第12話 騎士団の日常
王都騎士団屋外演習場では、リュシアンの精霊契約術式の実技練習が続いていた。
ミアの指導で基礎を学んだリュシアンは、その才能もあって目覚ましい上達を見せる。
逆に焦りを覚えるのは教師役のミアの方だったが、これもリスティアの思惑通り。
潜在能力ではリュシアンが上でも、ミアにはA級冒険者としての豊富な実戦経験がある。
教え子に触発されてさらに研鑽を積めば、その差は容易に詰められるものではない──はずだった。
……なのだが。
ミアのもとには「自分にも精霊契約術式を教えてほしい」という騎士たちが殺到。自己研鑽どころではなくなっていた。
あのデモンストレーションが予想以上に効果てきめんだったのだ。
だが、当初は「ベアトリスが私的に雇った家庭教師」にすぎなかったミアも、いまや正式に騎士団の嘱託。
精霊への対価も予算から支払われることになり、講座は制度として認められることとなった。
こうして精霊契約適性Cランク以上を対象に、ミア先生の授業が始まったのである。
ちなみに──
セリーナはぎりぎりのCランク、ミレーヌはDランク。
本来なら対象外だが、ミレーヌは猛烈なアピールをかけ、半ば強引に参加を勝ち取っていた。
精霊との契約適性の基準は以下の通りである。
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SSランク:
多数の上位精霊との契約適性あり(例:リスティア)
Sランク:
多数の中位精霊との契約適性あり。上位精霊との交渉も可能(例:リュシアン)
Aランク:
多数の下位精霊との契約適性あり。中位精霊との交渉も可能(例:ミア、セラ)
Bランク:
多数の下位精霊との契約適性あり(例:リサ)
Cランク:
単体の下位精霊との契約適性あり(例:セリーナ)
Dランク:
契約に難ありだが、訓練次第で力量向上の余地あり(例:ミレーヌ)
世の中の大多数の人間は、ここDランク。
Eランク:
精霊との契約適性なし。魔法的な才能はゼロ(例:アリサ)
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努力次第でワンランクの向上は可能。
つまりEランクを除けば、精霊契約の道は閉ざされていない。
ミレーヌにも──まだ希望はあったのだ。
ところで、アリサとミレーヌは魔法的な才能こそ乏しいものの、それぞれ精霊共鳴SSと精霊交信SSという、一点突破の資質を持っていた。
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■ 精霊共鳴
精霊の眼差しを引き寄せる力。
その者の在り方や精神性が持つ“価値”に精霊が感応し、周囲の人間の心にまで影響を及ぼす波動を発する。
SSランク
精霊にとって“観測対象”そのもの。
存在自体がこの世界における特異点(例:アリサ、かつてのベアトリス)
Sランク
明確な信念・慈愛・希望など、精霊が感応しやすい“価値”を常に発信している者(例:ティナ)
平たく言えば──
精霊契約が「リソースを支払って力を借りる」のに対し、精霊共鳴は「その人物の生き方そのものが精霊への報酬」となる。
なお、精霊共鳴の波動を放てるのはSランク以上。
それ未満では「なんとなくツキがある」「魅力的な人物」といった程度に留まる。
●波動のタイプ
精霊共鳴の効果は、大きく三つに分類される。
・共感型
他者の心に眠る理想や願いを呼び覚まし、立ち上がる行動を促す。
・権威型
他者の“秩序欲求”や“従属心”を刺激し、従わせる力を持つカリスマとなる。
・調律型
他者の心の乱れや暴走を鎮め、対話を引き出す。
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■ 精霊交信
他者の放つ精霊共鳴や、誰かの“想い”を受け取る感受性。
精霊共鳴がアクティブ型だとすれば、精霊交信はパッシブ型。“語り部”や“巫女体質”に近い資質である。
SSランク
精霊共鳴の波動や精霊の動きを直感で読み取り、同調できる特異体質(例:ミレーヌ)
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ともあれ──
この世界を動かしているのは、精霊エネルギーを直接利用できる精霊契約だ。
アリサは本来なら、いくら努力しても、いくら対価を払っても精霊の力を借りられない“最弱”の存在。
だが、彼女には精霊の眼差し──この世界で最も心強い“応援”がついている。
まさに、“最強無課金乙女”の爆誕であった。
話を王都騎士団に戻す。
精霊契約術式によって生み出される魔法の力を目の当たりにした騎士たちは、我も我もとミアのもとに殺到した。
ミアの持ち込んだ教本はWSO監修で複製不可であったため、全員で回し読みし、ノートに要点を書き写し、さらには自主的な勉強会まで立ち上がる始末。
あまりの熱心さにミアは呆れ返ったが──「先生!先生!」と持ち上げられるのは、満更でもなかったのだ。
***
「騎士ってのは脳筋ばっかだと思ってたけど……案外、魔法に興味あるんだねぇ。
こんなに忙しいなんて聞いてなかったんだけどー」
食堂で昼食を突きながらボヤくミア。
同じテーブルには、ミレーヌとセルジュが座っていた。
実のところ、騎士たちの勉強会を差配し、ミアを正式な嘱託にして予算を引き出したのはセルジュの手腕である。
当初、騎士団長ガーランドは得体の知れないミアを訝しんでいた。
だがセルジュが「で、ででも……皆さんが魔法を使えれば……騎士団の強化になりますから」と、粘り強く説得。
騎士団一級兵装の紛失を隠蔽している負い目もあり、ガーランドは「ベアトリスとの無用な対立は避けたい」と判断し、渋々ながら許可を出したのだった。
その経緯もあって、セルジュとミアが顔を合わせる機会は自然と増え、いつの間にかそこにミレーヌも加わっていた。
セルジュにとって、あけすけで気取らないミアは話しやすい相手だった。
最初は緊張していたが、今ではすっかり肩の力も抜けている。
──ただ、ミアの顔を見るたび、どこか「何かを忘れている」ような感覚がセルジュの胸をよぎる。
ブラック冒険者ギルドを訪れた際、エミリアから「この人を探している」と見せられた写真。
そこに写っていたのは、スクールベストをゆるく着こなし、膝丈スカートという独特な装いだった。
その印象があまりに強烈で──
いま騎士団の制服に身を包むミアと、どうしても結びつけられなかった。
加えて、人の目をまともに見られないほど非社交的な彼女にとって、写真の顔を一瞬で記憶するなど到底無理な話だ。
結果として、こうして何度も向かい合っていながら、いまだにエミリアの探し人が目の前にいることに気づいていなかったのである。
***
そんな食事の席で、ミレーヌの声が上がる。
「先生! 私、けっこうイケるようになってきたと思うんですよね。ほら!!」
擦ったマッチの炎ほどの、小さな火。
それが彼女にとっての精一杯だったが、本人は胸を張っている。
「ふーん」
投げやりな相槌を打ちながら、パンを千切るミア。
そのやり取りを、セルジュは黙って眺めていた。
騎士団一級兵装の紛失。そして、団長ガーランドとヴァルトの裏の関係。
後者はいまだ疑惑の域を出ない。だが、心配事は尽きなかった。
知ったところで、自分に何ができるというのか。
それでも、騎士団の運営に関わる以上、看過してよいものか。
セルジュの胸中には、答えの出ない問いが渦巻いていた。
その横顔を見つめるミレーヌは思う。
──やはり、何かが起きている。
だが、本人が口にしない以上、自分から問い詰める気はなかった。
けれど。せめて、セルジュを困らせない程度に、団長の動きを探れないか──そう考えた。
「そういえば……例の盗賊団って、国境付近で全滅しちゃったらしいですね。
ヴィエールって、やっぱり強いんですね」
その話題は、いま王都でも広く流れている一大ニュースだった。
国境警備隊の女傑ヒルダによる討伐──そう報告されていたからだ。
だが、ミレーヌもミアも知っている。
それは“偽装全滅作戦”に過ぎないということを。
──あれだけ盗賊団に対して強硬姿勢を見せていたガーランドが、次にどう動くのか。
ミレーヌの関心は、もっぱらそこにあった。
「え? ええ、すごいね。さすがクラリスさんの親戚だって、職員の中でも話が出ているの」
セルジュは穏やかに微笑んだ。
盗賊団の全滅は民にとって安心材料であり、それ自体は喜ばしいことだ。
だが──肝心の一級兵装の行方はいまだ不明だった。
あれから、ガーランドの息のかかった者たちが密かに盗賊団の砦を調査した。
しかし、兵装はそこには無いと判明している。
副官アラヴィスの推測は二つ。
裏に流れたか、あるいは盗賊団内部での内紛により持ち出されたか。
さらに彼は詳しくは語らなかったが、裏の世界に詳しい者へも調査を依頼しているらしい。
仮に流出していたとしても、いずれ回収できるだろう──そう言外に示していた。
であれば、セルジュにはこれ以上語る言葉はなかった。
そして黙り込むセルジュ。
ダメか……とミレーヌが息をついたとき、ミアのぼやき声が強くなった。
「まあ、盗賊なんていてもいなくても、どっちも変わんないかな。
久しぶりの王都だって思ってたのに、なーんか暗いっていうか。
あたし、坊やの子守とか汗臭い騎士の相手ばっかじゃ、つまんないんですけどー」
先日の休暇も楽しみに外出したものの、目当ての店がいつの間にか廃業していたという。
王都といえども、ここ最近は景気の悪化が著しい。
街には失業者があふれ、職にありつけても、その多くは契約労働者──奴隷同然の待遇だった。
それでも暴動が起きないのは不思議なほどである。
だが、それこそが王都騎士団という治安維持機構が確かに機能している証でもあった。
「先生、次は一人で外出しないでくださいね。
義賊騒ぎが収まっても、窃盗なんかはまだ多いんですから……」
ミレーヌは呆れたように言う。
くれぐれも供をつけるように念押ししていたのに、ミアは「へーきへーき」と勝手に抜け出していたのだ。
「次はセリーナが、目を光らせるって言ってましたよ」
その一言に、ミアはあからさまに嫌な顔をした。
「あのねえ。あたしは休暇くらい自由に過ごしたいの。
なんで、あのおっかない緑眼鏡がくっついてくるんだっつーの。
あれは坊やと一日中ちちくり合ってればいいんじゃね?」
言い放ったあとで、ミアはハッとする。
こういうフラグを立てたときは、決まって殺意交じりの視線が突き刺さるのだ。
慌てて周囲を見渡す──セリーナの姿は、ない。
「……ヒヤヒヤさせるぜ」
安堵の息をついた、その瞬間。
背後から、ポンと肩に置かれる手。
「ご一緒しても? 先生」
にこやかな声とともに、セリーナが椅子を引いた。
そしてミアの耳元に顔を寄せ、小さく囁く。
「……いまはセルジュ様の前なので。──後で、お話しましょう?」
その声音はあくまで穏やか。
だが、冷や汗が背筋を伝うほどの圧力が込められていた。
その殺気を敏感に察したミレーヌが、慌てて場を取り繕う。
「そ、そうですよね。先生も息抜きしたいですよね!
じゃあ、私たちが王都を案内しますから、ね?
そうだ! セルジュ様もご一緒にどうですか?」
彼女が同行していれば、セリーナの圧もいくらか和らぐ──そんな思惑があった。
「ミレーヌ、セルジュ様はお忙しいのに失礼よ」
セリーナがたしなめる。だが、当のセルジュは案外乗り気だった。
「ううん。休暇は特にやることがなくて……でもいいの?」
そこにミアが食い気味に乗っかる。
珍しく、ミレーヌの放ったパスがしっかりと伝わったのだ。
「いいじゃん、若いのがゴロゴロしてちゃお肌に悪いよ?
じゃあ、次の休みはお買い物ってことで~!」
こうして、王都騎士団の日常は過ぎていくのだった。