第17話 幕間3
砦の一室に、冷たい風が忍び込んでいた。
分厚い石壁に囲まれたその空間は、簡素ながら秩序立っている。だが今は、物音ひとつない沈黙が支配していた。まるで、時の流れさえ凍てついているかのように。
小さな鉄製スト─ブが窓際で、かすかに唸りを上げていた。
だが吹き込む隙間風が暖気を奪い、書類を繰るヴィオラの指先には、じんとした冷たさが残っていた。
ヴィオラは無言のまま、紙の束に目を落とす。
淡々と、だが隅々まで目を光らせ、見逃しを許さぬ視線で。
報告書の各所に、同じ名が何度も現れていた。
──王都騎士団。アリサ=グランフィ─ル。
地方の小貴族の娘、新兵。
記録上は、何ひとつ注目に値しない。戦歴も、人脈も、特筆すべき点はない。
それなのに──
「アリサの動きを、調べておいてくれ」
ドワ─フ商工会での別れ際、ふと漏らされた“あの人”のひと言。
その響きが、今も耳の奥に残っている。
血縁も縁故もない。関係の糸は、見当たらない。
それでも、彼は不思議とこの少女を気にかけていた。
理由が──わからない。
ヴィオラの爪が、とん、と書類の角を叩いた。
張りつめた沈黙に、小さな音が波紋を描く。
最後のペ─ジには、レイラからの報告が添えられていた。
『何か、違うものを持っている気がした』
──それだけ。
あまりにも曖昧で、抽象的。理屈も証拠もない。
だが、ヴィオラはその言葉に引っかかりを覚えた。
レイラ・セフィアは、多弁ながら冷静な分析者だ。
報告書には常に数字があり、構造があり、裏付けがある。
その彼女が、感情のままに言葉を残すとは──それは、強い直感の表れに他ならない。
そしてヴィオラにとって、レイラはこれまで一度も期待を裏切ったことのない、最良の情報源だった。
ガ─ドの固い王都騎士団という組織に対して、これだけ早くアリサと接触できたのも彼女だからこそ。
(……アリサ──本当に、何者なの?)
唇の端が、わずかに持ち上がる。
微笑というには冷たく、しかしどこか楽しげに。
「ふうん……気になるじゃない」
書類を手際よくまとめ、脇に押しやる。
椅子の背もたれに身を預けながら、ヴィオラは窓の外へ視線を向けた。
「いいわ。もう少し──追わせてもらうわ、“お嬢さん”」
窓の向こうでは、夜の帳が静かに降り始めていた。
星明かりの気配が空にじわりと染み込み、世界の輪郭をやわらかく侵食してゆく。
その闇の向こうで、新たな火種が、密やかに燃えはじめていた。




