第08話 マルグリット
アリサたち王都騎士団離脱組は、前王妃マルグリットの住まう館に向かっていた。
同じ一族のフレッドの紹介状を携えているとはいえ、本来気軽に面談できるような身分ではない。
しかし、一族の分家筋にあたるエドワルドの随行ということで、すんなりと日程が決まったのだ。
アリサの貧困なイメージでは──王族とは、王都にそびえる巨大な城に住まう雲の上の存在。
「前」とはいえ王妃ともなれば、豪奢な邸宅に暮らし、きらびやかな衣装を身にまとい、お洒落な菓子を扇子で口元を隠しながらつまみ、毎晩のように舞踏会を開いている……。
そんな乙女チックな幻想を、これでもかと頭の中に詰め込んでいた。
アリサの表情を眺めていたアーサーには、彼女がどんな妄想をしているのか手に取るように分かった。
だから、いちおう予防線を張っておくことにした。
没落したとはいえ彼も王族の端くれ。マルグリットとは面識があった。
「なあ、多分──お前の考えてるのは出てこねえと思うぜ。
フレッドも言ってただろ? 気が強いお方だって」
それは、アリサも聞いてはいた。
高貴で気の強い妃が登場する物語は、村にいた頃に何度か読んだことがある。
たいてい“悪役の継母”だったりするのだが。
──けれど、それでも。
煌びやかな衣装をまとい、優雅に舞う姿だけは、どうしても頭から消えなかった。
「えー。でも、王妃様ですよ。
きっと麗しくて、上品でいい匂いがするんだろうな〜。ですよねえ?」
アリサがそう言ってエドワルドに同意を求めたが、彼は聞こえないフリをしていた。
到着してみれば、屋敷は大邸宅というほどではなく、アリサの実家である小貴族の邸宅と規模はさほど変わらない。
だが、さすがは大貴族エルンハルト家、しかも前王妃ともなれば、あばら家というはずもない。
華美な装飾こそないが、建材の質や彫刻の細部からは、確かに一流の造りだとわかる。
門番の姿はない。
不用心にも思えるが、エドワルドによれば「この領地でマルグリットに手を出す命知らずなどいない」のだという。
さすが前王妃の威光──と、アリサは背筋を正した。
アリサが代表して玄関の扉をノックする。
数分待っても反応がなく、もう一度叩くと、やがてガチャリと音を立てて扉が開いた。
現れたのは女性。
アリサよりも年上の若い女だ。
だが、その姿にアリサは思わず固まった。
小豆色のジャージ上下にサンダル。
襟がよれた白Tシャツ。
金髪ロングヘアは寝癖でボサボサ、化粧っ気は一切なし。
整った顔立ちではあるが、鋭い目つき。
「……あんだよ。うるせーな」
屋敷のメイドにしては、あまりにガラが悪い。
アリサは思わず半歩退いた。
それでも勇気を振り絞り、精いっぱいの笑みを作って言う。
「あ、こんにちは!
私たち、マルグリット様と面会のお約束をしていまして。
アリサ=グランフィールと申します!」
ぺこりと頭を下げる。
女はジロリとアリサを上から下までねめつけると──鼻で笑った。
「あー、ジジイが来るって言ってたな。
で、お前が騎士? ……ひょろっちいな。飯食ってんのか? 気合い足りてねーぞ」
アリサは、ウッと声を詰まらせる。
前王妃のメイドとはいえ、こちらは客人。しかもエドワルドをジジイ呼ばわり。
「……あの、私のことは良いんですけど。
エドワルド様に対して失礼じゃないかと思います。
マルグリット様にお使えされているのでしたら、もう少しその……品位を」
後ろでは、アーサーの吹き出すような笑い声の後、何やらヒソヒソ話が聞こえてきたが、アリサは必死だった。
女は、しばしアリサを眺めたあと──ニヤニヤと笑い出した。
「へえ〜、マルグリット様はずいぶんお高く止まってるんだな」
そう言って面白そうに口元をつり上げると、八重歯がのぞいた。
「……まあいいや。こんなとこでダベってても仕方ねぇし。
汚ねぇとこだけど茶くらい出すから、入んな」
くるりと振り返る。
ゴムがゆるくなったジャージのズボンがずり落ち、下着が見えていた。
女はアリサの言葉を待たずに屋敷の中に入り、ズンズンと進む。
アリサたちは慌てて後に続く。
通された客間は、菓子の袋や下着が散乱していた。
女はそれらを適当にケリで隅に寄せると、中央のちゃぶ台を指さして「座んな」と指示。
しばし待つと、人数分のコップを持って戻ってきて、それを並べ、部屋の隅にあったヤカンをちゃぶ台にドンと置く。
自らもドカッと腰を下ろし、肘をついて言った。
「まあ、楽にしていいからさ」
さっきから、肝心のマルグリット様が出てこない。
アリサが「あの……」と声をかけようとしたそのとき、エドワルドが口を開いた。
「久しぶりだな、マルグリット」
アリサが口を開けたまま思考が止まる中、アーサーの爆笑だけが響いた。
「なんだよ、じいさん!もっと引っ張れよ!」
女も仰け反りながらゲラゲラ笑っていた。
***
「アーサー、お前、相変わらずひねくれてんな!」
マルグリットがヒイヒイと引き笑いしながら、ヤカンから茶を自分のコップに注ぎ、グイッと飲み干す。
ひと息を吐くと、急にアリサに向かって真面目な顔になる。
「わたくしが、マルグリット=カロリウス=フォン=エルンハルトです。
騎士アリサ=グランフィール殿……此度はようこそ……我が屋敷へ……」
──次の瞬間、ブフォッと吹き出した。
水滴がアリサの顔に盛大に降りかかる。
「あー、わりぃわりぃ!」
ゲラゲラ笑いながら、ジャージの袖で口元を拭う。
「どんなの想像してたか知らないけど、あたいがマルグリット様だ。
自分ちでくらい、好きに寛がせてくれよ」
そう言うと、あぐらをかき、頭をボリボリ掻き始める。
思考停止中のアリサの代わりに、クラリスが姿勢を正して口を開いた。
「お初にお目にかかります、マルグリット様。
私はクラリス=ヴィエール。この隊を預かっております」
横からアーサーの「おい、リーダーは俺だろ!」という声が割り込むが、クラリスは一切無視。
「既に我々の目的についてはお耳に届いているかと思いますが──フレッド殿からの書状を」
そう言って、懐から手紙を取り出し、マルグリットに差し出す。
マルグリットは中身にざっと目を通すと、ふんと鼻を鳴らして手紙をちゃぶ台に置いた。
「まあ、ざっくりはジジイの使いから聞いてたけどさ。
相変わらずフレッドもまわりくどいね。要するに──お前ら、クーデターってやつ?
あたいを担ぎ上げるってわけ?」
にやり、と八重歯をのぞかせる。
「面白えこと考えるじゃん。
でもさあ──お飾りは御免かな。やるなら自分の手でやるし。
……まあ、その瞬間がきたらマルセルの脳天に鉄パイプぶち込んでやっから」
ロイが「気が強いって、そういう意味だったの?」と、カインにヒソヒソと耳打ちする。
そこにエドワルドが割り込む。
「そう言うと思った。
だがな、その後のことはどうする? 次のマルセルが現れるだけじゃろう」
マルグリットは「ああ?」と鋭い視線を浴びせる。
だがすぐに、不敵な笑みを浮かべた。
「そんなもん、取って代わるやつがいなくなるまでブッ564祭りに決まってんだろ?
……ま、あたいは今さら王家がどうなろうと知ったこっちゃないけどね。
ただし──ヨウくんのカタキには、地獄の果てまで追いかけてでも筋を通させるよ」
「ヨウくんって誰?」というロイの問いに、「先代国王ヨーゼフ様だ」と、カインが静かに答える。
エドワルドが、しみじみと深く息をついた。
「こんなんになっちまって、まあ……。
こーんなちっちゃい頃、うちのスイカ畑で犬にケツ噛まれて、バアさんに泣きついてたお前がなあ……」
言いながら、膝丈の高さで手のひらを水平にする。
「ばっ! ジジイ、余計なこと言ってんじゃねえよ」
マルグリットが口を尖らす。
一瞬怯んだ隙を見逃さず、アーサーが切り込む。
「なあ、マルグリット様よお。
お礼参りも悪くねえさ。けど、ヨーゼフ様のカタキってんなら、その意思を継ぐことの方が大切なんじゃねえの?」
そこで、ようやくアリサの思考が引き戻された。
「先代国王様の意思……?」
アーサーは頷き、言葉を続ける。
「そうだ。この国の魔導ギア産業の再興。国際化、そしてWSOとの関係改善……。
ヨーゼフ様が命を懸けてやろうとしたのは、それじゃねえのか?」
彼の視線は、真正面からマルグリットを射抜いていた。
「知ったようなこと言うじゃん、アーサー。
ヨウ君の無念は、あたい以外には分かんねえよ」
静かに、しかしドスのきいた声でマルグリットが返す。
──そのとき。
「まあ、お客様。いらしてたんですか?
失礼しました。」
穏やかな声がかかり、客間のドアが開いた。
そこに立っていたのは、ドレスをまとった気品ある貴婦人。
ふわりと漂う花の香りに、アリサは思わずウットリする。
そして、ハッと気づいた。
「あーっ! アーサーさん!!
騙されちゃいましたよ。こちらが本当のマルグリット様ですよね!? 冗談きついですよ、もう!
本物はやっぱり王妃様の気品が漂っていて、お美しくて……とっても良い香りがして……全然違う!!」
目をキラキラさせるアリサに、「あらまあ」と微笑む貴婦人。
だがその手には買い物カゴ。
「今日はお肉が安く手に入ったんですよー。
マルグリット様のお好きなトンカツにしようと思って。
お客様もよかったら召し上がってくださいね」
さらに部屋をぐるりと見回し、眉を下げる。
「もう……どうして一日持たないで散らかすんでしょうねぇ。
後でお掃除と洗濯しますから、その部屋着出しておいてください。
ズボンのゴムも取り替えないと……。
あ、靴下は裏返しにしないでくださいね~」
一同に丁寧に頭を下げると──
「後できちんとお茶をお持ちしますので。……マルグリット様は大雑把なんだからもう」
そう言って、にこやかに退室していった。
パタン、とドアが閉まる。
呆気にとられるアリサに低い声が飛んだ。
「良い匂いがしなくて悪かったな。おい」
こめかみに青筋を浮かべるマルグリット。
アーサーとエドワルドは腹を抱えて笑い、ロイは小声で「オレも、あっちだと思ったんだけどな……」と呟いた。