第02話 バウンティハンター
夜の砦は静まり返っていた。
だが──俺の心は、ひどくざわついていた。
薄暗い部屋の片隅で、何度も寝返りを打つ。
天井を見上げても、眠気は一向にやってこない。
貴族屋敷での出来事が、頭から離れなかった。
契約労働者たちの、あの目──。
あれは、解放の喜びなんかじゃなかった。
「どうせまた、元に戻るんだろう」という、諦めと不信が滲んでいた。
一時的な救済じゃ意味がない。
本当に必要なのは、“自活”できる環境。
そうでなければ、あの人たちは何度でも同じ目に遭う。
これは、俺の目指す“ホワイト盗賊団”にも通じる課題だ。
ただ内規を整えても、それを支える仕組みがなければ、机上の空論で終わってしまう。
──きちんと食える仕組みを、どう作るか。
答えなんて、まだ出せない。
けれど……俺は、諦めたくなかった。
***
翌朝。
まぶたの重さにあくびを噛み殺しつつ、部屋の扉を開けると、外の空気がやけに騒がしいことに気づく。
何事かと首を傾げたその時、モヒカンが血相を変えて飛び込んできた。
「ボスー! 表でなんか変な女が騒いどるで!」
「変な女……?」
寝不足の頭が回らないまま、言われるがままに砦の外へと足を向けた。
***
砦の前。
砂埃の向こうに、ひときわ目立つ女が仁王立ちしていた。
革紐で無造作に束ねられた黒髪が、風に揺れる。
背には身の丈ほどの大剣。
革の胸当てに、腕と脚には擦れたサポーター。
防御よりも動きやすさを優先した装備は、幾度もの戦場をくぐり抜けた証のようだった。
一見して、飾り気はない。
だが、その佇まいには不思議な重みがあった。
大地に根を張ったような安定感。空気を切る眼光。
まるで──獣の王。
威嚇ではない。命を狩る者だけが放つ、圧倒的な凄みがあった。
女は俺の姿を見つけるなり、日焼けした顔の口角を釣り上げた。
狩人が獲物を見つけたときのそれだった。
「おおっ、出てきたな、“1億”! 会いたかったぜぇ!」
「いちおく……?」
思わず声が漏れる。聞き間違いかと思ったが、相手は不敵な笑みを浮かべたまま、こちらをまっすぐに見据えていた。
妙な呼び名に困惑しつつ、俺は慎重に声をかける。
「あの……どちらさま?」
女は答えず、俺を値踏みするように一瞥し、にやりと笑った。
「お前がボスなんだろ? わかるぜ、その“圧”。雑魚とは違うな」
そう言って、俺の傍らにいたモヒカンたちへ視線を向けると、鼻で笑った。
モヒカンが即座に反応した。
「おうおう、誰が雑魚やねん! いくで、鉄仮面!」
言い終わらないうちに、ふたりは女に向かって駆けていた。
釘バットが唸りを上げる。横薙ぎの一撃。 その背後から、鉄仮面の鉤爪が鋭く突き込まれる。
初対面の相手に容赦のない挟撃が繰り出された。
(お、おいおい……)
俺が止めに入ろうとした、その瞬間。
女は剣を抜くこともなく、ふっとモヒカンとの間合いを詰め──
腕を払って体勢を崩し、地面に叩き伏せた。
振り向きざま、鉄仮面の突進をいなして体を捌くと、そのまま肘打ち一発で沈める。
「ハッ、やっぱ雑魚じゃん。お呼びじゃないね」
(うそだろ……?)
俺は目を見開く。
モヒカンと鉄仮面は、うちの砦でも上位の戦力。そんな二人が、まるで相手になっていない。
俺の背後から静かな殺気が漏れる。
……和尚だ。
だが、前へ出ようとした彼に聞きなれない声がかかった。
「はい、ストップー」
見ると、いつの間にか和尚の背後に忍び風の少女が立っていた。
細身の体に黒ずくめの装備、赤いスカーフ。
手には短剣。その切っ先は、ぴたりと和尚の首に突きつけられている。
「ボクたちが用あるのは“ボス”。その他はおとなしくしててね」
(おおっ……これが異世界のボクっ娘!?)
一瞬だけ胸がときめいたが、すぐに気を引き締める。
(いやいや、浮かれてる場合か。この二人……只者じゃない)
俺は深く息を吐き、平静を装って口を開いた。
「俺が目的なんだな。で、何の用だ? 見ての通り、俺たちゃ善良な盗賊団でね」
虚勢を張る声が、微かに震えていないことを願う。
「善良、ねぇ……」
戦士風の女が笑った。
「ウチらはブラック冒険者ギルドのバウンティハンター。つまり、賞金首狩りさ。そして、あんたがターゲットってわけ」
冒険者ギルド……? あのファンタジーによくある?
ていうか、ブラックってなんだ?
いや、それよりも。
「賞金首!?」
情報量が多すぎて思考がまとまらない。
そんな俺のパニックをよそに女は話を続ける。
「最近じゃ有名だよ。“あのヴァルト”に手を出すなんてね。命知らずにもほどがある」
ヴァルト……あのヴァルトか。
「いや、誰だ!?」
……と言いながらも、心当たりは山ほどあった。一体どいつの報復だ?
そのとき、ため息交じりに「……ああ、やっぱり来たか」とヴィオラの声が聞こえた。
「知ってるのか?」
ヴィオラを見ると、やれやれ……といった表情で答えた。
「知ってるも何も、最初の“あれ”の相手よ」
最初の……言われて記憶がよみがえる。
ティナを救出した、最初のホワイト略奪のとき。商隊のリーダーが言っていた。
──誰の積荷に手を出したと思ってるんだ!!
あれか。いかにも意味ありげな伏線を張っていた。
俺はヴィオラに尋ねる。
「で、そのヴァルトって、ヤバい人なのか?」
「まあ、かなりね……言ってなかったかしら? おいしい話にはリスクはつきものでしょ?」
しれっと微笑むヴィオラ。
(こいつ……)
俺達のやり取りを眺めていた女は、くっくっと笑った。
「バカは嫌いじゃないよ……。だからこうして、引導を渡しに来てやったのさ。“賞金首”さん」
討伐フラグも不明だってのに、今度は懸賞首かよ。
あのとき、嫌な予感はしていたんだ。
ブラック冒険者ギルドにヴァルト……何者だ?
***
──少し時はさかのぼり、王都・騎士団本部。
装備をつけた新兵たちが訓練場を疾走していた。
朝から夕刻まで続く地獄の訓練……。
その中に、アリサの姿。
朦朧とする意識の中、彼女の目の端に異常な光景が映った。
正門の前。
団長のガーランドが、まるで別人のように腰を低くしていた。
その相手は、漆黒のマントに金刺繍、端正な顔立ちの紳士。
どこか年齢不詳で、涼やかな眼差しを持っている。
アリサは入団式の日の、威厳に満ちたガーランドの姿を思い出していた。
(……あの団長が……あんなに頭を下げてるなんて……いったい誰?)
しかし、そんな疑問は背後から迫るクラリスの声にかき消された。
「よそ見とは余裕だな、グランフィール」
クラリスの剛剣が唸りをあげてアリサに襲いかかる──
そんな新兵をよそに、その男は豪奢な馬車に乗り込み、騎士団を後にしていた。
***
──馬車内。
「お疲れ様です。ヴァルト様」
執事風の男が静かに声をかける。
「ああ。……まだ騎士団そのものを動かすには時期尚早だな。だが──彼らが持つ道具だけでも十分だ」
そう言って、ヴァルトは手にしたケースをそっと撫でる。
ガーランドから渡されたものだ。
「これをグレイスに」
そういって、執事風の男にケースを預けた。
石畳の上を静かに滑る馬車。
ヴァルトは窓の外を見ながら呟く。
「義賊か……この国には不要なものだな」
感情のこもらない声。
目の光には怒りも憎しみもない。ただ、淡々と。
その静けさは、嵐の予兆に似ていた。