第03話 ロイヤルガード
国王親衛騎士──ロイヤルガード。
それは王族、そして王族に近い上級騎士の子女だけで構成される特別な騎士団である。
なお、名門貴族の出であるベアトリスも、本来ならその一員として国王の側に仕えるはずだった。
だが彼女は、自らの強い意志で王都騎士団入りを望んだのだ。
王城で煌びやかな装束を纏い、社交界の華として過ごしていては、民の姿は決して見えない。
その精神性にこそ──精霊の強い眼差しが注がれていた。
話を戻す。
つまり、ロイヤルガードは、騎士とは名ばかり。
実態は王都の若きセレブたちのコミュニティであり、出会いと社交の場なのだ。
──表の顔は。
だが、この国にはもうひとつのロイヤルガードが存在する。
その存在を知る貴族はごくわずか。
実態は謎に包まれ、真偽不明の噂だけが囁かれていた。
彼らは、魔導ギアが発明される遥か以前から、精霊と交わる独自の術を編み出していた。
やがて魔導ギアが全盛となっても、道具に頼らぬ彼らの戦闘法は、市井に紛れての諜報活動や要人暗殺において重宝された。
そして──皮肉にも魔導ギア産業が衰退した今、
その存在意義はかつて以上に高まっていた。
王国内において、その存在はあくまで非公式。
騎士としての正式な地位も、叙勲も与えられることはない。
表が“名ばかりで実のない”騎士だとすれば、
裏は“実があっても栄誉を持たぬ”騎士。
だが彼らには──
自分たちこそ真の騎士であるという、揺るぎない誇りがあった。
***
ホワイト盗賊団の砦に潜入しているリズリンド──リズには、ひとつの任務が課されていた。
王都騎士団の一級兵装の所在を突き止め、可能であれば回収。
それが叶わぬなら、破壊せよ。
ただし任務中は孤立無援。
援護はなく、交信手段も一切与えられていない。
完全にターゲットに潜り込み、己ひとりの裁量で遂行する──
それが“裏のロイヤルガード”の掟だった。
裏の任務において、帰還の保証など存在しない。
戻らなければ──それは即ち、任務失敗。
だが生死の確認は必要なかった。
彼らはその身体的特徴ゆえ、遺体が敵の手に渡ることを絶対に許されなかったからだ。
心臓が止まったとき、あるいは死を覚悟したとき。
精霊との契約により、自らの肉体そのものを対価に大魔法を発動し、周囲もろとも破壊し尽くす。
それが課された非人道的な措置だった。
もちろん、そんな契約を結ぶ精霊はWSO加盟の精霊ではない。
この世界には、規格外でアウトローな精霊も存在する。
リズにとって──そんなハードボイルドな世界は日常だった。
世間を騒がす盗賊団といえど、数ある戦場のひとつに過ぎない。
生と死が隣り合わせの任務。
ひりつく空気の中、血と野蛮と狂気にまみれた賊と渡り合う。
それこそが、王国を裏から支える名もなき騎士としての本懐。
まだ年若いリズの顔にも、確かに覚悟の二文字が刻まれていた。
***
リズの一日は、早朝の砦の散策から始まる。
何気ない素振りであちこちを確認しているが、一級兵装の姿はどこにも見当たらない。
ここは盗賊団にしては驚くほど内部の警戒が緩く、入れない場所などほとんどない。
資産管理の部屋も、レナの付き添いで素材を納めるときに覗くことができた。
だが──最近は真夜中に頻繁に持ち出されているらしく、もうここには残っていないのかもしれない。
そんな思案を胸に広間へ入ると、すでに魔王がテーブルに腰を下ろし、湯気の立つ茶を啜っていた。
魔族の王。
……王国転覆を裏で画策しているのは、この男かもしれない。
盗賊を囮に使い、首都機能を麻痺させ、その隙に魔族が制圧──いかにも狡猾な手口だ。
「おはようございます、魔王さん」
自らも茶の入ったコップを持ち、にこやかに声をかけると、人の良さそうな笑みと共に穏やかな挨拶が返ってきた。
相手の懐に入るのは潜入の定石。
リズはそのまま正面に腰を下ろすと、初老紳士から声がかかる。
「もう、お仕事には慣れましたかな?」
盗賊団では強制労働を覚悟していたが、初日に渡されたのは就業規則だった。
勤務時間は九時から十七時。昼休憩は一時間。週休二日。
彼女の幼少期からの日々は、夜明け前から日没まで続く苛烈な訓練と精神修養。
年中無休、食卓に並ぶのは水のように薄い粥と、わずかな芋の蔦ばかり。
表のロイヤルガードが煌びやかに社交界を彩る一方で、裏の暮らしは徹底した質素倹約。
正月にひと粒だけ配給される飴玉が、唯一の楽しみだった。
それに比べれば、ここは三食おかわり自由(給与天引き)。
王都の労働者階層が夢見るほどの豪勢さである。
……最近、腰回りが気になり始めていた。
この食材が民から掠め取られたものだとすれば、腹に収めることに抵抗を覚える。
だが、手を付けずに廃棄されるのなら──それはそれで、民に申し訳ない。
結果、リズは誇り高き騎士として涙を飲み、丼を五杯おかわりするのであった。
談笑の流れで魔王から一枚の資料が差し出される。
「最近、新人研修用の資料を作りましてな。意見を聞かせてもらえれば」
そこにあったのは「売上構成比率」の表。
昨年は略奪100%。今年は略奪30%、ホワイト略奪50%、素材調達20%──来年度目標には略奪の文字が消えていた。
「略奪とホワイト略奪の違いって……?」
素朴な疑問を投げると、「はっは」と愉快そうに笑う魔王。
ほんとうに、よく分からない連中だ。
だが紙面の端に小さく記された文字に目が留まる。
──ドワーフ商工会。
かつて魔導ギア産業を牽引したものの、いまは王国の産業政策に縛られ、細々と下請けとして生き延びている。
国外取引を唯一許されたギルドではあるが、売上も影響力も乏しい──少なくとも、世間はそう見ていた。
だが、もし彼らが盗賊団の背後にいるのなら。
魔王が砦に腰を据え、一級兵装を凌ぐ武力を有する理由に説明がつく。
リズは静かに茶を口に運び、考えを収めた。
今はドワーフたちの真意を探る術はない。まずは潜入先で信頼を得ることが先決だ。
やがて広間には団員が集まり始め、隣の食堂からは朝食の匂いが漂う。
リズの右目が輝き、ゴクリと喉を鳴らす音が響いた。
***
俺はリズの席の前に腰を下ろし、朝食をとっていた。
彼女だけを特別視しているわけではない。食事時はできるだけ団員たちの席を回り、顔を合わせて話をするようにしていたのだ。
ふと視線をやると、彼女の皿には周りの団員から次々とおかずが差し出され、みるみるうちに積み上がっていった。
気がつけば、肉の塊に煮豆、揚げパン──小山のような盛り合わせが出来上がっている。
だが、それらは静かに、そして信じられないほどの速度で消費されていった。
あの細身の体のどこに収まっているのか不思議だが……まあ、うちの仕事は体が資本だ。食欲があるのは良いことだろう。
儚げに見えるが、案外、逞しいのかもしれない。
やがてリズは食べ終えると、ジョッキに並々と注がれた麦茶をぐいと飲み干し、ほう……としみじみ息を吐いた。
そのときになってようやく、目の前に俺がいることに気づいたらしい。
一瞬だけ動揺の色を浮かべたものの、すぐに静かな微笑みを取り戻してみせた。
***
ロイヤルガードとして日々研鑽を積んできた私が、こうも易々と接近を許すとは。
……さすが、音に聞こえた盗賊団の首領だ。
それにしても、この男。
裏の世界を渡り歩いてきたが、ここまでの悪人顔は見たことがない。
そして、まともに向き合うだけで心臓が潰されそうになる、この圧。
だが、ここに来て以来──なぜか妙に自分を気づかう言葉が、この極悪面から発せられている。
それがむしろ不気味だった。
ましてや、解放した契約労働者に、このような好待遇を与えるなど……。
思考を巡らすうちに、はっと気づく。
そうか。
盗賊団に好印象を刷り込み、元契約労働者を野に放つ。
彼らはやがて国内の仲間をも解放せよと叫び、暴徒と化すだろう。
そして王国は、未曾有の大混乱に見舞われる──。
……恐ろしいことを考えるやつだ。
そして、この舐め回すような視線と、下卑た笑み。
まさか──朝っぱらから私に情欲を抱いているというのか?
……くっ。
貴様のような輩に手籠めにされるくらいなら、騎士として潔く死を選び、砦もろとも灰燼に帰してくれる。
リズは表面上こそ静かな笑みを浮かべながら、心の内では卑劣漢への敵意を燃やしていた。
***
俺は旺盛な食欲を見せる彼女に、ただ温かな眼差しを注いでいた。
契約労働者の環境はひどいものだ。
きっと、まともな食事も与えられなかったのだろう。
そう思うと、胸が痛む。
ふっと、喜ばせようと声をかけた。
「なあ、近々引っ越しの予定があってさ。
そこに俺たちの仲間もいるんだけど、合流したら盛大に祝おうと思ってるんだ」
俺の目の前で、細い肩がぴくりと震えた。
「……引っ越し? 仲間?」
***
リズは思う。
──やはり、一級兵装は別の拠点に隠されているのかもしれない。
そして、そこに国家転覆を狙う新たな勢力が加わるとなれば、ますます手がつけられなくなるだろう。
どうする。
場所を聞き出して持ち帰るか?
ロイヤルガードを増員して叩くか、それとも軍の特殊部隊を投入するか……。
その思考を切り裂くように、首領の声が続いた。
「ご馳走もパーっと出すからさ!
たくさん食べてくれよな」
……もう少し、こいつらを泳がせてみてもいいかもしれない。
まだ全体像を把握する必要があるだろう。
リズはそう思い直した。
視線の先には、満面の笑みでうんうんと大きく頷く極悪面。
……食い物ごときで、この私を懐柔できると思うなよ。
盗賊め。必ず貴様らの目論見を打ち砕いてみせる。
そう決意を新たにし──
溢れる唾液を拭った。