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第20話 服毒

王都のとある貴族邸。


豪奢な応接室に、落ち着いたスーツ姿の女性が案内される。

磨き抜かれた大理石の床と、壁を覆う重厚なタペストリー。その中で彼女の装いは異質でありながらも、不思議と場に溶け込んでいた。


部屋の主──貴族の当主が、作り物めいた笑みを浮かべて迎える。


「あなたですか。契約労働者の派遣ビジネスを始めたいとか……。

ずいぶんお若いのに、やり手ですな」


女性はスッと頭を下げた。


「はい。つきましては、御家に所属する人材を幾人か。

条件はすでにお伝えしたとおりです。ご検討いただけますか」


顔を上げたその口元に、柔らかな微笑が宿る。


──ヴィオラだった。


彼女は今、ミレーヌ……いや、ボスからの指示で王都に潜入している。

目的は契約労働者ライネルの救出。


だがここは地方とは違い、強大な治安維持機構──王都騎士団が睨みを利かせている。

ホワイト略奪で貴族邸を襲い、契約書を強奪するような強硬策は通じない。


ならば、別の手段を取るしかない。

金銭で片をつけるのだ。


雇用主の素性を割り出すまでに、多大な労力を要した。

だが──ついに辿り着き、こうして交渉の場にこぎつけた。


ヴィオラは応接室のソファーに腰を下ろし、指先を組む。

柔らかな笑顔を浮かべつつも、その奥には氷のような光が潜んでいた。


ライネルの特徴は事前に把握してある。

条件を伝えておいた以上、提示される履歴書の中に必ず彼が含まれているはずだ。


そこから適当に二、三名を選び、砦へ連れ帰る。

ライネルを解放し、残りも望むなら自由に去らせる。

あるいは──砦に留まり働きたいと願う者がいれば、受け入れても構わない。


それが、ヴィオラの描いた筋書きだった。


貴族当主がテーブルに置かれた銀の鈴を軽く鳴らす。

ほどなくして使用人の初老の男が現れ、腕に抱えた紙の束を恭しく差し出した。


几帳面な所作で、数枚の紙がヴィオラの前に並べられる。


──いた。


視線をさらりと流すふりをしながら、ライネルの名を認めた瞬間、瞳がかすかに揺れる。

胸の奥で小さな安堵が弾けたが、表情には微塵も出さない。


(この貴族が下手な駆け引きを持ち出さないように──言い値で構わない。

いっそ全員引き受けてもいい)


どうせ、これきりの関係なのだ。


だが──その中の一枚に、違和感を覚えた。

ヴィオラはそっと紙を取り上げ、冷静な声音で問いかける。


「こちらの人材……当方の条件とは、ずいぶん異なりますね」


貴族当主は「ああ……」と小さく困ったような顔をつくり、言葉を探すように続けた。


「申し訳ないねえ。ちょっと訳あり商品でね。

いや、性格が悪いとか勤務態度に問題があるわけじゃないんだ。

ただ……幼少期に魔獣に襲われたとかで、片方の視力が少しばかりね。

うちは工場で危険な機械を扱うことが多くて……。


そちらは事務作業の口もあると聞いた。

できれば、そういった職場で雇っていただけないかな」


……いやな話だ。

要は持て余した契約労働者を、この機に抱き合わせで押し付けようとしているだけ。


しかも“訳あり商品”だと? 人に対してなんだその言いぐさは。

目の前の貴族に反吐が出る思いだったが、ヴィオラは微動だにせず、涼やかに口を開いた。


「なるほど。承知しました。

“彼女”の要望を聞き、相応しい職場を紹介いたしましょう。

それでは──ご提示いただいた人材、すべて引き受けるということで。よろしいですね?」


貴族当主の顔に、安堵の色が広がる。


「あ、ああ……ありがたい。では商談成立だな。

おい、契約書を! 至急だ!」


控えていた使用人に声を飛ばす。


その様子を眺めながら、ヴィオラの胸中に拭いがたい違和感が芽生えた。

二つ返事で──しかも相手のほうから取引成立を急ぐとは。


(……何かある)


条件外の契約労働者を受け入れたせいか?

──いや、それだけでここまで慌てる理由にはならない。


だが、ここで反故にする選択肢はない。

疑念は残る。だが腹を括るしかなかった。


ヴィオラは契約書にサインを走らせる。


会社名は、この取引のためだけに立ち上げた仮初めの器──ホワイトシーフ商会ではない。

盗賊団につながる痕跡は、一片たりとも残さない。


徹底している。何も問題は起きない。


……そのはずだ。


「では、入金は三日後。その後に迎えに伺います。

今後とも、良い取引を──よろしくお願いします」


ボスが、この国を必ず変える。

いまは見逃してやる。だが、しかるべき時が来たなら──

人を食い物にした報いを、必ず受けてもらう。


……盗賊が言うには、ずいぶんおかしな台詞だけれど。


ヴィオラは、凍り付くような笑みを浮かべ、貴族当主に向き直った。


***


ヴィオラが去ったあと、貴族当主はふう、と大きく息を吐いた。

傍らの使用人へと視線を流し、同意を求めるように呟く。


「……怖い女だな。殺されるかと思ったよ」


使用人は無言で頷き、低く返した。


「あれが世間を騒がせている盗賊……。

なぜライネルなどに固執するのか。理解に苦しみますな」


当主は肩をすくめ、唇に薄笑いを浮かべる。


「さあな。見当もつかんが──黙って指示に従うまで。

それに、盗賊の女も十分に怖いが……“あちらの女”の方が、何倍も恐ろしい。

ロイヤルガード……。もっときらびやかな騎士だと思っていたんだがな。

ヴァルト様も、とんだ毒を仕込んだものだ」


「まったくです。どちらとも、二度と関わり合いになりたくはありません」


ふたりは視線を交わし──同時に、深々と安堵の息をついた。


***


俺は、ヴィオラが連れ帰ってきた契約労働者たちを前に、できるだけ柔らかな笑みをつくった。


しかし──相手は明らかにおびえている。

……無理もない。


最近は自分でも忘れかけていたが、盗賊団首領という肩書きと、このビジュアル。

一般人にしてみれば、ただの脅威でしかないのだ。


「えーと……皆さん。そんなに怖がらなくて大丈夫だ」


机の上の契約書を取り上げ、俺はそれをビリッと一気に引き裂いた。


おおっと、驚きと歓声が同時に上がる。


「義賊の噂は耳にしていると思う。俺たちは、無理やり何かをさせるつもりはない。

故郷に帰れる人は帰っていいし、行き先がないならここに残っても構わない。


俺たちも人手が足りない。手を貸してくれるなら大歓迎だ。

もちろん──労働には正当な対価を払う。それがここのモットーだ。

安心してくれ」


そう言い終えると、俺はライネルに視線を向けた。


「実はな、レイラさんからあんたのことを聞いていて……。

“助けてやってくれ”って。騎士団に目をつけられていたからな」


レイラはWSO(世界精霊機関)関連組織のエージェント。

ライネルの国を変えたいという思いに、支援を行っていたのだ。


「レイラさんが……義賊と? 夢が現実になるなんて……」


ライネルは、信じられないといった表情で呟く。

俺は言葉を継いだ。


「で、これからどうするんだ?

王都に戻るのもいいけど……騎士団には顔が割れている。気をつけた方がいいんじゃないかな」


ライネルは静かに答える。


「ありがとうございます。

僕は王都で同じ志の仲間を募りたいと思います。……地下に潜って、静かに、着々と」


その瞳には、揺るぎない覚悟の光が宿っていた。

なら、その意思を尊重すべきだろう。


アリサとの関わりも少し聞いている。

彼が立ち上がる時、一緒に戦うと誓ったという。

なら、アリサの戦いに支援勢力が生まれるのは頼もしいことだ。


そのとき──おずおずとした声が響いた。


「あの……私は行くあてがなくて。できれば、ここで働かせてもらえませんか」


男たちに混じり、声を上げたのは一人の若い女性だった。

ヴィオラから事情は聞いている。


年の頃は二十代前半……いや、まだ十代かもしれない。

細身の体つきに、さらさらと流れる薄茶色のロングヘア。


魔獣被害にあったという左目には眼帯をかけ、右目の視力は問題ないという。

また、その際に腕にも大きな傷を負ったとされ、常に長袖で覆っている。


儚げで物静かな印象。


「そっか。いいよ。

うちは素材調達の加工もやってるから、まずはそういう仕事から始めようか。

他にやりたいことが見つかったら、そのときはまた相談してくれればいい」


可能性とやる気さえあれば、道はいくらでも拓ける。

そして、その道を用意するために──俺たちは、まだまだ大きくならなければならなかった。


「えっと……名前は?」


問いかけに、彼女は小さく微笑んで答える。


「リズリンド……よろしくお願いします」


***


素材調達の加工は、S級冒険者レナと和尚が担当している。

俺は新たに加わったリズリンドを、ふたりに預けることにした。


レナは、鉄仮面がお仕えしている猫様を頭に乗せたまま、手際よく作業手順を教えていく。


「そうそう、簡単でしょ?

リズは丁寧だね。カレンとは大違い……ほんと、大雑把なんだから」


どうやら気が合うようだ。

レナは戦闘になれば冷徹に刃を振るうが、普段は穏やかで面倒見もいい。

その人柄ゆえに、同僚たちからも厚く慕われていた。


「おお、器用なものだな」


和尚も感心したように声を上げる。

スキンヘッドに筋骨隆々という威圧的な見た目のせいで、最初は誰も目を合わせようとしなかった。

だが実際は、幹部の中では一番常識人に近い性格である。

いまでは仲間たちともすっかり打ち解けていた。


リズリンドは微笑みながら手を動かし続ける。


「盗賊団って聞いたときは怖かったんですけど……。

皆さん優しくてホッとしました。私、ここで頑張っていけそうです」


和尚はうむうむと頷く。


「そうだな。仕事をして報酬を得る。生きる術があるというのは、まっこと良きこと。

リズリンド殿も、やりたいことがあれば遠慮なく言ってくれ」


その言葉に、彼女はふっと顔を翳らせた。


「団長さんと同じことを言ってくれるんですね。

私……やりたいことなんて」


和尚は穏やかな視線を投げかける。


「そうか。まだこれからだからな。いきなりぶしつけな問いかけだったな。

だが、可能性はどこに眠っているか分からんぞ」


そう言って、元・契約労働者のティナはいまゴーレムのオペレーターとして活躍していること、リサは精霊契約術師として修行していることを例に挙げる。


不意にリズリンドの声が低くなる。


「最新鋭の魔導ギアに、精霊契約術師……?そんなものが……」


「どうかしたの?」

レナが首をかしげると、彼女は軽く首を横に振った。


「いえ……そうですね。皆さんのこと、“いろいろ”知りたいな。

私、やりたいこと見つかるかも」


そう言って、静かな笑みを浮かべた。

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