第05話 逃走劇
砦は、久しぶりに盗賊団メンバーだけになっていた。
旧魔王カンパニーの面々と、ここで働く素材調達班はすでに新拠点へ移動済み。
リスティアとレナが同行している以上、道中での危険はまったく考えていなかったが──全員無事到着したとの通信が入り、胸を撫で下ろす。
人数が減り、やけに広く感じられる砦内。
壁には『超楽しかった盗賊団!』と大きくペイントされた文字。
その周囲には造花が飾られ、団員たちの寄せ書きが残されていた。
その静けさを裂くように、鉄仮面のシャウトが響き渡る。
「フォォォォォォォォォォォォォォォォォォ!!」
……どうやら、新しい仮面がなじんできたらしい。
なじんで欲しくはなかったのだが。
「おう、絶好調やないか、鉄仮面!」
そこにモヒカンが釘バットを肩に声をかける。あまり調子に乗せるんじゃない。
気を取り直し、俺は幹部連中を招集して最後の打ち合わせを始めた。
***
打ち合わせは、涼やかな女性の第一声から始まる。
「それで、これからの作戦なんだけど……」
久しぶりのヴィオラの仕切り。
最近はスーツ姿に伊達メガネで営業回りが多かったが、今日は黒皮のボンテージ風衣装に薄手のコート。悪の女幹部スタイルだ。
……相変わらず、目のやり場に困る。
淡々と説明が続いた。
「これから村々を通って、国境に向かうわ。できるだけ人目につくようにね。
ただし、略奪は禁止──言わなくても分かってると思うけど」
モヒカンが、ほんの少しだけ残念そうな顔を見せる。
「それで、万が一リエンツの軍との戦闘になった場合は……そうね、殺さない程度にやっちゃってもいいんじゃないかしら」
途端にモヒカンの目が輝く。
いやいや、お前ら血の気が多すぎだろう。
俺たちは王都で討伐軍が編成されるという噂を耳にし、国外逃亡を図った。
その際、国境警備隊に討たれたように見せかける──そんなシナリオだった。
計算違いだったのは、その軍編成がどうにも進んでいないらしいということだが。
しかしまあ、その話で王都が一時騒然となったのは事実。
そもそも盗賊団のままでは、今後のビジネスにも差し障りがある。
むしろこれを機に──ロンダリング……もとい、生まれ変わる好機だった。
「そんなことより──猫のご飯だろウ!」
突如、鉄仮面が脈絡のない言葉を放つ。これも久しぶりだ。
……いや、最近は猫様の寵愛はどう見てもレナに傾いている。
実際、彼女の頭に乗ったまま、鉄仮面の方を振り向きもせず砦から去っていったのだ。
「──さて」
ヴィオラは鉄仮面の存在を完全にスルーして続けた。
「既に国境警備隊のヒルダには話をつけてるわ。
そのまま国境を通過して、旧魔王領との境でドワーフ商工会の迎えを待つ。以上ね」
なんともアッサリしたものだ。
もっとも、俺たちは“斬首のうえ火あぶり、骨の一片も残らず”と国に報告する段取りらしい。
……なんかいろいろとヤバいな。
だが「これがヴィエール式だ」と押し通すつもりらしい。
近代国家を目指してるんじゃなかったのか? と喉まで出かかったが、飲み込んだ。
ヒルダだって好き好んで蛮族のそしりを受けたいわけではない。
むしろ、彼女にとっても苦渋の選択なのだろう。
それでもこうして手を貸してくれているのだ。
こちらとしては、ただただ有り難い話だった。
「では、そろそろいくかな」
和尚が呟き、魔導ギアの装着を始める。
かなりの重量がある装備だが、軽々と扱っている。
バージョンアップした和尚と鉄仮面なら、剣や槍しか持たない軍隊など百人来ても相手にならないだろう。
モヒカンの力増幅ギアも、地味だがそれなりに使えるはず──そう思って視線をやると、和尚を羨ましそうに見つめる顔。
「なあボス……」
言いかけたモヒカンを、手で制した。
みなまで言うな。お前とヴィオラのことも、ちゃんと考えている。
「ドワーフ商工会に着いたらお披露目だな。
最高にご機嫌なやつを、ライナが仕上げてくれてるはずだ」
俺がそう告げると──
「さっすがボスやで!!」
モヒカンは見る間に上機嫌になり、鉄仮面と肩を組んで騒ぎ出した。
まあ、先の楽しみがあるのは良いことだろう。
それにしても、この世界に来てから幾多の日々を過ごした砦。
粗野で無骨な石壁だが、笑いや喧噪、時に涙すら詰まったこの場所には、それなりの思い入れもある。
いつかまた──この国が変わったそのとき。
ここへ帰ってこられる日が来るかもしれない。
そんな感慨に浸りながら、俺は砦を後にした。
***
道中、罪のない村人たちを無駄に威圧しながら進む。
気が進まなかったが──「盗賊団が国境方面に大移動している」という目撃情報はどうしても必要だったのだ。
……が、意外なことに。
村の通りを練り歩くと、
「あー、盗賊の皆さん、こんにちは」
にこやかな声をかけられ、団員たちは談笑まで始めていた。
どうやら俺の知らぬ間に、地域の皆さんにすっかり受け入れられていたらしい。
思えば、食料や生活用品の取引もある。適正価格での支払いを厳命していたこともあって、評判は悪くなかったのだ。
「え〜? 国外逃亡!? 寂しくなるなあ……」
村人の男がモヒカンの手を取る。
「なんや、しんみりするんやないで。
奥さん臨月やろ? 気張れよ、お父ちゃん!」
そう言ってバシンと肩を叩く。
和尚と鉄仮面は、おばちゃん連中から飴やミカンの差し入れを受け取り、
一方のヴィオラの前には、握手を求める若い男や娘たちの長蛇の列。
彼女は涼しい顔で応じながら、妙に艶っぽい微笑みを浮かべていた。
──なんだこの和やかな逃走劇は。
そして、俺の周りにだけ誰も近寄って来なかった。
***
国境付近。ヴィエールの駐屯部隊。
「……あれが盗賊団か」
見張り塔に立つ男がポツリと呟いた。
年の頃は二十代後半。無駄のない鍛え上げられた肉体。
背中には大ぶりの双剣。
咥え煙草をピンッと弾くと、「んじゃあ、行きますかね」と口の端を歪ませた。
***
そろそろ国境線。だが、緊張感はまったくなかった。
所詮は出来レース。“戦闘がありました”という偽の報告なのだ。そのまま国境のゲートを通してもらえればそれで良かった。
そんな気の抜けた心持ちで歩を進めていると、見張り塔からひとりの男が身投げする姿が目に入った──軽く二十メートルはある。まさか、自殺志願者か?
だが男はザンッと着地し、親指と人差し指で輪をつくると、ピイーッと甲高い口笛を吹いた。
次の瞬間、どこからともなく屈強な戦士たちがワラワラと現れる。
男は楽しそうに声を張り上げた。
「このヴィエール一族が守る国境線を突破しようなんてな。
盗賊ってのは、つくづく頭がイカれてるんだな」
……いや、そういう小芝居は要らないんだ。
ここには俺たち以外、第三者はいないんだから。ハイハイと事務的に通してくれりゃいい。
俺は大きく息を吐いた──その瞬間。
ゾクリと背筋を凍らせる殺気。
思わず身をかがめると、双剣が俺の首筋を正確になぞる軌道を描き、風を裂いた。
咄嗟にタックルを仕掛ける。
男は二メートルほど後退したが──こちらの肩には巨岩に突っ込んだような痺れが残る。
「オオオオオオオオオオ!!」
鉄仮面が雄たけびを上げ、軽やかにステップ。
バチバチと電撃をまとい、前に出た戦士を一撃で沈めた。
続いて和尚。
盾と警棒を巧みに操り、襲いかかる者たちを次々と鎮圧していく。
「……へえ」
双剣の男は、それでも余裕の笑みを崩さない。
「魔法か。やるじゃないか。
こっちは肉弾戦しか能がねえんだけどな」
言うが早いか、双剣をビッと構え──鉄仮面へと踏み込む。
咄嗟に印を結び、肉体を硬質化させる鉄仮面。だが、降り注ぐ重い連撃は容赦なく防御を削り、ついに膝が沈む。
たまらず俺は声をかけた。
「なあ……何の意味があるんだ?
力試しか? そういうイベントは要らないんだけどな」
すると男は、ふっと力を抜き、まるで玩具を与えられた子供のように笑った。
「ああ、そうさ。力試し。
退屈なんだよ。国境を抜けようって気合い入った連中と──ちょっと遊んでみたいだけさ。
……お前ら、あるんだろ? 死ぬ覚悟ってやつが」
どうやら「冗談でしたー」と笑って引き下がるつもりはなさそうだ。
その時、鋭く通る女性の声が空気を裂いた。
「おい、ギルバート! 何をやってるんだ!」
ヒルダ……助かった。
面倒ごとはごめんだ。さっさと矛を収めて先に進ませて欲しい。
だが、ギルバートと呼ばれた男は悪びれる様子もなく肩をすくめる。
「何って? 俺らの仕事は、国境を侵す輩の殲滅だろ。
内からも外からも──な。
姉貴こそ、寝ぼけたこと言っちゃ困るぜ」
口の端を歪め、不敵にこちらへ向き合う。
「通りたきゃ俺を倒していけよ。
こういうの……お約束だろ?」
……こんなとき、リスティアがいれば嬉々として爆炎でもぶち込んで、一瞬で終わるんだろうが。
仕方ない。
俺達は双剣の男──ギルバートに相対し、戦闘態勢を整えた。