第16話 厳しさと微笑みと
盗賊団討伐のキーキャラクター四人。
ベアトリス、ミレーヌ、セリーナ……確かに彼女らも手ごわい。
だが、「一番ヤバいのは誰か?」と聞かれたら、迷わずこう答える。
クラリスだ、と。
訓練イベントを重ねすぎると、アリサが脳筋化。
乙女ゲームにあるまじきフィジカルモンスターと化し、恋愛はそっちのけで筋肉と闘いの旅が始まる。
イケメンよりも、プロテインとトレーニング。
強いやつに会いに行き、ただひたすらに武の高みを求める。
──その果てに、魔王をも従えて世界に覇を唱える。
完全に別ゲームである。
そんなアリサの師匠ポジが、クラリス。
まさに一騎当千、人類最強。
美人なのにやたら好戦的で、盗賊団討伐にも積極的。
加えて、これは銀シャリのシナリオライターの趣味なのか──
アリサは古き良き熱血仕様で、クラリスとの相性がすこぶる良い。
親密度が上がるたびに、討伐フラグが一気に加速する。
……リュシアンルートと並ぶ危険度を誇る、クラリス師匠ルート。
本当に、勘弁してほしい。
まだ討伐までに猶予が残されていることを願うばかりだ。
***
王都騎士団名物、地獄の訓練。
ただひたすらに一筋の刃となるべく、新兵たちは鍛え上げられる。
そこには優雅で華麗な剣術指南など存在せず、ひたすら泥臭く、地を這うような修練が続いていた。
大人ひとり分はある訓練装備を背負い、全力疾走。
嘔吐し、呻き、目を虚ろにしながらも剣を振り、走り、登り、落ちる。
──普段よりも、明らかに厳しい。
誰もがそう感じていたが、誰ひとり口にはしなかった。
クラリスの気迫が違っていた。
それだけで、逆らうことは許されなかった。
***
訓練後、着替えを終えたアリサが詰所を出たところで、ロイが手を振って待っていた。
「アリサ! お疲れ。今日のクラリス教官、気合入ってたよな。見ろよ、このアザ」
そう言って肘や腿を見せてくるロイに、アリサは顔をしかめる。
「ちょっ、何見せてるのよ……!」
「ん? もしかして照れてる?」
「べっ、別に……!」
ロイの笑いを無視してアリサがそっぽを向いたとき、クラリスが姿を現した。
「グランフィール、少しいいか」
「えっ……あ、はいっ!」
ロイは「じゃ、じゃあまた後でなっ!」と、そそくさとその場を離れた。
(あ〜、ロイ! 逃げたな……)
ロイの背中を睨みつつ、クラリスに呼ばれたアリサは慌てて向き直る。
「はい! すみませんっ!!」
クラリスはクスリと笑った──かもしれない。
いつも険しい顔なので、表情の変化が分かりにくい。
けれど、どこか柔らかい雰囲気が、アリサを包み込んだ。
「訓練後まで構えなくていい。少し、話がしたくてな」
「お話……ですか?」
クラリスの真っ直ぐな眼差しに背筋が伸びるのを、アリサは自覚していた。
「……訓練は、つらいか?」
(はいっ!! とっても!!)
元気よく答えたのは、心の中だけ。
「えっ……あ……全然?……いえ、ちょっとだけ……」
目が泳ぎ、言葉が定まらない。
その様子を、クラリスは静かに見つめていた。
「まあ、そうだろうな。温いことはしていない。だが──」
クラリスは目を伏せ、静かな口調で続ける。
「王都にいると実感が湧かないかもしれないが、リエンツや西方では凶悪な賊がはびこっている。加えて、魔王の動きも活発と聞く」
その名を聞いた瞬間、アリサの脳裏にある光景がよぎった。
講義室の窓辺で、淡く目を伏せていたベアトリスの姿──
「リエンツって……ベアトリス様も……」
「聞いていたか。同じ国の民が、日々刃に怯えて暮らしている。王都騎士団といえど、無関心ではいられない」
クラリスはわずかに表情を曇らせた。
「王都守護の要である我々が動くには、高度な政治判断が必要だ。だが、今すぐ剣を振るえぬのなら──せめて備える。それが、今の私にできることだ」
アリサは深く息を吸い、その想いを受け止めた。
そして、静かに言葉を返す。
「はい。騎士は、民を守る剣だって……いつも教官が言っていますから。私も、そう思います」
「そうだ。新兵であっても、いずれは戦場に立つ。守るために剣を抜けるかどうか──それを決めるのは、日々の覚悟だ」
空気の密度が、わずかに変わる。
「そして……その剣は、自分を守るためのものでもある。民のためにも、命を容易く散らすことは許されない。それを忘れるな」
アリサは拳を握りしめ、真っ直ぐに答えた。
「はいっ! もっと強くなります、教官!!」
その言葉に、クラリスは静かに目を伏せる。
「……なぜ、こんな話をしたのか。不思議か?」
アリサがこくりと頷くと、クラリスは視線を戻す。
「……あの訓練に真正面から向かってきたのは、カインとアーサー以来だった。フレッド小隊は面白い連中が揃っている。それに──」
一拍置いて、目を閉じる。
クラリスは思う。
(私に、灯をつけてくれたんだ……)
そして目を開き、まっすぐな思いを口にした。
「アリサ」
不意に名前を呼ばれ、アリサの心臓が跳ねる。
クラリスは、優しく微笑んでいた。
「あなたを見ていると、思い出すんだ。“騎士”に憧れ、理想に燃えていたあの頃の自分を」
その声は、懐かしくて、あたたかくて──
ふわりと、風が止んだような静けさが訪れる。
騒がしかった世界が、ふたりの間だけ静寂に包まれる。
アリサは高鳴る鼓動に驚き、無意識に胸に手を添えていた。
クラリスは何も言わずに表情を引き締め、静かに背を向ける。
「明日も訓練は厳しいぞ。しっかり寝ておけ」
一瞬、静寂が残る。
そして。
「はいっ! よろしくお願いします!!」
アリサの声が、夕暮れの中に力強く響いた。
***
「……ボス、どうしたの?」
ヴィオラの声に、はっと我に返る。
どうやら、しばらく考え込んでしまっていたらしい。
いまのアリサのルートがどう進んでいるのか……いろいろ考えたが、正直わからない。
けれど、今はできることをやるだけだ。
倉庫に山積みされていた略奪品は、すべて村々に返還し、いまや空っぽ。
だが、不思議と胸がすく。ここからが、はじまりだ。
ヴィオラが地図を指し示しながら、次の説明に入る。
「それで、今度のターゲットはこの貴族ね」
聞けば、悪質な高利貸し。
借金をたてに契約労働者を囲い込み、実態は人身売買……か。
ブラックどころの騒ぎじゃないな。
モヒカンがいつもの調子で声を上げる。
「ボス、ホワイト略奪やったりましょーや!」
俺は苦笑しつつ、親指を立てて応えた。
「よし、就業時間厳守でいくぞ!」
ホワイト改革は、まだ始まったばかり。
きっと──いや、絶対に上手くいく。
そう信じていた。