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第14話 継承

「クラリス教官……」


アリサは、救いを求めるように小さく(つぶや)いた。


それを耳にしたクラリスは、一瞬だけ目を細める。

だがすぐに、いつもの厳しい顔へと戻ると、アリサやロイの方向に鋭い視線を投げかける。


「お前たちは騎士だろう。どんな状況だろうと民のために剣をとる。それは何一つ変わらん! 騎士が諦めるのか!」


それは、多分に強がりを含んでいた。

けれど――その言葉は真っすぐに沁みた。


(……そうだ、私は!)


弱い自分がいた。悲しみに負けそうな自分がいた。 でも、今――クラリスの叫びが、勇気の炎となって胸に宿った。


アリサは立ち上がった。


「はい! 私、誓ったんです。みんなを守れる騎士になるって。いま何ができるか分からなくても……」


涙声にかき消されそうになるが、必死でこらえて振り絞った。


(私は騎士だから。もう、自分のためだけに泣かないんだ)


「諦めたくありません!」


その瞬間、目に見えない(ともしび)がその場の全員を暖かく包みこんだ。

見えないけれど――見えた……不思議な感覚。


クラリスは、ふっと一瞬、柔らかい表情になる。


そして、アリサから視線を外すと、まっすぐにベアトリスへと向き直り、堂々と一礼した。


「……ベアトリス殿」


その声は、まるで新たな決意を言葉に乗せたかのようだった。


「先ほどは失礼しました。こうして機密事項を打ち明けていただけたこと、感謝いたします」


敬意と礼節。

そして、託されたものを正面から受け止めようとする意志が、はっきりとそこにあった。


ベアトリスは、ほんのわずか目を見開いた。

だがすぐに、落ち着いた表情を取り戻すと、小さく首を振った。


「いえ。良いのです。……フレッドさんが仰ったように、正しい判断を行うには、正しい知識が必要。私も、そう思いました」


言葉は柔らかく、それでいて確かな芯を宿していた。

クラリスの真摯な姿勢に、ベアトリスもまた誠意をもって応える。


そして、少し間を置いて――静かに続けた。


「私は、騎士とは秩序の番人であると考えています。その武威は、あくまでも法のもとにあるべきだと……」


その声は、どこか遠くを見るようでもあり、自身に言い聞かせるようでもあった。


そして一瞬、表情が(かげ)る。


法――それがいまや、守るべき民のために機能していないと知っている。


それでも、無法に堕ちた世界を肯定するわけにはいかない……。


彼女は、それ以上は何も言わず、静かに息をついた。


「民のために、騎士として何ができるか。何が正しいのか……あなたなりに、考えてください」


その視線はまっすぐクラリスを捉えていたが、やがてゆっくりと、ミレーヌとセリーナへと向けられる。

ベアトリスのまなざしに引き寄せられるように、二人もまた顔を上げる。


ベアトリスは、ほんのりと微笑んだ。


「あなたたちも、ね」


その微笑みは、あたたかく、優しかった。

まるで、悪夢に怖がる幼子を抱きしめるかのように。


ミレーヌとセリーナは、その言葉に救われたかのように、表情から緊張が解けていった。


数拍置いて、フレッドが場を締めた。


「こうして事実を話したのは、君たちだからだ。

契約労働者の調査について、引き続きよろしく頼むよ」


それが解散の合図となった。


***


静かになった会議室。

ベアトリスはひとり残り、目を閉じていた。


(……あれで、良かったのだろうか)


年若い騎士たちに晒した現実は、あまりにも重い。

それでも、知るべきだと判断した。特に――あの子には。


(……アリサ)


(まぶた)を閉じると、思い出すのは、遠い日々の記憶だった。


ベアトリス=ヴァン=リリエンフェルト=シュトラール。


王国の名門貴族に生まれた彼女は、物心ついた頃から――その“違和感”に気づいていた。


それは単なる血筋への敬意ではなかった。

自分の一言が空気を変え、一挙手一投足いっきょしゅいっとうそくが周囲の意識を引き寄せていく――


たとえば、かつて幼い頃。

王宮の演説の場で、幼き自分が壇上に立ったときのこと。

たった一言を口にした瞬間、広間にいた老若男女が一斉に息を呑み、ぴたりと静まりかえった。


あの空気。あの支配感。


まるで何か、目に見えない“力”が働いているかのようだった。


ある日、王立図書館の奥にしまわれた文献の中で、その正体に触れる。


「精霊……共鳴?」


それは、精霊に“選ばれた存在”が放つ波動。

そして、共鳴にも様々な種類があり、とりわけ彼女の目を引いたのは――権威型。

それは、波動の受け手の秩序や従属欲求を刺激し、“従わせる”影響を及ぼすと書かれていた。


……これだ。彼女はすぐに理解した。


なぜ自分に精霊が?

分からない……しかし、これは世界の意志に違いない。彼女は確信した。


ならば、自分は秩序の象徴でなければならない。

民を守り、国を導く旗印として、常に正しくあろう――そう誓った。


そう自覚して以降、ベアトリスはより己に厳しく、より理想的な騎士を目指した。

精霊共鳴も、確かに強く感じられた。

周囲の者は言った――彼女こそが“新時代の騎士”だと“秩序の体現”だと。


だが。


年月が流れ、王国の現実は理想からかけ離れていった。

法は形骸化し、民は貧しさと理不尽にあえいでいる。それでも、諦めるわけにはいかなかった。


そして、ある日――

ふと気づく。


(……共鳴が、弱まっている)


まるで、精霊たちが自分から目を逸らし始めたような感覚。


焦りが胸を掠めた。 まさか、私が選ばれなくなったというの?


この国の光が……。



最初の違和感は、あの子と出会ったときだ。


ごく、普通の少女だと思った。

憧れに目を輝かせ、ベアトリスを見つめていた。


しかし、そのまなざしが胸に刺さる。

ベアトリスが過去に置き去りにしようとしていた希望や憧れ。

それが、この子からも失われるかもしれない未来に――心が痛い。


それでも、ベアトリスは平静を装い、声をかける。


「あなた、新兵さんかしら?」


「は、はいっ! アリサ=グランフィールと申します!」


その言葉に、言いようのない感情が心をとらえ、一瞬だけ瞳が揺れた。


――そして、そのときから、アリサを意識するようになった。


ある日、講義室でアリサと話をする機会を得た。


「騎士団の暮らしには、もう慣れましたか?」


「はいっ! 少しずつですが……皆さんが優しくて、毎日がすごく充実してます」


まっすぐな瞳。

自分にも“かつてあった”理想に、いま彼女は輝いている。

ベアトリスは、その(まばゆ)さに目を細める。


「それは何よりです。あなたのような真っすぐな方がいると、騎士団の空気も少しずつ変わるものですね」


思わず口にしていた。

アリサを見ていると、諦めかけていた何かが胸のうちに沸き上がる。


「……きっと、あなたのような人を、皆がどこかで待っていたのかもしれません」


待っていたのは、私なのかもしれない。


アリサの顔がほんのり上気し、柔らかな微笑みを返した。


そのとき――ベアトリスの心に、小さな(ともしび)が宿った。


それは、共鳴。


そして思い出す。王立図書館で読んだ、あの一節。


――精霊は常に「意味を生んでいる存在」を見つめている。

観測の対象が移り変わることで、かつて光を放っていた者が沈黙し、新たな誰かが波動を発するようになる――


(そういう……ことなのね)


「あ、あの……ベアトリス様……?」


気づけば、アリサは顔を真っ赤にしていた。

無意識のうちに見つめすぎてしまっていたらしい。


ベアトリスは、心の中で思わず苦笑した。


そして、思う。

時代が、アリサを選んだのかもしれない。


まだ幼さを残す小さな肩……。

その肩にのしかかるのは、自分だからこそ理解できる、あまりにも重い運命。


それでも、彼女なら、きっと乗り越えられる。


――どうか、あなたの未来を掴んで。


ベアトリスは、そっと微笑んだ。

それは祈りにも似ていた。


「ごめんなさい。素敵な騎士さんに、見とれてしまっていたわ。ふふっ」


見つけたわ。新しい希望を。


***


思考が過去から引き戻される。

気づけば、窓の外では夕陽が沈みかけていた。

最後の輝きを放ちながら、静かに空を染めてゆく。


その光に、言いようのない寂しさが胸をかすめる。

けれど――。


(アリサ、あなたの炎を絶やさないでいてね。そして、あの子たちも――きっとそれぞれの心に(ともしび)を持てるはず)


そして、ふとクラリスの言葉をつぶやいてみた。


「まっぴらごめんだな」


思わず笑いがこみ上げる。


あんな気持ちの良い啖呵を自分も言えていたら、何かが変わったのだろうか。


「ヴィエールさん……あなたならそう言ってくれると思っていたわ」


窓の外では、陽はなお地平線に半ば残っていた。

その橙の光は、まだ世界をあたためている。


この国の未来は、まだ沈んでいない。

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