第04話 そして、もうひとつの物語へ
王都西区、騎士団演習場。
朝の陽光が石畳を淡く照らし、荘厳な空気のなかで、整然と並ぶ新兵たち。
その一角に、一人の少女の姿があった。
彼女は背筋を伸ばし、両手を胸の前で結ぶと、堂々と声を上げた。
「アリサ=グランフィール! 騎士団への入隊、ここに誓います!」
澄んだ声が、空へと真っ直ぐに伸びる。
肩までの金髪が微かに揺れ、空色の瞳は朝の光と競うように輝いていた。
(あぁ、心臓が飛び出そう……でも、大丈夫。ちゃんと言えた!)
正面には高位貴族や歴戦の騎士たちがずらりと並び、その胸に輝く勲章に気圧されつつも、
アリサはぎゅっと唇を噛みしめて立ち続けた。
(ようやく、ここまで……)
心の奥に浮かぶのは、幼い頃から何度も浴びてきた冷たい言葉。
「女の子が剣なんて、やめておきなさい」
「夢を見るのは勝手だけど、現実を見なさいよ」
それでもアリサは剣を手放さなかった。
──子供のころ絵本で読んだ、白銀の鎧をまとう女騎士の物語。
その姿に胸を焦がし、憧れて、夢見て……いつか私も、あんな風に。
今日、ついにその物語の扉を開くのだ。
アリサはそっと胸を張った。
「新兵指導官、クラリス=ヴィエール!」
高らかに呼び上げる声に応え、一段高い壇上に、白銀の鎧を纏った凛々しい女性が姿を現す。
「はっ、拝命いたしました!」
静かな迫力のある声が演習場に響き渡る。
鍛え抜かれた身体に、朝日に輝く鎧。
静かな眼差しの奥には、確かな自信と優しさが宿っていた。
その姿はまさに、一筋の剣のよう。
新兵たちの視線が自然と集まり、アリサもまた、その姿に目を奪われた。
(わぁ……白銀の騎士)
胸の奥が高鳴る。
──あんな風に、なれるかな。
思わず、背筋をもう一度伸ばした。
「抜剣!」
号令とともに、新兵たちは一斉に剣を空へ掲げる。
鋼の光が朝日を反射し、一陣の風が吹き抜けた。
(これが……騎士の証……!)
胸の奥に、確かな炎が灯った気がした。
***
式が終わり、名簿を手にした係官が配属先を読み上げ始めた。
「アリサ=グランフィール、ロイ=ハーシェル。両名エルンハルト小隊に配属!」
隣で名前を呼ばれた少年が、にかっと笑いかけてきた。
「ロイです! 本日からよろしくお願いします!」
やわらかな茶色の髪と人懐っこい瞳、屈託のない笑顔。その明るさに、空気がふわりと緩む。
「アリサです。アリサって呼んでくださいね」
「じゃあ、オレのこともロイで!」
自然と、ふたりは顔を見合わせて笑い合った。
(よかった……優しそうな人で)
ほっとした心に、静かなぬくもりが広がっていく。
張り詰めていた緊張がほどけていく……ロイは、そんな空気を持っていた。
***
数刻後、小隊控室の前で足を止める。
(うう、また緊張してきた……)
さっきの式の時より、むしろ今のほうが心臓がバクバクしてるかもしれない。
そんなアリサの躊躇を気にも留めず、ロイはお構いなしに扉をノックした。
「失礼しまーす!」
先導するようにドアを開けるロイ。アリサも慌ててその後に続いた。
中にいたのは、穏やかに微笑む青年だった。
栗色の髪に落ち着いた雰囲気。
制服に走る金のラインが、その地位の高さを物語っている。
「こんにちは。僕はフレッド=アレクシス=フォン=エルンハルト。君たちの所属する小隊を任されている。よろしくね」
「あ、はい! よろしくお願いします!」
声が少しだけうわずったのは、緊張のせいだけじゃない。
地方貴族の娘にすぎない自分が、“中央のエリート”と肩を並べるなんて。
それはまるで、夢の中の出来事のようだった。
そのとき。
「ちっ、また貴公子かよ……」
ぼそっと聞こえた呟きに、アリサは思わずそちらへ目を向ける。
部屋の片隅。椅子の背にもたれて座っていたのは、黒髪の青年だった。
面倒くさそうな態度のまま、鋭くこちらを観察している。
どこか反骨精神をまとった雰囲気で、目を逸らしてはいるが、時折チラと鋭い視線が戻ってくる。
その威圧に、アリサはまるで叱られた子犬のように腰が引ける。
その様子を見たフレッドがやんわりとフォローを入れた。
「彼はアーサー。ちょっとぶっきらぼうだけど、悪い奴じゃないよ」
「へいへい。よろしく」
そっぽを向いたまま、ぞんざいに手を挙げた。
次にアリサの視線が向かったのは、部屋の隅に静かに立つ長身の青年だった。
浅黒い肌に、翠の瞳。無言のまま一礼を返す。
「……カインだ」
「えっ、あ……はい。アリサです」
短い応答。その表情からは感情が読み取れない。
(それだけ……?)
一瞬たじろぎそうになるが、その視線は冷たいわけではなかった。
むしろ、何かを深く静かに見つめているような──そんな印象を受けた。
その瞳の奥には、アリサの知らない世界が広がっている気がして。思わず息を呑む。
──だけど、それ以上の言葉は交わされなかった。
笑顔を絶やさないように努めていたアリサだったが、次第にぎこちなくなり、口角が引きつっていく。
そのとき。
「こんにちは」
振り返った瞬間、思わず息を呑んだ。
そこに立っていたのは、一人の少年。
銀の糸のような髪が、淡い光をまとう。水面を思わせる澄んだ水色の瞳が、アリサをまっすぐに見つめていた。
まだ幼さの残る輪郭と、雪のように白い肌。その儚げな姿は、まるで絵本の中から抜け出してきた妖精のようだった。
──なんて……綺麗な子……。
カインとの沈黙の対峙でこわばっていた心が、ふわりとほどけていくのを感じる。
ぱっと自然な笑顔がこぼれた。
「アリサです。よろしくね」
思わず声に柔らかさが滲んだ。
背丈は自分より少し低い。気がつけば自然と屈みこみ、目線を合わせていた。
その仕草は、まるで姉が弟に話しかけるようだった。
「僕はリュシアン。よろしくね、アリサさん」
透き通るような声だった。ほんの少しだけ恥じらいを帯びた笑顔が、胸の奥をふわりと温かくする。
「おい、リュシアンはこう見えてもお前より先輩だからな。きちんと敬語使えよ」
アーサーのからかうような声に、はっと現実に引き戻される。
(えっ、先輩? この子が……?)
思わずまじまじと見つめてしまう。
その様子を見て、フレッドが苦笑する。
「リュシアンは魔法の素質が高くてね。特待生として早くに入団しているんだ」
「そうそう。天才なんだよ……俺の次にな」
アーサーが軽口を叩くと、リュシアンが小さく肩をすくめた。
「や、やめてくださいアーサーさん……!」
リュシアンはほんのりと頬を赤らめ、そっと目を伏せた。
「僕、皆より年下だし……リュシアンでいいよ」
控えめなその笑顔が、アリサの胸にまた暖かな波紋を広げていく。
(ああ……かわいい……)
気づけば、手が勝手に動きかけていた。
やわらかな銀髪にそっと触れてみたい──そんな衝動が湧き上がる。
けれど、ふと横から視線を感じ、ビクッと手を引っ込めた。
ちらりと見ると、アーサーがじっとこちらを見ている。
「えへへ……」
誤魔化すように笑顔を向けると、今度はロイが呆れ顔でこっちを見ていた。
(……な、何やってんだろ私……)
その空気を変えるように、フレッドが声をかけた。
「リュシアン、二人を団内に案内してくれるかな?」
「はい!」
嬉しそうに頷くリュシアンに連れられて、アリサとロイは部屋を後にする。
扉の向こうには、新しい世界が広がっていた。
──それが、やがて世界を変える物語になることを、このときはまだ誰も知らなかった。




