力関係にも大きな影響を及ぼしているわ。

これまでは、ベアトリス様の穏やかな秩序……精霊共鳴が、ひとつの抑えになっていた。でも今、その均衡が崩れつつあるの」


セリーナには、確信があった。

民意を顧みず、義賊や契約労働者たちに力を振るおうとするガーランド。

ベアトリスは本来、内なる抑止として機能していたはず。

けれど今、その重石が外れつつある。


「ガーランド団長の掲げる“正義”は、あくまで王国体制の維持。

もちろん、ベアトリス様も秩序を重んじているわ。

でも──根本的に異なるのは、“力で従わせるか”、“理で導くか”、という価値の置き方よ」


リュシアンにとって、ガーランドはまだ遠い存在だった。

言葉で聞いても、正直なところ、どんな人物なのか実感は湧かない。


けれど──

セリーナが警戒するのであれば、それには耳を傾ける価値がある。


これは“正義と悪”の物語ではない。

“正義と正義”のぶつかり合い。

そして、おそらくアリサの掲げる“正義”は、また異なるはず。


──いずれ、それぞれの正義が交錯する時が来る。


思いにふけるリュシアンだったが──ふと、強い視線を感じた。


セリーナが、真剣な眼差しを向けていた。


「契約労働者の扇動者の件についてだけど。団長は、きっと動くわ。

これまでなら、フレッドさんとベアトリス様の報告だけで終わったはず。

でも……」


その先を言わずとも、すでに互いに理解していた。

これまでとは違う。騎士団内部の戦い……リュシアンは、自分も選択を迫られている。そう思った。


そのとき──


司書室のドアが、音を立てて開いた。


「ねえ、セリーナ、いる?」


声の主は、ミレーヌだった。


セリーナとリュシアンを認めた彼女は、わずかに口角を上げ、

……静かに、ドアを閉じた。

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