第11話 迷い
ミレーヌは騎士団の制服姿だった。
だが、巡回中に偶然見かけて声をかけた──そう考えるには、あまりに出来すぎたタイミングだった。
状況からすれば、アリサを尾行していたと見るほうが自然だろう。
(ミレーヌ先輩……どうして)
アリサは心の中で動揺を鎮め、そっと深呼吸した。
たとえ尾行されていたのだとしても、自分は悪いことをしたわけじゃない。
(大丈夫。堂々としていればいいんだ)
「ミレーヌ先輩……どうかしましたか?」
少しだけ緊張しつつも、アリサはにこやかに問いかけた。
ミレーヌの表情は複雑で、その目は探るようにアリサを見ていた。
とはいえ、ミレーヌ自身、何をしたいのか分かっていなかった。
ただ、あの日。ライネルという契約労働者とアリサが会っていたときに感じた、あの強い灯──
普通じゃなかった。アリサに、何かがあった。それがずっと胸に引っかかっていたのだ。
ミレーヌが静かに口を開く。
「アリサ……レイラさんに、何の用だったの?」
アリサは一瞬だけ迷った。
ライネルの件はもう片付いたはず。余計な波風は立てたくない。
「はい。レイラさんには捜査に協力していただいたお礼を、あらためて伝えたくて伺いました」
嘘ではない。
(大丈夫……自然に言えてるはず)
笑顔も、きっと崩れていないはずだった。
だが、ミレーヌはわずかに頷き、別の問いを投げた。
「あなた……何か隠してることない?」
ドキリとする。
ミレーヌに、下手な誤魔化しは通じない。しかも今は、頼りになるリュシアンもいない。
けれど、ライネルのことは話せない。アリサにとって、あの約束は絶対だった。
ならば──
「レイラさんには、契約労働者のことを聞いていました。それと……国のことも」
覚悟を決め、アリサはそう答えた。
ミレーヌの表情が、わずかに硬くなる。
だが、咎める色ではなかった。ただ、言葉の奥を探るような目。
「……ちょっと、場所を変えましょうか」
声は穏やかだった。だが、抗えない重みを帯びていた。
アリサはそっと頷いた。
***
「外国のことを?」
ミレーヌはアリサの口から出た、予想外の言葉に戸惑った。
場所は人通りのない小さな公園。ベンチにアリサが座り、ミレーヌは立ったまま、じっと見つめている。
それにしても──
(レイラ・セフィア……ただの記者じゃないわね)
どうしてそんな情報を?
この国の実態を知るのは、ごく一部の層に限られているはず。
国外の情報など、ましてや……
(怪しい……)
疑念はあった。だが、それ以上に今は、アリサが語ろうとするその内容を知りたい──ミレーヌの心は、その思いに引き寄せられていた。
「……私にも、その話、教えて。お願い」
気づけば、口をついて出たのはお願いだった。
自分も、何も知らないのだ。外国って、どんなところ? 私たちの国と、どこが、どう違うの?
抑えきれない思いが、胸の奥から溢れ出していた。
アリサは語り始めた。
レイラのように流暢ではない。どこかたどたどしく、不安げな語りだった。
それでも、ミレーヌは一言も口を挟まず、ただ静かに、耳を傾けた。
ひとつも漏らすまいと──言葉を拾い集めながら。
世界には、開かれた国があるという。
この国よりずっと進んだ技術、自由な暮らし、人々の笑顔──。
アリサの言葉が描く光景は、ミレーヌの心に新たな色彩を与えた。
だが同時に、王国の現状が胸に痛いほど突き刺さった。
それでも──
それでも、知りたいという思いが勝っていた。
目をそらしたくない。もう、知らないままでいることのほうが怖かった。
そして、アリサは最後に自分の言葉を発した。
「私、この国を変えたいと思っています。外国に対しても胸を張れる国に」
その声は小さかったが、確かな決意がこもっていた。
ミレーヌの心に、灯が広がる。
一介の新兵が何を夢見ているのか。
以前のミレーヌなら、そう一笑に付していたに違いない。
しかし──今は違った。
アリサなら、あるいは……。
そんな思いが芽生える自分に、思わず可笑しみすら感じた。
けれども、胸の奥にじんわりと広がる熱は、もう消せない……消したくなかった。
しかし、ミレーヌには葛藤があった。
いまの秩序を変えるということは──
(それは、ベアトリス様を否定することになるの……?)
思わず視線が揺れる。
胸の奥で、アリサの灯と、自分の信仰する“光”が静かにぶつかり合っていた。
「アリサの言葉……否定はしないわ。私も希望が欲しいもの。
だって、当たり前でしょ?」
その声は、ほんの少し震えていた。
否定しない──いや、そんな穏やかな感情ではない。
本当は、賛同したい。心から。
でもそれが、今のミレーヌにはできなかった。
忠誠心。誇り。そして、変化への恐れ。
アリサのまっすぐな瞳が、まぶしい。
(羨ましい……)
私だって、かつては、迷いなどなかったはずなのに。
そんな揺れるミレーヌを、アリサの言葉が貫いた。
「ミレーヌ先輩も、変えたいんですね」
はっとした。瞳に動揺が走る。
顔に出ていた? アリサじゃあるまいし……。
「でも、何か迷っている。そんな気がします。
……私は、正義の騎士を信じているんです。それはホワイトなんです」
──ホワイト?
聞きなれない言葉に戸惑うが、なぜかミレーヌの心を暖かくした。
そしてアリサは、静かな決意を口にした。
「私は、ホワイトな騎士になります。迷いはありません。
ミレーヌ先輩も、信じているもののために戦ってほしいんです」
しばしの沈黙。
ミレーヌの瞳の焦点が徐々に合わさる。
そして、深く息を吐きアリサに向き合う。
その顔は、穏やかだった。
「……分かった。あなたは信じたとおりにしたらいいわ。私もそうする。
レイラさんは正直怪しいけど、害意は無さそうだし、いまはどうこうする気はない」
ほっとするアリサ。
だが、ミレーヌは思わず素朴な疑問が口をついて出た。
「でも……あなた、変えたいといっても、どうやって?」
その途端、アリサはあわあわと慌て始めた。
「えっ? そ、それは……これから考えたいなーって。えへへ……」
ミレーヌの肩が、がっくりと落ちた。
「あきれた……やっぱり、何も考えてないんじゃない」
アリサならあるいは……。
その思いが、少しだけ怪しくなってきた。
とはいえ、予想できた答えだった。
私だってどうしたらよいか、迷って“いた”のだ。
ただ、自分がアリサなら──そう問いかけたとき、口をついて出たのはひとつの名だった。
「アーサーさん……」
王国の実情を知り、絶望の淵にいたあの日。
「……信じろよ。心の灯を」そう言ってくれた、あの背中。
彼なら──
ミレーヌはアリサをまっすぐに見つめた。
「アーサーさんに話をしてみるといいわ」
彼女の戦いに必要なものは、きっとこれだと直感が告げていた。
しかし、気がかりがひとつ。
団長のガーランドだ。
あの男の、契約労働者の扇動者に対する強硬な姿勢。
ベアトリスが守ろうとしている“秩序”とは、どこか違っていた。
あれは、“弾圧”と呼ぶべきものだろう。
アリサの動きが知られたら、きっと……。
いや、そんなことはさせやしない。
ミレーヌの瞳に決意が宿る。
私は光を守る。
けれど、この胸にともった熱も、絶やさない。
新たにひとり──
自分の信じたものへの戦いを、始めようとする騎士が生まれようとした。




