第09話 ホワイトのチーム
マルグリットとの面談は、一時中断となった。
麗しの貴婦人こと家政婦フランシーヌは、外行きのドレスから動きやすいメイド服へと着替えるや、すぐさま仕事モードに切り替わる。てきぱきとお茶を出し、散らかった部屋を片づけていく。
アリサとロイが手伝いに名乗り出ると、フランシーヌは「あらまあ」と微笑んで、的確に指示を飛ばした。無駄のない手際と、人を動かす要領の良さ──この屋敷がどうにか回っているのは、間違いなく彼女の功績だ。
やがてフランシーヌは、くるりとマルグリットへ振り返る。
「お客様の前ではしたないですよ。少しは身なりを整えてくださいませ」
「へいへい」ぞんざいに返事をして、マルグリットは渋々奥へ消えた。
数分後。
髪をざっと整え、カチューシャでひとまとめにして戻ってくる。黒いスパッツに、ゆったりした白の長袖シャツ。胸元で金色のチェーンが光り、さっきのジャージ姿よりは幾分こざっぱりして見えた。
──が、アリサには「どこがどう変わったのか」はよく分からない。もちろん口には出さない。
マルグリットは、久々の暇つぶし相手ができたのが嬉しいのか、声を張った。
「んじゃあ続きは飯のときにでもってことで……おいアーサー、久しぶりにいっちょやるか?
ジジイもまだ衰えてないよな?」
言うが早いか、ちゃぶ台の上にドンと麻雀卓を広げる。アーサー、クラリス、エドワルドが自然と席についた。
クラリスが「初めてです」と告げると、アーサーが肩をすくめて笑う。
「なんだよ、鬼教官様は遊びが足りねえな」
するとマルグリットとエドワルドは顔を見合わせ、懇切丁寧にエルンハルト流の打ち方を指南し始めた。
一方その頃。
アリサは洗濯物を抱えて庭先へ、ロイは草むしり、手伝いに加わったカインは夕食の下ごしらえ。すべてフランシーヌのにこやかな指揮のもと、着々と進んでいく。
こうしてマルグリット邸は、妙な統率のもと整っていった。
***
夜の帳が落ち、食卓を囲む一同。
お誕生日席に陣取ったマルグリットは、料理をもりもりと平らげていく。
だが不思議なことに──動きは滑らかで無駄がなく、背筋はぴんと伸び、口元も決して下品にならない。
やっぱり前王妃なんだな、とアリサは妙なところで感心した。
食後のお茶が出されたところで、マルグリットが口を開く。
「……で、だ」
優雅な手つきでカップをつまみ上げる。
「お前らのやりたいことは、あたいを総長に据えて特攻チームを組織する……だったな。
名前は……そう、“久印頭呼飛怨”。なかなかイケてんじゃね?」
「いえ、新しい騎士団です」
すかさずアリサがツッコミを入れる。
「私たちは、この国を変えたいんです!
ヨーゼフ様のことは直接は存じません……でも、同じ志を抱いていたと聞いて、嬉しくて。
お願いです、マルグリット様。どうか、共に戦ってください」
真剣な眼差しに、マルグリットは茶をすすり、湯気の向こうから横目で応じた。
「……同じ思い、ねえ」
しばし沈黙。やがて、しみじみと語る。
「まあ、確かにヨウくんは腐った王族の中じゃ一本筋の通った男だったね。
大臣どもを通してしか機能しねえ体制を、何とかしたいって吠えてた。……さすが、あたいが惚れた旦那だよ」
「じゃあ──!」とアリサが身を乗り出した瞬間、マルグリットは片手を上げて制した。
「……さっきも言ったろ。他人に利用される気はないね。
お前らが初めてじゃねえ。大臣に不満を持つ貴族どもが押しかけてきちゃあ、好き勝手な寝言をほざきやがる」
視線は、にこにこと微笑むメイド姿へ。
「まあ……大体はフランシーヌが叩き出したけどな。
こうして話を聞いてやってるのは、ジジイが一緒だったからだぜ?」
エドワルドがゆっくり頷き、静かに口を開く。
「有り難いのお。ならば、そのジジイの話も少しは聞いてもらおうか。
……わしの領地、今年は四十億Gの収益を上げた。再来年あたりは倍はいくじゃろうな」
マルグリットの目尻がぴくりと動いた。
「……あの荒れ地が? フカシてんじゃねえよ。
それとも、ボケたか?」
エドワルドは肩をすくめ、涼しい顔で続ける。
「疑うなら、いつでも見に来い。
他家からも“どうやったのか”と質問攻めでな。これから本家でも報告の予定よ……興味あるじゃろ?」
カップをトントンと叩く指先。
──もっと詳しく、という無言の圧。
エドワルドは小さく笑みを浮かべ、畳みかけた。
「いま、うちはとある商社と契約しておってな。
そこから派遣された精霊契約術師とS級冒険者のおかげよ。魔導ギアの供給も受けておる」
「魔導ギアを……」低く呟き、顎に人差し指を当てる。さっきまでのガサツさは消え、考える女帝の横顔。
「しかも、このわしですら見たことのない代物だ。──ほら」
エドワルドは一枚の板を取り出す。浮かび上がるのは上空からの農地の映像。
指を滑らせるたび、土地の栄養状態、水分量、育成日報、収穫記録、損益計算……表示が次々に切り替わった。
マルグリットは目を凝らす。王城にいたときでさえ見たことのない世界。
魔導ギアといえば生活用のランプや暖炉がせいぜい──それすら庶民には高嶺の花だったのに。
「さらに連中は、農地だけじゃなくエルンハルト領の山林や鉱山開発用のギアも用意すると言っておる。
それがどういう意味か……お前さんなら分かるじゃろ?」
──人力に頼っていた産業を、魔導ギアで、しかも遠隔管理。
効率も安全性も、飛躍的に高まる。
「まだこんなもんじゃ終わらんぞ。連中はヴィエールとWSOも巻き込む。国外取引の道を構築するんだと」
クラリスが頷き、静かに同意を示す。
マルグリットは情報の洪水を必死に整理した。
これが実現すれば──マルセル派の経済力に対し、エルンハルトは十分に戦える。そこにヴィエールまで加わるとなると……。
「そして、わしの領内の魔導ギア工房は近々WSO監査の予定でな。
うまくいけば──復活の狼煙ってやつよ。おっ死ぬ前にまたやれるとは思わなんだ」
──ヨーゼフが夢にまで見た、WSO認証の国産品。
額に手をやり、小さく呻く。
「ジジイ……いや、大叔父。あんた、とんでもないことを……」
そして、最後の後押し。
「しかも、その商社のボスがどういうわけか、アリサを気に入っておってな。協力を惜しまんらしい。
聞けば、ヴィエールを巻き込んだのもアリサだとか。……貴族なんぞ何人集めても、この嬢ちゃんには敵わんだろうな」
エドワルドの視線がアリサに「行け」と告げる。
同時に、マルグリットの鋭い眼差しが突き刺さった。
「このひょろっちいのが?」
今、エドワルドからこの国の可能性──未来が示された。
……しかも、その中心にいるのが、このアリサとかいう小娘。
クーデターと聞いたときは、たかだか数人で騒ぎを起こす跳ねっ返り連中だと高を括っていたが……。
マルグリットの試すような圧力。
だがアリサは一歩も退かず、まっすぐ力のこもった瞳で見返した。
「……はい。私には剣の才も、魔法の力もありません。
けれど──たくさんの応援があります。
それは、私の心の在り方がそうさせるんだって……ある人が教えてくれました」
さっきまでの頼りなげな少女は、もうそこにはいなかった。
その場の全員が、渦を巻くような輝きに思わず息を呑む。
「だから私は、自分の信じた戦いをします。
騎士として──みんなが与えてくれた希望を守るために。
マルグリット様も、どうか希望のために立ち上がってください!」
思わず視線をそらすほどの圧。
だが“希望”という言葉が、マルグリットの胸の奥に灯をともした。
それは、彼女を利用しようとする貴族どもからは決して出てこなかった熱だった。
「……ヴィエールが付いたってのも、まんざら嘘じゃなさそうだな」
口元から八重歯をのぞかせ、不敵に笑う。
「フレッドの手紙に“変なやつ”って書いてあったけどよ……。お前、面白いな。
あたいの手下になるなら、この国変えるの手伝わせてやってもいいぜ」
アリサはぱっと顔を輝かせた。
「マルグリット様も、“ホワイト”の仲間になってくださるんですね!?」
ホワイト──その言葉。
こいつにとっての希望ってやつか。
マルグリットは一瞬考え込み、真顔で言った。
「あー……チーム燈愛斗。……それも悪くねえかもな」
そこへアーサーが食い気味に反応する。
「おい! “アーサー騎士団”に変な名前付けてんじゃねえよ! それに、こいつは俺の手下だ」
ぎゃあぎゃあと言い争う二人を、きょとんと眺めるアリサ。
その肩を、エドワルドが軽く叩く。
「まあ、ああ見えて国を思う気持ちはまっすぐよ。よろしく頼む」
そう言って、メイド姿にも声をかけた。
「お前さんも、いろいろ苦労かけるな」
フランシーヌは穏やかに首を横に振り、静かに答える。
「いえ。私はマルグリット様と共にありますので……本家に向かわれた際は、お館様にもご心配なきようお伝えください」
「お前さんが側にいて心配なんぞしとらんだろ」
エドワルドが口元を上げる。
そこへ、マルグリットの声が割り込んだ。
「ジジイ、渋く決めてんじゃねえよ。──飲むか? フランシーヌ、冷えたの頼むわ」
フランシーヌが「はいはい」と頷くと、ささやかな宴が始まった。