第12話 太陽に焦がれて
……あなたと初めて出会った日のことが、今でも忘れられません。
あの時、私の中のすべてが震えました。
頭じゃない。
心でもない。
胸の奥、もっと深いところ──魂って呼ぶしかない場所が。
あなたの言葉ひとつ、仕草ひとつ。
すべてが、光だった。輝く恒星だった。
誰も届かない神々の世界に生きていると、本気で思っていた……。
***
「ミレ─ヌ=ド=ランブレッタ、騎士団への入隊、ここに誓います」
騎士団演習場。荘厳な空気のなかで、整然と並ぶ新兵たち。
私はその最前列にいた。
将来の上級騎士として、輝かしい道が開けているものと信じ、胸の高まりが抑えきれなかった。
その隣には、セリ─ナ。深緑の三つ編みが凛と揺れ、彼女らしい落ち着いた佇まい。
私たちは、ほぼ同格の家柄。幼いころから互いに張り合うようなところもあったけれど、同期として少しだけ安心できる存在だった。
漠然とした期待と緊張も、彼女となら……そう思いながら整列していた。
「指導教官、ベアトリス=ヴァン=リリエンフェルト=シュトラ─ル」
重々しい声が響き、壇上に昇るのは一人の女性騎士。
──それは、音もなく始まった。
彼女を中心に放たれた黄金の波動が、見えない爆風のように空間を満たし、心臓を揺さぶった。
それは、共鳴。
耳の奥が痺れるほどの鼓動。
外からなにかが呼びかけ、内からなにかが押し寄せてくる。
秩序? 威厳? 誇り? そんな言葉では足りない。
──従いたい。
──この人のために尽くしたい。
──この人の目に映りたい。
そんな願いが、泉のように湧き上がる。
それは命令でも魔法でもなかった。
ただ、彼女が“そこにいる”というだけで、魂が膝をついたのだ。
「……すごい人ね」
隣でセリ─ナが何かつぶやいた気がしたが、もはやあの人の存在以外は世界のノイズでしかなかった。
***
講義棟。
石造りのア─チが連なる荘厳な空間に、新兵たちが整然と座していた。
壇上に立つのは、ベアトリス=ヴァン=リリエンフェルト=シュトラ─ル。
青を基調とした騎士団の礼装は、彼女のためにあつらえたものに違いない。
「戦術とは、力のぶつけ合いではありません。力を“向ける方向”を見定める。それを誤ったとき、最も多くの命を奪うのです」
その声は柔らかく、けれど一語一語に迷いがない。
水面に石を投じるように、彼女の言葉が私の中に波紋を広げていく。
(ああ……やっぱり、ただの騎士じゃない)
知性と威厳、慈愛と正義──すべてが美しく釣り合っていた。
話の内容なんて、もう頭に入ってこない。ただ、“響き”が胸に残る。
「戦場で必要なのは、“守るべきものを見失わない心”です。
それはあなたたちが、この国の民のために剣を振るうということ。多くの命の未来に影響を与えることを忘れてはなりません」
その言葉に、私の中の何かが震えた。
目の前の人は、ただ戦うだけの騎士じゃない。
──価値を示す人だ。
──世界を導ける人だ。
……気づいたら、私は筆を止めていた。
何も書けなかった。文字にしてしまったら、すべてが薄れてしまう気がして。
セリ─ナは真面目にノ─トを取りながら、時折ちらりと私を見た。
私はそっと目を伏せた。言葉にならない想いが、胸の奥で静かに、でも確かに揺れていた。
“この人のそばにいたい”
“この光の近くで、生きていたい”
だけど、どうすればあの光の中に入ることができるのだろう。
***
数日後。
夕刻の講義を終えた私は、偶然を装って──けれど本当は何度も時間を調整して──
指導室の前に立っていた。
(……もうすぐ。今日こそ)
自分でもわかっている。執着だって。でも、どうしてもこの衝動を抑えきれなかった。
「……あら?」
その声は、まるで鈴の音。
「あなた、たしかランブレッタ家の?」
見上げると、白金の髪が夕陽に照らされていた。
「っ……は、はいっ!」
喉が詰まりそうなほど緊張して、けれど誇らしさが爆ぜた。
「お父様はお元気かしら? 昔はよく我が家にもいらしていて、いつも楽しいお話を聞かせていただいたわ──ええと……」
言い淀んだ瞬間を見逃さなかった。
「ミレ─ヌです、ミレ─ヌ=ド=ランブレッタ……!」
「そうそう。あなたのお父様によく自慢話を聞かされたのよ。お会いできてうれしいわ、ミレ─ヌさん。ふふっ」
神の目が向けられた瞬間だった。
私は生まれ変わった。
“名を呼ばれた”こと。それは、魂に刻まれた刻印だった。
私の中に、新しい生き方が芽生えた。
それ以来、私は“選ばれた者”として歩むことを誓った。
***
それからの日々、私はあの方のそばに立つための“証明”を積み重ねていった。
訓練、教練ともにトップの成績を維持。
課題は常に最速で、最も丁寧に。
誰よりも早く講義室に入り教壇を清掃し、最後まで残った。
同期には「またやってるの? そんなの点数に関係ないわよ」と苦笑されたこともあった。でも構わなかった。
──私は点数を取るために動いているんじゃない。
──“光に近づく”ために、あらゆる努力を惜しまなかった。
セリ─ナはというと、真面目な秘書官・有能な実務家としてベアトリス様の信頼を重ねていたが、そこに嫉妬などはなかった。
あの子は冷静で、どこかベアトリス様を“理想の上司”のように見ていた節がある。
でも私は違う。根本的に違う。
私は光を信仰していたのだ。
ある日、講義の合間に声をかけられた。
「ミレ─ヌさん。最近、頑張っているわね。あなたのような人がいてくれて頼もしいわ。……今度、私の執務室でお茶でもいかが?」
その瞬間、柔らかな鐘の音とともに目に映る色が変わった。いままで私が知覚していた世界は、なんて薄ぼんやりとしていたんだろう。
(……私を見ている)
私は、自分の存在がこの世界に“確かにある”と、初めて実感した。
それからは、気づけば“私の方が”ベアトリス様の周囲にいる時間が多くなっていた。彼女の助けになることならなんでもこなした。
誰に頼まれたわけでもない。ただ──そばにいたかった。
たとえ身を焦がそうとも、かまわない。
この身が焼けても、消えても、かまわない。
ほんの一瞬でも、あの光に包まれていられるのなら。
***
でも、あの日──
「ちょっと、挨拶もできないの? そんな無作法で、よく騎士を名乗れるわね」
見るからに田舎くさい、野暮ったい新兵。
惚けた顔でベアトリス様を見つめていた。まあ、それは仕方のないこと。
でも──どうしてこんなに感情的になるんだろう。
神に対しての礼がなっていない……いや、神の威光に盾突く者だとなぜか直感が訴えた。
ベアトリス様が田舎者に声をかける。どうして……?
「あなた、新兵さんかしら?」
「は、はいっ! アリサ=グランフィ─ルと申します!」
──そのとき。
異変が起きた。月が太陽の光を遮るような。世界から熱が奪われるような。
光が……霞んだ。
気のせいに違いない。
***
ベアトリス様を疑うなんて。そんなことはあってはならない。
それは私の存在に関わる危険な考え。
でも。あの子が現れてから、光が弱い……どうして?
アリサがなんだというの? 何も持っていないのに。
……持っていない? いや。
「──ありがとうございます。ミレ─ヌ先輩!」
あれは、共鳴。
あの日、笑顔を残して駆けだす背中を見たとき、胸の奥に、小さな灯がともった。
天空から注ぐ光ではない。人の内に宿る、原初の炎。
あの子は──たしかにベアトリス様から光を奪った。理由なんて分からない。
でもその代わりに、私の中に火を与えてくれた。
この感情が分からない。どうして私は……こんなにも苦しいのだろう。
あの陶酔の中で、生きていたかったのに。
太陽に焼き尽くされる、その瞬間まで。




