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第21話 幕間7

オフィスの壁に貼られた棒グラフ。その一本にだけ、小さなペーパーフラワーが飾られていた。


壁の前に立つのは、スーツ姿の恰幅の良い中年男。

彼の前には、同じくスーツを着た二十名ほどの男女が整列している。


中年男が名前を呼ぶと、その列から若い社員が照れくさそうに一歩前に出た。

直後に起こる盛大な拍手。


若い社員が中年男の隣に並ぶと、拍手はさらに強まり……

やがて中年男が若い社員の肩に手を置いた瞬間、ぴたりと鳴り止む。


「皆さん!」


よく通る声が、室内に響いた。


「今月の成績トップは――フェリクス・メルキオール君だ!

しかも、新規開拓でいきなり一億五千万Gの精霊エネルギー契約を獲得!」


おお……というどよめきが広がる。


ここは邪神カンパニー、法人営業部。

成果がすべてを決める──企業戦士たちの巣窟である。


中年男が肩に置いていた手を離し、紹介するように前へ突き出す。

その合図に、フェリクスは背筋を伸ばし、きっちりとお辞儀をした。


次の瞬間、満面の営業スマイルを炸裂させる。


「いや〜、どうもどうも!

ほんと、たまたまなんですけどね。王国のギルドがドンパチ始めちゃって。

精霊さんのエネルギー、バンバン使ってくれるわけですよ!

いやもう、これもんでこう! ウハウハ状態でして!」


場がどっと笑いに包まれる。

それは、営業部的“社交辞令の笑い”。

しかし、ここでは数字を持つものは絶対であり、覇を纏う勝者。

持たざる者は、笑って媚びへつらうしかない。

それが生存の作法だった。


中年男がポンポンと手を打ち、ねぎらう。


「いやいや、謙遜するなメルキオール君。

営業に必要なのは嗅覚と根性。

きみの食らいつきが、この結果を呼んだんだ」


フェリクスは、すかさず90度の直角礼。


「ざーす! 部長! あれもこれもそれも、部長のご指導の賜物でございまーす!!」


どっと再び湧く拍手。


営業部長は、満足そうにうむうむ頷くと、周囲の者に向かって檄を飛ばす。


「皆さん、メルキオールくんが切り開いた販路、全力で拡大するぞ!

彼をバックアップして、精霊エネルギーも魔導ギアも……売って売って売りまくる!!」


「ハイッッ!!!」

一糸乱れぬ男女の声が、オフィスの空気を震わせる。


フェリクスは胸を張り、締めの音頭の態勢に入った。


「ありがとうございます!

それでは皆さん、お手を拝借!」


すうっと手を広げ、あらん限りの声を張り上げる。


「じゃし〜んカンパニー! それ!!」


「ハイ! ハイ! ハイ! ハイ!」


リズムに乗った合いの手が響き、室内は異様な熱気に包まれる。

それは、やがてワアッと大きな拍手の嵐を巻き起こした。


***


フェリクスは部長に呼ばれ、会議室の扉を開けた。

そこには部長と、CEOである邪神の側近のひとり──管理官ステラの姿があった。


部長が「座りたまえ」と促すと、フェリクスは背筋を伸ばし、緊張した面持ちで椅子に腰を下ろす。


次の瞬間、ステラが淡々と切り出した。


「フェリクス・メルキオールさん。……今回の王国での成果、CEOからも直々に称賛の言葉を預かっています」


ぱあっとフェリクスの顔が明るくなる。

彼はすぐさま立ち上がり、深々と頭を下げた。


「恐縮です!!」


邪神カンパニーの莫大な売上から見れば、一億五千万Gなど微粒子レベル。

だが──王国で切り込みを成功させた営業として、その名は確かに刻まれたのだ。


ステラは目元をわずかに緩め、余裕をにじませながら言葉を重ねた。


「私としても、あなたの実績は“ちゃんと”評価してあげるわ。

次のボーナスには──期待していい。

それと、営業活動では、キーパーソンへの接待費は惜しまないように部長へ伝えておいたの。

普段行っているような、安っぽいお店で済ませちゃダメよ?」


邪神カンパニーは、据え付けトイレットペーパーの使用長さにまで規定があるほど締めるところは締める。

だが一方で、生きた金を使うことに対しては一切の迷いがなかった。


部長はニヤリと笑い、懐から分厚い小切手帳を取り出した。

そして、それをフェリクスの目の前に差し出す。


「好きな金額を書いて構わん。

王国じゃカードも使えんからな……まったく、不便な時代遅れの国だよ」


ステラは満足げに微笑むと、部長へと視線を移した。


「それで──報告にあった資源調達ルート。進捗はいかがかしら?」


王国の地下には、精霊エネルギーの触媒となる特殊鉱石や、魔導ギアの基板に不可欠な希少金属が眠っている。

それらは邪神カンパニーへの支払い手段であると同時に、王国にとっては数少ない外貨獲得の切り札でもあった。


「はい。マルセル氏は来月の議会で法案を通すと明言していました。そうだろう?」


部長に水を向けられ、フェリクスはすかさず言葉を継ぐ。


「はい。それと並行して、魔導ギア輸入の規制緩和も。

次の出張では、最新機のカタログを携えていく予定です」


マルセルは王国の総務大臣の座にあり、国王直属の五大臣を統べる実権者。

彼が太鼓判を押すなら──議会を通すのは既定路線に等しかった。


「結構。CEOにもそう報告しておきます」


ステラは形よく整えられたボブカットに手を添え、涼やかな笑みをフェリクスへ返す。


そして、さりげなく話題を切り替えた。


「それと……何だったかしら。そう、ブラック冒険者ギルド。

噂ではずいぶんと野蛮な人たちらしいけれど──中位精霊が背後にいるとか。

精霊炉を欲しがっている、という話も聞いたわ」


フェリクスがこくりと頷くと、ステラは顎に指を当て、少し考え込む。


「精霊エネルギーの売上にマイナスが出ないかは気がかりね。

……でも、精霊炉の使用料に加えて長期メンテナンス契約まで抱き合わせられるなら、十分にペイできる。

そうであれば、検討の余地はあるわ。きちんと計算して、経営会議用の資料にまとめておいて」


すぐに部長が言葉を受け取った。


「承知しました。タスクチームを組成して対応いたします」


ステラは満足げに微笑み、会話を締めくくる。


「CEOも本案件には大きな期待を寄せているわ。

王国市場は、我が社が独占する。

一気に売上を跳ね上げて──業界2位……いえ、2位じゃダメ。

必ずトップに躍り出るのよ!」


部長とフェリクスは、同時に力強く頷いた。


業界1位はドラグーン帝国に本社を置くコモド。

2位はエルフ国のエールーン。

そして、旧魔王カンパニーを併合した現在の邪神カンパニーは3位に甘んじていた。


まだ上には上がいる。

彼らの足はこんなところで止まるわけにはいかないのだ。


***


「おっ、ヒーロー参上だ!」


若い男が、ジョッキ片手にニカッと笑う。

炭火に落ちた脂がジュウと音を立て、香ばしい煙が店内に漂っていた。


「なんだよ、もう始めてるのか?

おーい、生ひとつ追加ね!」


フェリクスは店員に声をかけると、狭い座敷にドカッと上がり込み、靴下を脱いで足を投げ出す。


テーブル越しに若い男が「オッサンくせえな!」と笑いながら、ゴクリと喉を鳴らしビールを流し込んだ。


仕事終わり、同期に誘われての一杯。

企業戦士たちにとっては、束の間の安らぎのひとときだった。


フェリクスを含めた男三人組。

気心知れた仲間同士、バカ話と愚痴のオンパレード。

酒と肉、そして脂。

それが彼らのガソリンだった。


ひとしきりアルコールが回った頃、話題は王国出張へと移った。


「なんだそりゃ、怖えなあ!

まあでも、俺はデカ女もイケる口だぜ」


同僚が軽口を叩きながら軟骨揚げをつまむ。


「だろぉー? でもよ、受付嬢のチャンネーはそこそこレベル高かったぜ。

……もうちょい、ここが欲しいけどな」


フェリクスが胸の前で両手をぐるりと回して見せると、座敷に爆笑が生まれた。


男たちのサンクチュアリに、『コンプライアンス』の八文字は存在しない。

言いたい放題、笑いたい放題だった。


「まあでもよ。原住民がドンパチなんて、おっかねーよな。刺されんじゃねーか?

お前、クソ度胸あるからやれるんだろ……俺は絶対ごめんだぜ」


その言葉に、フェリクスは皮肉っぽく口を歪める。


「好きで行くやつなんかいるかよ、あんな国。

今どきネットすらねぇんだぜ?

……ま、ひと仕事終わったら車でも買ってよ、ノンビリ温泉巡りでもしたいもんだ」


「おっ、それフラグじゃねーか?

生きて帰ってこいよ、フェリクス隊長!」


ガハハと笑う仲間に、フェリクスも「うるせーよ」と返し、ジョッキを煽った。


しかし、ふと真顔になる。


「……まあ、この会社もたいがいクソだしな。

王国と似たようなもんか」


一瞬の沈黙ののち──。


「そーそー!」

「だよなー!」


同僚たちの声が重なり、座敷の空気は一気に愚痴大会へと雪崩れ込んだ。

ノルマの無茶ぶり、上層部の無責任、理不尽な評価制度……。

次々と飛び出す言葉に、ジョッキがぶつかり合い、笑いとため息が入り混じる。


やがて呂律の回らない声で、同僚が焼き鳥の串を振りかざしながら言った。


「そんじゃーフェリクスくんの大成功を祈って〜……

ガッポリ稼いでこいよ〜!」


フェリクスも朱に染まった目尻を下げ、唾を飛ばして気勢を上げる。


「おうともよ!!

空前絶後の売上叩き出して──あんのクッソ生意気なボブカットをヒイヒイ言わせてやんよ!」


「よっ、フェリクス閣下!」

「精霊が抱かれたい男ナンバーワン!」


やんややんやの大喝采のなか、男たちの夜は更けていった。

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