第02話 初めての略奪ツアー ~逃亡と失敗~
──ドアを開けた瞬間、俺は思わず硬直した。そこはもはや常識の通じる世界ではなかった。
大広間に男が三人。
その中のひとり、釘バット片手のモヒカン頭の男が「ボスー! 今日は早いですやん!」と笑いかけてきた。
大柄で素肌に革ジャン。胸板が厚く、肩にはトゲのついたパッド。見るからに世紀末仕様の男である。
「えっ? あ、うん。おはよう」
あまりにも自然に「ボス」と呼ばれたことに思考が追いつかない。
だが、強面な外見とは裏腹に、思ったよりも和やかな雰囲気に思わず息をつく。
──少し安心した、その矢先だった。
鉄仮面をかぶった男が、突然甲高い奇声を上げた。
「俺の爪が今日も獲物を切り裂くぜぇぇぇッ!」
俺はビクッとしたが、努めて平静を装う。
反応してはいけない。そんな直感があった。
顔の前面を覆う仮面。その奥からは、正体不明の目線が突き刺さってくる。
黒髪をツンツンに逆立てた、パンクロック風のヘアスタイル。
表情はわからないが、声の調子は……いろんな意味で完全にキマっていた。
何か、お薬でも?
言葉が喉まで出かかったが、咄嗟に飲み込む。
口に出したら取り返しがつかない……気がした。
もう鉄仮面には目を向けていられず、そっと視線を修道僧風の男にずらす。
スキンヘッドに、巌のような筋骨隆々とした体躯。
目は薄く開けられ、穏やかな眼差しだが──それが逆に不気味だ。
一見すると害意はなさそうだが、油断はできない。
モヒカンや鉄仮面のような、わかりやすい狂気ではない……。
だが、それでも。乙女ゲームの世界には、絶対に馴染まない。
目の前の光景に戸惑う俺の耳に、カツカツ……と靴音が響いた。
空気がひやりと変わった。
あらわれたのは、ボンデージ風の衣装に身を包んだ美女。
胸元をあらわにした黒皮のコルセットが、しなやかな身体にぴたりとフィットしていた。
薄手の赤いコートの裾が、すべるような足取りに合わせて優雅に揺れる。
腰まである長い髪。憂いを帯びた睫毛。切れ長の目元には濃いアイシャドウ。
磁器のような白い肌。
深紅に彩られた艶やかな唇のふちには、色気のある黒子がひとつ。
かすかに上がった口角が、挑発的な微笑を形づくっている。
高く通った鼻筋とやや細身の輪郭が、その冷たい美しさを一層研ぎ澄ませていた。
そして──その瞳が、俺を一瞥した。
(う……っ)
視線がかすめただけで、心拍数が跳ね上がる。
息が詰まり、喉がひゅっと鳴る。
冷たい圧力に全身が固まった。
それは完全に『悪の女幹部』だった。
「おはよう、ボス。準備はいつでも整ってるわよ」
彼女は俺に向かってそう言うと、髪を手で流す仕草をした。
ふわりと薔薇の香りがあたりを漂う。
「じゅ……準備って? 何の?」
声が裏返る。
「何って。今日は略奪デーじゃない。収穫祭も終わったし、物資が潤沢な時期だから」
心臓の高鳴りが、一気に冷え込んだ。
……略奪デー。何とも胸の痛いワードだ。
「ああ……略奪、ね。そういうお仕事だよな。俺たち……」
悪の女幹部がいぶかし気に俺を見つめる。
「ボス、さっきから何か変じゃない?……それに、何で目を合わせないのよ?」
その声に思わず肩が跳ねた。
(さっきから目のやり場に困ってるんだよ!)
三次元の女性に免疫のない俺は、きわどい衣装の美女をまともに見ることができなかった。
「まあまあ、ヴィオラ姐さん。そろそろ行きましょか!」
いつの間にか、他にも人が集まっていた。
総勢50人はいるだろうか。どいつもこいつも一癖ある面構えだ。
しかし、モヒカン・鉄仮面・修道僧風の男、そしてヴィオラと呼ばれた美女の4人は、そのなかでも頭ひとつもふたつも抜けた存在感があった。
モヒカンが軽やかに号令をかけた次の瞬間、俺の両脇に団員がぴったりと張り付き、気づけば一行の中心に担ぎ上げられる形になっていた。
こうして、俺の初めての略奪が始まった。
***
木々を抜けて見えてきたのは、小さな村だった。
家々はこじんまりとしていたが、畑や干し草からは人々の営みがにじみ出ている。
それを──
「ヒャッハー! 食料だせやあっ!!!」
モヒカンが吠えるように叫び、鉄仮面が家の扉を蹴破る。中から悲鳴が上がる。
ヴィオラは無言で食糧庫の鍵を壊し、修道僧姿の男は冷静に見張りを担当していた。
「ちょ、ちょっと君たち……!」
俺は声をかけようとするも、誰の耳にも届かない。
いや、聞く気がないのだろう。
子供が泣いている。女性が家の隅にうずくまって震えている。
ああ──これはもう、完全にアウトだ。
(ダメだ。非常にダメだ。破滅不可避……)
戻ってきた一行は、大袋に詰めた穀物やら衣類やらをドサッと地面にぶちまけて笑っていた。
「見てくださいボス、今回も大漁ですわ~」
俺は黙ってその光景を見つめるしかなかった。
***
──その夜。
(ここにいたら、絶対にやばい)
皆が泥酔して眠り込んだのを見計らって、俺はこっそり砦を抜け出した。
森を抜け、村はずれに建つボロ小屋を見つけて潜り込む。
「ふぅ……とりあえず、今日はここで寝よう……」
逃げ切った安堵と、今後への不安が入り混じる。
だが、こうなったら仕方ない。あの盗賊団が討伐されるまで、山奥でひっそりと暮らしていよう。
「まったく……なんで俺がこんな目に……」
自嘲気味につぶやきながら、眠気に抗えず、まぶたを閉じた。
***
翌朝、怒声と悲鳴で目が覚めた。
「ボスーッ!!!」
小屋の窓からそっと覗くと、村の広場に団員たちが大集結していた。
モヒカンが村長らしき老人の襟首を掴み、鉄仮面は「ウォラアァァァ!」と奇声を上げている。
「オィ!! うちのボス見いへんかったか? 隠すとタメにならんでワレェ!!」
慌てて小屋を飛び出る俺。
「ちょっ……おいおいおいっ!」
何してくれてるの、君たち。
俺の姿に気づいたモヒカンは、襟首を掴んだ手をぱっと離し、満面の笑みを浮かべた。
「ボスー! 探しましたでっ!」
モヒカンが飛びつくように駆け寄ってきた。
「こんなとこで何してはったんですか!?」
俺はドギマギしながら、どう誤魔化したものかと思考を加速させる。
「え、いや……」
「あー!! わかった。偵察やな! さっすがボス!」
俺が言い訳を考えるよりも早く、独自の結論を導き出していた。
何このポジティブ解釈。
鉄仮面はブンブンと頭を振る。
「おぉぉ。さすがボス! 偉い! すごい!」
修道僧風の男は深く頷く。
「一手も二手も先を読む。これぞわれらのボス」
「あの……その」
言葉を発する隙を与えてくれない。
あれよあれよという間に、話は“ボスの戦略的行動”として処理されていた。
そして、落ちついたあたりで、モヒカンがバットを振り上げ、景気付けとばかりに吠えた。
「じゃあ、ここらで一発略奪しときますかっ!!」
……なんでそうなるんだよ!
「いや、いや、いや……今日は昨日の疲れもあるし、休息が必要だろ。な?」
俺は慌てて、もっともらしいことを言って制止した。
モヒカンは村人たちに振り返りながら怒声を浴びせる。
「オイ、お前ら! ボスの海よりも深いご慈悲に感謝せえよ!! 次くるときは食料たんまりいただくでぇ!!」
そして、団員たちは引き上げていった。
(すいません、ほんとに……)
俺は心の中で村人たちに深々と頭を下げた。
──こうして、逃亡は失敗のうちに幕を閉じたのだった。