第14話 クラリス
「わあ……」
アリサは思わず感嘆の声を漏らした。
ここはとある貴族屋敷の一室。
陽の光をやわらかく受け止めるピンクのレースカーテン。
プリンセスの寝室のような天蓋付きのベッド。
壁は淡いピンクとベージュのクロスが貼られ、そこかしこに飾られたぬいぐるみやドライフラワーのリースが部屋全体を乙女心溢れる空間に仕立てている。
そして、ふかふかしたソファーに通されたアリサの目の前に、メイドがうやうやしい手つきで、芳しい香りが立ち上るティーカップを置いた。
メイドが一礼して退室したタイミングで、アリサの向かいのソファーに座る部屋の主が口を開いた。
「それで……いきなり非番の日に押しかけてきた理由を聞かせてもらおうか?」
クラリスだ。
アリサはその鋭い視線をまったく意に介さず、キラキラした目で部屋を遠慮なく見回していた。
「うわ〜、すごいです教官! 私、こんな素敵なお部屋、初めてです。可愛い〜!」
ぬいぐるみや小物を見つけるたびに、オクターブ高めの声で「可愛い〜!」を連呼する。
クラリスのこめかみに、ぴくりと一本、怒りのスジが浮かぶ。
その様子を見たロイの背筋に、冷たい汗がつっと流れた。
(やっぱり、来るんじゃなかった……)
ロイはアリサに無理やり付き合わされていたのだ。
この国を変えるための組織──
いつの間にかアーサーの手下No.4に就任していたロイだったが、その志には異存はなかった。
むしろ、アリサがそこまで考えていたことに、胸を打たれたくらいだ。
隣に立てるのが、嬉しくもあった。
だが、今この瞬間だけは別だ。
クラリスの視線がこちらに向かないことを祈りながら、ソファーの隅で気配を消していた。
「……おい、ハーシェル」
その一言で、ロイの肩が跳ねた。
クラリスの目が、正確にロイを射抜いていた。
(来た……!)
視線を合わせないように努めつつ、ロイはそろりとクラリスの方を見やる。
訓練中はきっちり結われている長い金髪は、今日は下ろされていた。ワンポイントに赤いリボン。
そして、身につけているのは品の良いブラウスにスカート。
貴族令嬢らしい装いではあるが──目が、まったく笑っていない。
ロイは必死に言葉を探した。
「あの……本日はお日柄もよく……」
口角を引きつらせながらも、なんとか捻り出した挨拶。
だが、それすらもクラリスの一言が遮った。
「挨拶などいらん。用件を話せ」
短く、鋭く。言葉というより“圧”だった。
ロイはごくりと喉を鳴らし、覚悟を決めた。
「はっ! はいっ!! オレ……いえ、僕たちも、この国をよくする“ホワイト”をやりたくて! 教官に相談に来ました!!」
一気に言いきる。
「ホワイトだと……?」
クラリスが眉をひそめた。
すると、ぬいぐるみを見ていたアリサがぱっと振り返った。
「そうなんです! 私たち、ホワイトな騎士を目指していて! 教官も、絶対に――可愛いホワイトになると思うんですよね!」
にっこり笑顔で「可愛い」を強調するアリサ。
クラリスのこめかみに、ぴきりと新たなスジが浮かぶ。
「話がよく見えんが……ひとことだけ言っておく」
その視線は、まっすぐアリサを見ていた。
「この部屋も服も、すべて侍女どもが勝手にあつらえたものだ。私は、武と騎士としての在り方以外に興味はない」
聞かれてもいないことを淡々と、しかもピシャリと言い切る。
アリサは、えっ? という顔で首をかしげた。
「でも、教会のシスターさん言ってましたよ? 教官、いつも可愛いお菓子とかぬいぐるみをお土産に持ってくるって」
クラリスの目が一瞬泳いだ。
「……それも、侍女が無理やり持たせたものだ」
ロイはこれ以上の追及は危険だと察し、慌てて口を挟んだ。
「な、なあアリサ。それより……言うべきことがあるだろ?」
ロイは背筋を伸ばし、クラリスに向き合った。
「僕たち、この国の現状を変えたいんです。教官、あの日、言ってましたよね。騎士として戦うって」
その視線はまっすぐで、揺らぎがなかった。
「僕たちが動くことで、何かが変わるなら。契約労働者みたいな人たちを――救えるなら、僕は戦いたい」
嘘ではなかった。
脳裏に浮かぶのは、セロの姿だ。
擦り切れた衣服に、痩せ細った手足。
あの現実を、「どうしようもない」のひと言で終わらせたくなかった。
クラリスはじっとロイを見つめたのち、静かにうなずいた。
「……そうか。心意気は分かった。で、お前たちはどうしたい?」
その問いに、アリサがロイの言葉を引き継いだ。
「はい。この国の体制が、今の状況を生んでいるのだとしたら――私は、それをより良いものに変えるべきだと思います」
「より良い……体制?」
クラリスは、意外な話の展開に目を瞬かせる。
勢いだけで語っているのだろうと、正直、たかをくくっていたのだ。
「何が“より良い”のか……私にも考えはありますが、まだはっきりとは分かりません。
でも、私、いろんな外国の話を聞いたんです。そこから、ヒントが見つかるかもしれないって」
“外国”という単語に、クラリスとロイははっとしてアリサを見る。
彼らも知らないのだ──この国の外に何があるのかを。
アリサは、以前ミレーヌに語ったのと同じ話を、二人に語り始めた。
しばらく黙って聞いていたクラリスは、ふっと息を吐いて立ち上がった。
「……その話、どこで、誰から聞いた?」
問いかけかけてすぐに、首を振る。
「いや、今はいい」
そう言うと、立ち上がり歩き出す。
「ついてこい」
短くそう告げ、クラリスは振り返らずに部屋を出ていった。
アリサとロイは一瞬顔を見合わせると、慌ててその背を追いかけた。
たどり着いたのは、屋敷の奥にある広間だった。
クラリスは勢いよく扉を開け放つと、鋭い声で言い放つ。
「──皆、いいか?」
アリサとロイがのぞき込んだその先にいたのは、男女合わせて十数人ほど。
ただし、尋常な面々ではない。
全員が例外なく筋骨隆々。鋭い目つきと歴戦のオーラを纏っていた。
ロイの顔が一気に引きつる。
一方のアリサは、頬をほんのり染め、筋肉をうっとり見つめていた。
クラリスが振り返る。
わずかに誇らしげな表情を浮かべて、言った。
「ここにいるのは、私の親族──ヴィエール一族の者たちだ。みな私に協力すると言ってくれている。口が堅く、信頼できる武人たちだ」
そして、覚悟を問うように言葉を続けた。
「お前たちも、一緒にやるということでいいんだな?」
――帰ってもいですか?
ロイは喉まで出かかった言葉を飲み込んだ。
その気配にも気づかず、アリサは一歩前に出た。
そして、居並ぶ屈強な面々に向かって、はきはきと名乗った。
「アリサ=グランフィールと申します! 私はこの国を良くしたいんです! ホワイトな騎士として、よろしくお願いします!」
慌ててロイも続く。
「ロイ=ハーシェルです。よろしくお願いします……!」
アリサはペコリと一礼し、顔を上げる。
その手は胸の前でグッと握られ、笑顔は陽だまりのように広がっていった。
その瞬間、ロイはアリサに不可視の灯を見た。
あの日……王国の現実を知った日に感じたものよりも、ずっと強く眩しい。
(アリサ……いつの間にこんなに)
その思考を断ち切るように、クラリスが声を発する。
「この二人は私の教え子の新兵だ。だが、志は本物だと判断した。我々の道を示してくれるかもしれない」
ザワっ
広間に緊張が走った。
「騎士団の新兵だと? ……どういうことだ?」
ひときわ体格の良い男が、アリサとロイに鋭い視線を投げかける。
老年に差しかかってはいたが、眼光は衰えを知らず、顔に刻まれた深い皺が、剣に人生を預けた歳月を物語っていた。
アリサの腰ほどもある逞しい腕。厚い胸板。
その圧に、ロイは思わず後ずさりしそうになる。
だが、その男の視線の圧を遮るように、クラリスが一歩前に出て二人の前に立ちはだかる。
「聞いてください、父上」
クラリスの瞳がまっすぐ父の視線と合わさる。
「私たちは……戦い方を知らなかった。いや、剣を振るだけが戦いではない、それに気づいたんです。
この国を立て直すには、目の前の敵を倒すだけでは終わらない。その先の未来が必要なんです」
そして、クラリスはアリサの方に向き直った。
「彼女は、我々が知らなかった未来の姿を見せてくれる。アリサ……私に話してくれたあのことを、ここにいる皆にも話してくれるか?」
アリサは、力強く頷いた。
その瞳に確かな熱を宿して。




