第01話 自己責任論
「さて……と」
俺は腰に手を当て、静かに現場を見回した。
ここは、とある貴族の屋敷。
“契約労働者”という名の奴隷を大勢囲い、他所の現場に斡旋して荒稼ぎしているらしい。
今回のホワイト略奪も、無事成功だ。
屋敷を守っていた護衛たちは、全員気絶するか逃げ出していた。
「にしても……契約労働者って、本当に多いんだな。国は何やってんだよ。こんなの、取り締まり案件だろ」
部屋を見渡しながら、思わず横にいたヴィオラへとぼやく。
「まあ、貴族なんてどこも似たようなものよ」
ヴィオラは静かに片足を上げ、黒革のブーツを床に転がる小太りの男──屋敷の当主の腹に、軽く乗せていた。
そのしなやかな脚線と、肩にかけた鞭のコンビネーションが、妙に様になっている。
伏せた睫毛の下から向けられる視線は、鋭く冷たい。
「奴隷で私腹を肥やす……そんな連中ばかり」
(……うーん、女王様。似合いすぎだろ)
思わず心の中でつぶやいてしまう。ある意味、ご褒美なのかもしれない。
そんな俺の思考を吹き飛ばすように、「ボスー!」と声が飛んできた。
モヒカンと鉄仮面が、獲物を見つけた猟犬のようなテンションで駆けてくる。
「こいつ、しこたまため込んでましたわー!」
金貨や宝石の詰まった袋をジャラジャラ鳴らし、満足そうな笑顔を浮かべている。
……こいつらを見てると、どっちが悪党かわからなくなる。
まあ、どっちもどっち、なのかもしれないが。
小さな疑念が芽生えるたびに、俺はそれを振り払っていた。
というか、直視しないようにしていた。
今は──弱者からの略奪は止めている。それだけでも、一応の“進歩”ではある。
……そう、仕方のないことなのだ。
「はいはい。ご苦労さま。で、契約書は?」
「ほいこれ!」
差し出された紙束を受け取り、俺はざっと目を通す。
「なになに……」
───
・名前:トーラス=バウス
・所属:グリフォンエージェンシー
【契約条件】
1.労働時間:日の出から日の入りまで(休憩30分)
2.休日:週1日
3.支給:最低限の食事
4.手付金:600,000G(受取人:兄ライアン)
5.日当:0G
6.派遣料金:12,000G/日
7.魔力印:7,200,000G分の労働で解除
8.病気・けが:労働不能時は契約解除
9.離脱時:上記7の残額一括支払い
※特記事項:派遣先の指示には絶対服従
───
「おおいっ!」
思わずツッコミながら、俺は契約書をビリィっと引き裂いた。
その様子を見たヴィオラが、あきれ顔で首を振る。
「普通は魔力印って破れないんだけどね……ほんと、どうなってるんだか」
俺は視線を当主の男に向ける。
……やっぱり、こいつは野放しにしちゃいけないやつだったな。
「……よし、行こうか」
そう言って男の襟首をつかみ、ぐいっと引きずるように廊下を歩き出す。
「ひっ、ひぃぃ……!」と、情けない悲鳴が響く。
モヒカンと鉄仮面が、慌ててその後を追った。
***
屋敷の中庭に、解放された契約労働者たち三十人ほどが集められていた。
俺はぐったりした小太りの男をモヒカンに預け、集まった人々の前に立つ。
高らかに声を張り上げた。
「みなさーん!」
引き裂いた契約書の破片を、掲げて見せる。
「この契約は無効になりました! 今からみなさんは、自由です!」
一斉にこちらを向く視線。だが、その目にあるのは、喜びではなく──戸惑いだった。
俺はその空気を断ち切るように、続けた。
「今までの働きに対する対価も、このお貴族様がしっかり払ってくれます!」
その瞬間、小太りの男ががばっと顔を上げ、怒鳴った。
「冗談じゃない! 正式な契約で労働者を使って稼いだ金だ! 何が悪い!」
ちらりと男に目をやり、俺はため息をついた。
「……また、それか」
だがまあ、会話になるとは思っていなかった。
今まで繰り返したホワイト略奪で、悪党の言い分はみな同じだったからだ。
「契約って言うけどさ、ファンタジ─世界のコンプラどうなってんだ? あんなのアウトだろ。しかもさりげなく偽装請負とか……やってることが悪質すぎるぜ」
何度も同じパターンに遭遇して、説得する気は失せていた。
俺は男の目の前まで進み、静かに言った。
「そんなにイヤなの? お願いしても?」
小太りの男がふてぶてしく吐き捨てる。
「何がお願いだ! この悪党が!」
それまで黙って聞いていたモヒカンが、ピキッと眉を跳ね上げる。
「おうおう、ずいぶんやな。えっ?オッサン」
ギリ、と釘バットを地面に押しつけて前に出ると、男がビクリと肩を震わせる。
それを、俺は静かに手を上げて制止した。
「まあまあ、モヒカンくん。いまは交渉の場だから……ね?」
……そのまま、ゆっくりと男に歩み寄る。
「ひっ……」と小太りの男が一歩後ずさる。
俺は静かに男の肩へ手を置くと、盗賊団首領の威圧を発動した。
その瞬間──風もないのに、砂埃がふわりと舞った。
空気が、ずしりと重くなる。
「……ッ!?」
男の顔色がみるみるうちに青ざめていく。
「な、なにをする気だ……!」
俺は何もしてはいない。だが──
心臓が、鷲掴みにされるような感覚。
息が詰まり、汗が噴き出し、膝が笑い出す。
「あ……ッ……あああああああああ!!」
声にならない悲鳴──理屈ではなく本能に恐怖が刻まれていた。
歯の根が合わないほどの震えの中で、男はガクガクと首を縦に振った。
「じゃあ、成立ということで」
俺はすっと手を離し、何事もなかったように後ろを向く。
ぽかんと口を開けるモヒカン。
「やっぱボスやな─……。わしよりエグいで……!」
うっとりと呟いた。
もう、男のことなど眼中になかった。
俺は改めて、契約労働者たちのほうに向き直る。
「はい、じゃあ皆さん──並んでくださーい!」
***
黄昏の光が傾き、貴族屋敷の中庭に長い影を落としていた。
解放された人々は、どこか上の空のまま、少しずつ列をなして歩き出す。
「自由」と言われても、まだ現実味がなかったのかもしれない。
その中で、一人の男がふと立ち止まり、ゆっくりとこちらを振り返った。
目が合う。
「ん? どうした?」
声をかけると、男はビクリと肩を震わせた。
(……まあ、慣れてきたけどな)
男は喉を鳴らし、言葉を探すように唇を動かした。
「……その、ありがとうございます。助けてくれて。本当に……感謝してます」
一礼しかけて、ふと俯く。
「俺には、何の技術もない。ただ働くだけで……この先また詰む気がして」
そして、意を決したように顔を上げる。真剣な眼差しがあった。
「……噂で聞きました。あんたら、義賊なんだって。だったら……何か。手を……貸してもらえませんか?」
思わず言葉に詰まった。
契約労働者を解放して、それで終わり。その先のことなど考えてはいなかったのだ。
いや、俺は正義の味方でも何でもない。ただ、破滅エンドを避けたいだけだ。
そんな重い話をされても──
そのとき。
「じゃかあしいわ!」
怒鳴り声が響いた。モヒカンだ。
「自分のことは自分でなんとかせぇや! そんなもん、自己責任やろがい!!」
鋭い怒声に、男が息を呑んだ。俺も一瞬、心臓が凍りついた。
(出た、“自己責任”)
耳が覚えている。心が、痛いほど覚えている。
努力しても届かなかった日々。がむしゃらに働いても報われなかった現実。
「それ自己責任だよね? 他人のせいにしてるんじゃないよ」
あのときの言葉が、心の奥底を抉るようにリフレインする。
気づけば男は、モヒカンと鉄仮面に追い立てられるように、屋敷を出ていた。
その背中を、俺はただ無言で見送るしかなかった。
そして──ぽつりと、独りごちる。
「……自己責任」
それは、本当に、そうなのか?
けれど──彼らを受け入れる余裕なんて、今の俺にはない。
盗賊団を養うだけで、手いっぱいだ。
それに……彼らに盗賊をやれっていうのか?
俺は、ふとティナに語った自分の言葉を思い出していた。
──略奪に頼らず、自活の道を探す。それが、俺の次のミッション。
自活……か。
俺は、ずっと盗賊団のことばかり考えていた。
でも、もしかしたら──まだ、何かを見落としていたのかもしれない。
答えの見えないまま、黄昏の風が、ひとすじ頬を撫でていった。