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第09話 王都の朝

──王都エルセイド。


環状の城壁に囲まれたこの巨大都市は、五つの区画によって構成されている。

中心にそびえるのは、王家の居城と大政庁、そして白亜の大聖堂。高く掲げられた鐘楼からは、毎朝夕、澄んだ鐘音が街全体に鳴り響く。


北区には王都貴族たちの邸宅が並び、時の流れさえ穏やかに感じられる。石畳の上を馬車が静かに通り過ぎ、花咲く庭園の館には、衛兵が昼夜を問わず立ち続けていた。


東区は打って変わって常に喧騒に満ちている。商人たちの呼び声、旅人の足音、貨物を載せた荷車の軋み。宿屋、露店、教会、貸金庫……街のどこかで必ず何かが動いている。ここは、人と金と情報が交差する王都の動脈。


しかし南区へと足を運べば、空気は一変する。

皮なめし工房、染め場、鍛冶場の煙が立ち上り、港湾には大小の帆船がひしめく。煤にまみれた街路を、荷車と作業員が行き交い、今日を生き延びるための声なき足音が響いていた。


外縁部には風車が回り、農民が(くわ)を振るい、検問を受けながら荷馬車が都市に出入りしていく。高くそびえる環状防壁の上では、衛兵たちが静かに巡回していた。


そして、西区──王都騎士団本部と王立大学、各国の大使館、図書館などが整然と建ち並ぶ、王都でもひときわ静謐(せいひつ)な区画。


朝靄の中、騎士団の塔に新たな旗がはためいていた。衛兵たちは無言で持ち場を交代し、門扉は時折、重々しい音を立てて開閉を繰り返していた。


その本部棟の奥、簡素な作りの一室──エルンハルト小隊の分室。


そこには、まっすぐな視線で地図を見つめる少女の姿があった。


机に広げられた王都の市街地図の上を、アリサの指が丁寧に走る。

まだ訓練生である彼女は、先輩騎士たちと共に街の警備任務にあたっていた。


この日の担当は、アリサとロイ。そして引率役はアーサー。

アリサは、足を引っ張らぬよう、地形や巡回ルートを必死に頭へ叩き込んでいた。


彼女たちが所属する騎士団大隊の管轄は、“市民街”と呼ばれる東区と南区──商業地区と、工場・港湾地帯。

小隊ごとに交替で持ち場を受け持ち、アリサたちには東区の巡回が割り当てられていた。


「ここと、ここは重点的に見回りって言ってたよね……よし!」


アリサの視線が地図とメモを行き来する。


「熱心だな」


隣から声をかけてきたのは、同期のロイだった。


「うんっ。早く覚えないとっ」


アリサはそう答えて、笑顔を見せた。無邪気な瞳の奥には、小さな正義感がまっすぐに宿っている。


分室の空気は、朝の光と共に少し熱気を帯びていた。


ロイは椅子に腰かけ、地図をのぞき込むアリサの横で退屈そうに足を揺らしている。


壁際ではカインが黙々と剣の手入れを続けていた。鋼の刃に布を滑らせる小さな音が響く。


リュシアンは既に準備を終えたらしく、制服の襟元を整えながら、時折アリサの様子に目をやっていた。


フレッドは資料棚の前で何か書類を探しており、眉間にうっすらとしわを寄せている。


アーサーは入口の壁にもたれて、腕を組んだまま部屋の空気をじっと見つめていた。

だが、ロイとアリサのやり取りに気づくと、ふっと口元をゆるめ、苦笑まじりに口を挟む。


「へぇ……やる気出してんじゃねぇか。けっこうけっこう」


ぶっきらぼうな口調ながらも、その声にはどこか安心した響きがあった。


「まあ、最近は物騒だからな。ちゃんと気を張ってくれよ」


「それって……義賊のことですか?」


ロイの問いに、アリサがきょとんと首を傾げる。


「義賊?」


代わって、リュシアンが静かに言葉を継いだ。


「リエンツ地方で活動している盗賊団のことです。以前は村を襲っていたそうですが、今では貴族や商人を標的にして、奪った金品を貧しい村に配っているとか」


(リエンツって──クラリス教官や、ベアトリス様が話してたあの地方?)


アリサは素直な疑問を口にした。


「……どうして盗賊団が、そんなことを?」


アーサーは肩をすくめる。


「さあな。盗賊の考えることなんて、知るかよ」


そのとき、資料を片づけていたフレッドが、静かに言葉を挟んだ。


「目的は依然として不明だ。ただ──彼らに便乗したと思われる強盗事件が、市民街でも増えていてね。今日は特に注意して巡回してほしい」


「分かりました!」


アリサの声が、ピンと張った空気に明るさをもたらす。だがその瞳には、まだ引っかかるものが残っていた。


「……でも、その義賊って。たとえ村を襲わなくなっても、盗みを働いてるならやっぱり悪い人たちなんじゃないですか? 騎士団は動かないんですか?」


フレッドは少し表情を曇らせながら答えた。


「うん……それがね。被害届が、ほとんど出ていないんだよ。証言も、伝聞ばかりでね」


アリサが不思議そうな顔をしていると、アーサーが代わって応じた。


「要するに、泣き寝入りするしかない連中ばっかってこった。……貴族様なんて、そんなもんさ」


その皮肉に、フレッドはやや苦笑して肩をすくめた。


「とにかく、気を引き締めて任務にあたってくれ。頼んだよ、アリサくん、ロイ、アーサー」


アリサは両手のこぶしを胸の前でグッと握りしめ、気合を入れる。


「はいっ! ……ついでにその盗賊も、私が──!」


「リエンツは俺たちの管轄じゃねぇ。それに、応援が出るとしても選ばれるのは“精鋭”だろうよ」


すかさず返ってきたアーサーの言葉に、アリサは「精鋭かぁ……」と小さく呟いて、握った拳にさらに力を込めた。


「よし、頑張らないと!」


そんな彼女の姿を、壁際で黙々と剣の手入れをしていたカインがちらりと見て──少し口元を緩める。


アーサーは、ふと思い出したように声をかけた。


「……そういや、おまえ。魔法適性はどうだったんだ?」


アーサーは、ふと思い出したように声をかけた。


「……そういや、おまえ。魔法適性はどうだったんだ?」


アリサの剣筋はまだまだ粗い。だが、クラリスからは「根性だけは本物」との評価も聞いていた。

とはいえ、“精鋭”ともなれは特別な才能がなくては──たとえば、魔法適性があれば話は別だった。


気軽な雑談のつもりで、軽く尋ねたのだが──


「え? なんか、ちょっとだけ光ってましたよ。えへへっ」


アリサは屈託のない笑顔を見せる。


その顔にアーサーは吹き出しかけて、肩をすくめた。


「そりゃすげぇな。……ま、頑張れよ」


言葉の裏にまったく気づくことなく、アリサはこくこくとうなずいた。


その素直さが、場の空気をやわらかくほどいていく。

誰ともなく、ふっと笑みがこぼれた。


アーサーは「さて……」と(つぶや)き、分室のドアに手をかける。

背中越しに後輩たちに声を投げかけた。


「……そろそろ出るぞ。ロイ、アリサ、準備できてるよな?」


ふたりが元気よく返事をするのを聞きながら、アーサーはドアを押し開けた。


そして三人は、静かに分室を後にする。


朝の陽が、街の輪郭を金色に染め上げていた。

新しい一日が、静かに始まろうとしている。

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