第10話 前王妃とWSO
アリサたちは、前王妃マルグリットのもと、本格的に新しい騎士団の設立に奔走するのだった。
……のはずだが。
エドワルドはあれから三日後にエルンハルト本家へと出立し、旅の護衛にはクラリスとカインをつけていた。
マルグリット邸に残ったのは、アリサとアーサー、そしてロイの三人。
アリサはこの数日、マルグリットの様子を観察していた。
毎日、起きてくるのは昼過ぎ。
フランシーヌが用意したジャージに、モサモサと着替えると──脱ぎ捨てた夜着はそのまま放置。
食堂に置かれた作り置きを、死んだ魚のような目で淡々と口に運ぶ。
だが、不思議なことに手元も口元も一切乱れない。
……食事マナーだけは、隠しきれない育ちの良さが滲んでいた。
やがて頭がはっきりしてくると、買い物から戻ったフランシーヌに小遣いをねだり、三千Gを握りしめて──ふらりと衛兵詰所へ。
そして男たちを相手にチンチロリン。
アリサもすっかり衛兵たちと茶飲み友達になっていた。
……だが、目的はそこではない。
あまりのやる気のなさに、(この人で本当に良かったのだろうか)と、若干の不安を覚えていたのだ。
それとなくマルグリットに振ってみると、返ってくるのはただ一言。
「まあまあ、焦るんじゃないよ」
ひらひらと手を振るだけだった。
だが、その点についてはアーサーも同意のようだった。
「俺たち烏合の衆をまとめるのは、マルグリット様の権威だ。
けどな──烏合の衆も、まだ五人じゃどうしようもねえだろ」
まずは勢力を拡大する。
確かに、一朝一夕でどうにかなる話ではなかった。
そんな中、アリサのもとに一人の客人が訪れた。
エドワルドの家の通行証を提示して。
──レイラだった。
彼女はWSO(世界精霊機関)の関連組織、国際精霊・人権機構の監察官。
エドワルド領内の労務環境を査察する予定で動いていたものの、肝心の当主は留守。
代わりに、ここにアリサが滞在していると耳にして──彼女を訪ねてきたのだ。
レイラの傍らには、男が二人控えていた。
剣士レオンと、巨躯の戦士グロック。
どちらもかつてはブラック冒険者ギルドに属したA級冒険者。
だが今はホワイト盗賊団──いや、ホワイトシーフ商会の傘下。
今回の任務は、レイラの護衛。ボスの命だという。
重厚な鎧を脱ぎ捨て、軽装に身を包んでいても、漂う気配は隠しきれない。
只者ではない──そう感じ取るには、アリサにとって十分だった。
客間に通された一行に、アリサとロイが応対する。
聞けば、男ふたりはミアと同じパーティメンバー。
その話題をきっかけに会話は自然と弾んでいった。
そこへ、ふらりとマルグリットが姿を現す。
ちゃぶ台の前に敷かれた座布団にドカッと腰を下ろすと、挨拶も抜きにフレンドリー全開で声をかけた。
「へえ、なかなか強そうじゃん、お前たち」
ジロジロとレオンとグロックを品定めするように眺める。
ロイが、彼らはホワイトシーフ商会のA級冒険者だと紹介すると、マルグリットは「なるほどねえ」と口角を上げ、八重歯を覗かせた。
「こういうやつらがゴロゴロいるとなると、ジジイの話にも信憑性が出てくるな。
なあお前ら、魔導ギア持ってんだろ? あたいにも見せてくれよ」
──突然現れたガラの悪い金髪ジャージ女に、レイラは目が点になる。
前王妃マルグリットだとは、夢にも思わない。
だがレオンは軽い調子で応じる。
「魔導ギアか? いいぜ。
……あんた、度胸ありそうだな。冒険者やってみるか?」
「それも面白そうだなー」
八重歯を見せて笑うマルグリット。
そのままレオンとグロックを伴い、屋外へと消えていった。
アリサはポカンと口を開けたまま見送っていたが、ふと我に返り、慌ててレイラに向き直る。
「あ、すみません。ご迷惑おかけして……」
レイラは肩をすくめ、何事もなかったかのように快活な笑みを浮かべた。
「アリサさん、元気そうでよかった。
まさか騎士団を離れるなんて思わなかったけど……でも、らしいかな」
──アリサにとって、レイラは異国のことを教えてくれ、この国を変えたいと思うきっかけを与えてくれた恩人だった。
「それで、どうしてここに? 取材ですか?」
アリサは、フリー記者という仮の姿しか知らない。
問いかけに、レイラは少しだけ目を伏せ──そして本当の身分と目的を明かすことにした。
話を聞いたロイが、なるほどと頷く。
「……WSOの。だから国外のことを、アリサに教えてくれたんだな」
単なる記者が、教官クラリスですら知らない情報を持っていた理由。
ようやく腑に落ちた。
レイラは静かに頷く。
「ええ。でも、そうしようと思ったのは……アリサさんの精霊共鳴に触れたから。
この国を変える“希望”になると思ったからですよ」
その言葉に、アリサは思わず胸の奥が熱くなるのを感じた。
──やっぱりアリサは特別なんだ。
ロイは改めて思う。けれど、そこに嫉妬はない。
彼女の物語はまだ続いていく。その中で、自分はきっと一ページを共に紡ぐ存在になる。
それが──楽しみでもあった。
「でもですねえ……」
レイラが大きく息をついた。
「ミレーヌさん。あの人に喋ったのだけは勘弁して欲しかったです。
ほんと、大変だったんですよ」
アリサとロイにとって、ミレーヌは厳しくも頼もしい規範の先輩だ。
何のことを言っているのか分からない。
──けれど実際には。
アリサがもたらした国外の情報が、ミレーヌを覚醒させ、暴走モードへと突入させていた。
その事実など、ふたりは知る由もなかった。
レイラは「まあ、終わった話ですけどね」と肩をすくめる。
そして、言葉を継いだ。
「ライネルさんですけど。
ホワイトシーフ商会のボスに解放されて、いまは仲間集めをしているそうです。
アリサさんと一緒に闘ってくれると思いますよ」
──契約労働者ライネル。
彼は、アリサが“ホワイトな国づくり”を目指すきっかけになった存在だった。
その彼が自由を得て、新たな闘いに身を投じている。
そう聞くだけで胸が熱くなる。
けれど、この国にはまだまだ解放を待つ人々がいる。
アリサは、幼い少年セロの顔を思い浮かべ、胸が締めつけられるように痛んだ。
「……セロ」
小さく呟く。その声には、切実な願いがにじんでいた。
できれば、セロのこともなんとかしてあげたい。
その思いを察したように、ロイがアリサの瞳をまっすぐ見つめる。
そして、力強い声で言った。
「セロのことは……オレたちで何とかする。な?」
そう。
それはボスに頼むことじゃない。──きっと、自分たちでやるべきことなんだ。
リュシアンがここにいたら、きっと同じことを言うに違いない。
アリサは静かに頷き、ぎゅっと拳を握りしめた。
その姿に、レイラは暖かな視線を注ぐ。
──あの頼りなかった少女が、仲間を得て、いまや前王妃まで巻き込んでいる。
やはり、彼女に賭けたのは間違っていなかった。
そこで、レイラがふと首を傾げる。
「……ところで、マルグリット様にご挨拶したいのだけど。不在ですか?」
「え? マルグリット様はそのうち戻ってくると思いますよ……」
アリサ曖昧に答えるしかなかった。
***
しばらくして、客間に戻ってきたマルグリットは興奮を隠せない様子だった。
「おい、すげえなアリサ。
こいつらの魔導ギアがあれば、マルセルの首、飛ばせるんじゃねえか? なあ!?」
そう言ってレオンとグロックを見やると、ふたりは揃って苦笑する。
あれから散々能力を披露させられ、挙句「ちょっと貸せ」とまで言われたのだ。
グロックが答えた。
「まあ、俺たちのもソコソコ強力な方だけどよ。でも、あれには到底かなわねえな」
「ゴーレムですよね!!」
すかさずアリサが食いつく。
「どんな武器も魔法も効かない鎧。
しかも普通の人の何倍もの力を出せるんです!
大きな岩だって粉々にできちゃうんですよ。
私、見てきましたから──嘘じゃないです、マルグリット様!!」
「へえ……なんだそりゃ。そそるじゃん」
マルグリットが鋭い目を光らせた。
レオンは肩をすくめる。
「あれは反則。S級冒険者のアネゴと渡り合えるのは、ゴーレムくらいだろうな。
あとはリスティアさんか。
俺たちが強いって言ってくれるのはありがたいけどよ──上には上がいるぜ、マルグリット様」
そのやり取りを聞いていたレイラが、とうとう口を開く。
「あの……マルグリット様って、どこに?」
一同の視線が、小豆色のジャージ姿に向かうと、レイラの思考が止まった。
***
「お前、WSOのスパイかよ! カッコいいな、おい!」
ゲラゲラと笑うマルグリット。
アリサが固まったままのレイラを慌てて紹介すると、その一言が炸裂した。
「スパイって言い方は、ちょっと……」
アリサが必死にフォローするが、耳を貸さない。
「なんだよ、この国のことチクる気マンマンなんだろ?
アリサ、お前からはホントいろんなのが出てくるな。さすが、あたいが手下と見込んだだけあるぜ」
「え、えー……? そ、そんな……」
照れるアリサをあっさり放置し、マルグリットはレイラに向き直る。
「ジジイの領地の査察か。
まあ、契約労働者なんていねえよ。あの年で貧乏暮らしして、領民食わせるために身削ってたくらいだからな」
さっきまでの軽口とは違い、わずかにトーンが落ちる。
「好きなだけ見て報告すりゃいいさ。
それで──オッケーだったら、どうなる?」
レイラは姿勢を正し、落ち着いた声で答える。
「すぐにどう、ということはありません。ですが……」
「ですが?」
「精霊酷使や人権侵害の疑いがある──というだけで、国際的な商取引には影響が出ます。
ご存じでしょう?」
「まあな」
マルグリットは鼻を鳴らす。
レイラは続けた。
「聞けば、エドワルド様はさらなる農地改革を進め、将来的には輸出に踏み切りたいとのこと。
これはそのための布石……ですね。今のところは」
「……ほう」
「でも、遠い未来の話じゃありません。
ここに来るまでに素晴らしい農地を拝見しました。私は農業は素人ですが──国際水準の効率化が実現されていると感じました。規模もまだまだこれからだと」
マルグリットは顎を引き、満足げにうなずく。
「なるほどな。ジジイ、やりやがったってわけか……」
そして、にやりと笑う。
「なあ、スパイの姉さん。ひとつ頼みがあるんだわ」
レイラに、元王妃の言葉がかかる。
「エルンハルト領全部も頼む。
契約労働者が一人もいないとは言わねえ……けど、止むにやまれずってやつもあるだろ?
WSOにも人情があるなら──これからちゃんとするって約束したヤツは、追い詰めないでやってほしいんだ。な?」
レイラは頷いた。
「そうですね。きちんと改善指摘を受け入れて……何年かは監査の必要がありますが。
本部に掛け合うことができると思います」
ぱあっとマルグリットは顔を輝かせる。
「大丈夫。不義理するやつはきっちりシメとくからよ。
まずはエルンハルト。そして、この国……だろ? アリサ」
「はい! マルグリット様!!」
やっぱり、この人は上に立つ方だ。
アリサはマルグリットに、自分にはないものを認めた。
そして、異なる個性を持つふたりが、確かにひとつの未来を描こうとしていた。