第09話 黒い精霊
──中継都市ラドリア。
ブラック冒険者ギルドのギルド長室には、紫煙が静かに漂っていた。
ギルド長グレイスの前に立つのは、受付嬢のエミリア。
控えめに書類を差し出す仕草とは裏腹に、その瞳には冷ややかな光が宿っている。
「さすがはA級ですね。もう適応されていましたよ」
グレイスは煙管を唇に運び、ゆるりと煙を吐いた。
「ふふ。冒険者に必要なのは、夢とガッツさ。……にしても、うまい手を考えるじゃないか」
その視線が、鋭くも楽しげにエミリアへと向けられる。
彼女は一歩も引かず、にこりと微笑んで返した。
「お得意様ですから。最近、供物が足りないと契約術師経由でクレームが入りまして。ちょうど良い機会かと」
「まったく……あの精霊も、ごうつくばりだねぇ」
グレイスは楽しげに笑いながら、再び煙をくゆらせる。
「だからWSOに目をつけられるんだよ」
エミリアは小さく肩をすくめ、苦笑を浮かべた。
「でも、WSO未加盟の中位精霊なんて、今では珍しいでしょう? こちらに協力的なだけでも、ありがたい話です」
グレイスは煙管の灰を灰皿に落としながら、ふと目を細めた。
「ま、持ちつ持たれつさ……とはいえ、下位精霊ですら扱いづらいってのに、中位ともなれば。レオンたちも博打が好きだねぇ。嫌いじゃないよ」
エミリアは声をひそめ、まるで秘密を打ち明けるかのようにささやく。
「対価は、自我・感情・記憶……精霊さんの“大好物”なんですって」
そして、にっこりと笑みを浮かべた。
「レオンさんたちの“魂”が、お口に合うといいですね」
少しの悪意も、邪心も見て取れなかった。
ただ、美しく整えられた、いつもの受付嬢の微笑みが、そこにあった。
***
A級冒険者たちから立ちのぼっていた異質な気配が、ふと消えた。
いや、正確には“おさまった”のではない。
放出されていた何かが一点に収束したような、そんな錯覚。
ヴィオラは、喉元に冷たいものが這い上がってくるのを感じた。
明らかに“様子がおかしい”。
レオンの顔からは、さきほどまで張り付いていた薄ら笑いが消えていた。
それだけではない。
グロック、ミア、セラ──三人の目からも、感情というものがすっぽりと抜け落ちていた。
その変化の正体は、彼らが手にする魔導ギアにも現れている。
ギアにはめ込まれている水晶球。
通常であれば淡い光を放つそれが、今はどす黒く変色し、鈍く脈打つように輝いていた。
気配の収束地点──その中心だ。
ヴィオラは仲間たちに声をかける。
「……それぞれの相手はそのまま。気をつけて」
モヒカン、鉄仮面、和尚がわずかに頷き、再びそれぞれの敵へ意識を集中させた。
ヴィオラ自身は、セラと向き合う。
先ほどまでヒーリングをかけていたはずのその体からは、もはや痛みや疲労の気配すら感じられない。
セラが静かに書物型の魔導ギアを開いた。
紫に煌めいていた光は、いつのまにか漆黒へと染まっていた。
次の瞬間──
黒い輝きが奔り、ヴィオラの全身を包み込む。
──重い。
圧倒的な重圧。
空間そのものがのしかかっているかのような感覚。
魔導ギアはまだ発動している。状態異常は防いでいるはず。
それでも、この力──さっきの比じゃない。
「くっ……!」
ヴィオラは思わず膝をついた。
全身を押さえつける不可視の重力に、そこから一歩も動けない。
(まずいわね……モヒカンたちは?)
必死に首を巡らせ、仲間の様子を窺う。
モヒカンの前には、グロックが無言で立ちはだかっていた。
さきほどの一撃を受けていたはずなのに、静かに斧を構え──そして振り下ろす。
……狙いは、モヒカンではなかった。
「うぉっ?」
斧が地面に叩きつけられた瞬間、轟音と共に爆裂した瓦礫が砂煙とともに吹き上がり、モヒカンを襲う。
視界が揺れた。その刹那──
爆煙の隙間から飛び出したグロックの蹴りが、モヒカンを襲う。
咄嗟に腕でガードするが──
「ぐ……っ!」
筋力強化の魔導ギアですら受け止めきれない。
骨が軋む嫌な音が、耳の奥に響いた。
「くそっ、なんやこいつ。この馬鹿力……!」
モヒカンは膝を折りかけながらも、なんとか踏みとどまる。
だが、容赦はなかった。
振り上げられた斧が、モヒカンの釘バットと激突。火花が散る。
直後──黒く染まった刃が脈打ち、爆発。
反撃の余地もなく、モヒカンの体は吹き飛ばされ、地面に崩れ落ちた。
***
一方、ミアと対峙する和尚。
ミアが杖を掲げると、闇色の炎が凝縮し始める。
やがて両腕でようやく抱えられるほどの巨大な炎弾となり──
杖を振り下ろすと同時に、それは唸りを上げて和尚へと飛来した。
和尚は身を翻して避ける。
だが、ミアはすでに次の弾を放っていた。さらにもう一発、もう一発。
集中砲火──その一つが和尚の腹部に直撃した。
「ぐあっ……!」
炎熱耐性の魔導ギアがあってなお、全身を焼くような痛み。
動きが鈍る。そこへ、次々と黒い炎が襲いかかる。
***
そして、鉄仮面。
「ぬおおおおおおおっ!!」
奇声を上げ、超スピードでレオンに迫る。
閃く爪が、レオンの顔面に突き刺さらんとする──
しかし。
レオンは、あっさりとその手首を掴んでいた。
「……っ」
体勢を崩された鉄仮面の顔に、レオンの剣が一閃する。
仮面が砕けた。
思わずしゃがみ込んだところに、レオンの足が振り下ろされる。
「──がはっ」
頭を踏みつけられ、鉄仮面はその場に沈んだ。
ほんの一瞬の攻防。
***
仲間たちが崩れ落ちるのを、ヴィオラは見ていた。
(……これは、ただの強化じゃない)
魔導ギアの色。
瞳の空虚。
そして、圧倒的な暴力。
──何かが、起きている。
決定的に。
その“何か”の正体が、まったく掴めなかった。
モヒカンたちは、明らかに戦闘不能。
自分も、立ち上がることすらできない──
正面に立つセラを睨みつけるが、なす術がない。
そして。
ヴィオラの魔導ギアから放たれていた光が、見る見るうちに淡くなっていく。
……使用時間切れ。
効果に守られていてこの有様なら、それが消えた先にあるのは──
最悪の予感を抱えたヴィオラの視界に、ゆっくりとレオンたちが歩み寄ってきた。
無言のまま、まるで“死刑執行”を淡々と進めるように。
嫌な汗が、額から顎を伝って滴り落ちる。
(こうなったら……)
ヴィオラは、重たい腕を無理やり動かし、震える手を懐に差し入れた。
指先が触れたのは、冷たい金属。
取り出したのは、銃型の魔導ギア──
使用者の命を代償とする、禁断の兵装だった。
「や……やめるんだ、ヴィオラさん……!」
素顔を晒した鉄仮面が、呻き混じりに叫ぶ。
しかし、もう他に道はない。
ヴィオラは、静かにトリガーに指をかける。
(ごめん、ドランさん。そして……ボス)
だが──
「やめときな! そんなもん!」
鋭い声が、戦場に突き刺さるように響いた。
ヴィオラの顔が歪んだ。
それは、恐怖でも絶望でもない。
──希望。
そこに立っていたのは、カレンとレナだった。




