第04話 ライナとユリィ
私は、子供が苦手だった。嫌いと言ってもいい。
そもそも言い寄ってくる男なんていなかったし、研究一筋に生きる──それで充分だった。
……はずだった。
「いや、悪いな、ライナ。いつも」
あからさまに不機嫌な顔で、私は目の前の男を見た。
兄だ。そして、その兄が手を引いているのは、まだ幼いユリィ。
義姉が亡くなり、男手ひとつ。
山岳救助隊という仕事柄、兄は家を空けることが多く、ユリィはいつも私のもとに預けられていた。
結婚すると聞いたときは驚いた。
兄のような山男に、こんな美人が──と、思わず目を疑ったものだ。
義姉は、本当に良い人だった。
けれど皮肉なことに、世の中はそういう人から奪っていく。
体があまり丈夫ではなかったのだ。
「お手伝いさんが、なかなか続かなくてな。ユリィのやつ、ライナがいいって聞かなくてさ」
何か気に入られるようなことをした覚えなんて、これっぽっちもない。
けれど、他に頼れる相手がいないと泣きつかれては、さすがに突っぱねられなかった。
兄は若い頃からずっと働きづめで、私の進学や留学の費用まで面倒を見てくれた。
「俺は頭を使うのはからっきしダメだからな。そのぶん、おまえは思いっきり勉強してくれ」
それが、兄の口癖だった。
成績は決して悪くなかった兄が、あえてそんな言い方をするのは、私に「自分のせいで犠牲になった」なんて思ってほしくなかったからだろう。
しかし、私にだって仕事はあるのだが──。
いちいち考えるのが億劫になって、ある日とうとうユリィを連れて出社した。
そのとき、同期のリリカが目を丸くしていたのを覚えている。
でも、彼女はすぐに専務のゼファスにかけ合ってくれて。
それ以来、私の研究室は、自然と“託児所”になった。
「ライナー、これ何?」
「ライナー、おえかきしよ!」
「ライナー、ここ押したら壊れちゃった」
「ライナー、ねぇってばあ」
……うるさい。
一度ブチ切れて怒鳴ったことがある。
そのときは、リリカが目を剥いて飛んできた。
以来、私の機嫌が悪くなりそうなタイミングを、彼女は絶妙に嗅ぎ取って覗きに来るようになった。
ときどき、リスティアを引き連れて。
数年が経ち。
ユリィは相変わらず研究室に入り浸っていたが、手のかかる時期はとっくに過ぎていた。
私が忙しいときは、静かに読書をして過ごしてくれる。
けれど、私の手が空けば、すぐに甘えだす。
それも──いつしか、嫌ではなくなっていた。
その頃から、私が手がけ始めた研究テーマのひとつが「疑似人格」だった。
簡単に言えば、魔導ギアの操作を補助するアシスト機能だ。
学習データは多いに越したことはない。
兄にもモニターとして、対話ログを記録する魔導ギアに試作の疑似人格を組み込んだものを渡していた。
「何でもいいから、気が向いたときに話しかけて」と言い添えて──
「ねえ、ライナ」
論文執筆がひと段落し、椅子に背を預けて伸びをしていたとき、ユリィの声が背後からかけられた。
振り向けば、琥珀色の大きな瞳と視線が合う。義姉の生き写しのようだった。
「なあに?」
ユリィはにこにこと笑いながら、嬉しそうに言った。
「お父さん、来週帰ってくるんだよね。私、ごはん作るの。からあげ、ライナも好きでしょ?」
私は家事なんて無頓着で、いつの間にかユリィに助けられるようになっていた。
なんでも、リリカの出身地は“魔界からあげ”の聖地らしく、「リリカのばあちゃん秘伝の味っちゃけん」と、ユリィは得意げに話していた。
……たしかに、美味しかった。
「そうね。ユリィのごはん、楽しみだな」
自然と笑みがこぼれる。
私は、相変わらず子供は苦手だった。
けれど、ユリィは特別だった──いつの間にか、私の世界にユリィがいるのが“当たり前”になっていた。
そして──兄は、帰ってはこなかった。
救助中の滑落事故。
遺体は、今も見つかっていない。
深い氷に閉ざされた世界に、ユリィを置き去りにしたまま──兄は、静かに消えたのだ。
唯一の遺品は、私が兄に渡していた魔導ギア。
音声ログには、朝焼けが綺麗だとか、星がどうとか。
「何でもいいから話しかけて」とは言ったけど……本当に、どうでもいいことばかりだった。
──ただ、最後に。
「ユリィ、ライナ。会えるのを楽しみにしてる」
それだけ。
気の利いた言葉なんて、あの人には似合わない。
でも、もう少し……何か、あってもよかったのに。
それでもユリィは、その短い一言を、噛みしめるように、何度も何度も聞いていた。
ある日、妙に真剣な顔で、ユリィは私に言った。
「私、お父さんみたいに人を助ける仕事をしたい。でも……お父さんみたいに、ライナを悲しませたくないの」
悲しいのは、ユリィ。あなたのほうじゃない。
そう思った瞬間、私は兄を少しだけ恨んだ。
あんなにも深く、ユリィの心に爪痕を残していったことが。
けれど──その小さな背中に、兄の意志が確かに息づいているのを、私は感じた。
そして、そのときから。
私とユリィに、一つの夢が生まれた。
汎用人型兵装ギア、“ゴーレム”。
どんな過酷な環境でも活動可能。
生存と帰還を目的とした、圧倒的な耐久性と稼働性。
あとは──諸々と趣味でぶっ込んだ、ロマンスペック。
絶対に助ける。誰も死なない、死なせない。
それが、ゴーレムという魔導ギアの使命。
ゴーレムは、ただの鎧ではない。
装着者が肉体で操作するのではなく、疑似人格との接続によって“意思”で動かす。
──それが、“精神リンク”と呼ばれる技術だ。
疑似人格には、あの試作ギアから移植した人格データを用いた。
テストの結果、ユリィは他の候補者よりも飛び抜けた適合率を記録した。
兄の魂が──なんて、非合理なものを信じてはいない。
けれど、ユリィは嬉しそうだった。
それだけで、私の中の何かが、少しだけ救われたのだった。
「風よりも速く駆け、岩盤すらぶち抜く!」
夢の実現まで、あともう少し。もう少しなんだ……。
***
──私が、成果を出せないから……?
食堂で、偶然耳にした噂話。
それは、ゴーレムプロジェクトの「予算凍結」の話だった。
ユリィは、思わず詰め寄っていた。
「それって、本当なんですか!?」
ヒソヒソと話していた研究棟の職員たちは、突然声をかけられて慌てる。
一人が戸惑いながら「いや、それは分からないけど……」と口ごもる。
だが──
「でも……」と続けた職員の一人が、ぽつりと漏らした。
週末の経営会議で、何か動きがあるかもしれない、と。
その声も、すぐそばから飛んだ「おい、やめろ」という制止にかき消された。
週末……
ライナと、私の“夢”が──。
気づけばユリィは、食堂を出て歩き出していた。
行き先も分からないまま、ただ、歩いていた。
「あれ、ユリィちゃん。どうしたん?」
通りがかったリリカが、ユリィの様子に気づいて声をかける。
けれどユリィは、ひきつった笑みを返しただけで、その場を立ち去っていった。
リリカの胸に、言いようのない不安がよぎる。
魔王とゼファスの失脚につづき、リスティアの離職……
社内には、重く澱んだ空気が流れていた。
何かが、おかしい。
何かが──違う。
***
「それじゃ、はじめようか」
ライナは努めて、冷静を装っていた。
ゴーレムとの精神リンクテスト。
いつも通り。何も──危険性はない。
……ただ。
テスト開始前、ユリィの口数が少なかった。
いつもなら駆け寄ってきて、白衣に顔を埋めて甘えてくるのに。
その違和感に、ライナは気づいていた。
けれど──それに気を配る余裕は、今の彼女にはなかった。
ユリィの琥珀の瞳がライナを見つめる。
いつも自信に満ちていて、強くて……そんな顔、らしくないのに。
──私のせいだ。
私が、ゴーレムを制御できないから。
ライナを、苦しめている。
「ねえ、ライナ」
ユリィが、ぽつりと小さく呟いた。
「大丈夫だよ。ライナの夢……ううん、私たちの夢。絶対に叶えるんだから」
精神リンクが始まる。
計器の数値に、ライナの目が見開かれる。
「ユリィ、中止よ!!」
──私は風よりも速く駆けるんだ。
ライナのゴーレムがあれば、どんなところにだって行けるんだ。
氷に閉ざされた世界にだって……きっと助けられる。
何があったって、ぶち抜いてみせるんだ──
ライナは緊急停止プログラムを走らせる。
けれど──止まらない。
疑似人格が精神リンクを逆流する。
ユリィの心の奥深くにずぶずぶと侵入していく。
「ライナー、本読んで」
「ライナー、いっしょに寝よ」
「ライナー、これ美味しいね」
ライナがいてくれるから……私はちっとも寂しくないよ。
ライナ……大好き。
そして、冷たい手がユリィの“魂”を捕らえた。
──お父さん?
「ユリィっ!!!!!」
……遠くで、ライナの声がする。
……あれ?
視界が白く、遠のいていく。
ユリィの意識は、そこで──ふっと、途切れた。




