第19話 炎の魔法使い
王都騎士団、エルンハルト小隊の控室。
フレッドは、リュシアンの帰還報告に耳を傾けながら静かに頷いていた。
「そうか。アリサくんもロイも……みんな、相変わらずだね。
それにしても、エドワルド大叔父までとは……まったく、エルンハルト家はこれからどうなるんだか」
フレッド率いるエルンハルト小隊は、アリサたち離脱者が去った今、残るはわずか二名。
小隊としての体をなしていないことから再編成も検討されたが──騎士団の採用は基本的に年一度のため、来年度まではベアトリス預かりとされることになった。
フレッドの下に名を連ねるのは、リュシアン、ミレーヌ、セリーナ。
その統括を担うのはベアトリスである。
しみじみと感慨にふけるフレッドの思考を、突如として軽薄な声が遮った。
「なになに、イケメンのお兄さんがいるじゃん!
エルンハルトってことは、あのジイさんの親戚でしょ? あたしのこと、イヤらしい目でジロジロ見てたんだけどさー。
でも、お兄さんなら……いいかもー」
声の主は──ミアだった。
フレッドは返答に詰まり、曖昧な笑みを浮かべる。
ミアは魔法指南として騎士団に招かれた外部委託。
だが、ベアトリスから「新生エルンハルト小隊」に組み入れてほしいと要請されており、実際には彼の指揮下に入る予定だった。
とはいえ、この異質な存在の扱いにフレッドは頭を悩ませていた。
「えっと……ミアさん。
王都騎士団にも、一応ハラスメント規定はありますので。そういうのは、ちょっと」
それはセルジュが一昨年度に制度化したものだった。
古参騎士からは非難ごうごうを浴びせられたが、彼女は「は……はうう」と言葉に詰まりながらも女性団員の声をまとめ上げ、ついに条文化までこぎつけた。
その粘り強さと実務能力は、疑いようのないものだった。
ミアは指先のネイルをいじりながら、ヘラヘラと笑みを浮かべる。
「えー、冗談じゃん。ウケる〜。
あたし、そんなに安くないしぃ……まあ、玉の輿からの左団扇? それも悪くないけどさ。
やっぱ家庭持つなら、盗賊とか冒険者とか論外じゃん? 不安定すぎるし〜。
その点、騎士団って公務員だしー。収入ソコソコでも安定職って鬼強くね?
あたし、けっこう尽くすタイプなんだよね。
弁当作るのだって、年イチくらいなら我慢できるし。キャラ弁だって作れるんだから──“破壊神*?!=@”とか。
名前を口にした瞬間に魂抜かれちゃうけど……レアキャラってやつ?
家にこんな可愛い子がいるってだけで、24時間中20時間はガンガン働いて稼がないとウソじゃん?
いかにあたしを楽させてくれるか──それが男の価値っていうかさー」
ミアの声を、セリーナはまるで存在しないかのように無視した。
冷ややかに場を仕切り直す。
「隊長、先生のお世話は私が責任を持ちますのでご心配なく。
規律はきちんと守っていただけるよう、丁寧に教えます」
ミアは「うわぁ」と言いたげな表情を浮かべたが、声には出さない。
セリーナには逆らえないのだ。
そんな空気を打ち破ったのは、ミレーヌの興味津々な声だった。
「リスティアさんのお弟子さんなんですよね?
私、エルフ国であの人の魔法を見たんです。ドーンって雷が落ちて、悪者のアジトをまるごと破壊して! 精霊の一撃が正義を執行するの!!
お弟子さんも、きっとすごい魔法使いなんだろうなあ」
興奮を隠さないミレーヌに、ミアは「まあまあ、落ち着きたまえ」と手をひらひら振って制する。
口元には、どこか得意げな笑み。
セリーナはその様子を横目に見やり、
──調子に乗らせるんじゃない。
そう言いたげな冷ややかな視線をミレーヌに送っていた。
リュシアンが空気を読まずに、弾んだ声で言葉をかける。
「そうなんです。先生、ボクに下位精霊との契約術式を教えてくれるって。
楽しみだなあー!」
「ふうん?」
ミレーヌが首をかしげると、ミアがすかさず割って入った。
「あ〜、今、“下位精霊? なにそれショッボ〜”って思ったでしょ? 思ったでしょ?
これだから素人は……」
やれやれと首を振る。
「下位精霊って言ってもピンキリなんだよね。
個人で扱う魔法なら、それだけで十分に強力なんだから。
だいたい中位以上の精霊は、WSOに申請しないと契約できないしー。
そんなの使える人なんて、世界でもほんの少し。
……ま、あたしはそのうちイケるってセンセーが太鼓判押してくれてるけどね。
でもボウヤには、まだちょ〜〜っと早いっていうか〜」
リュシアンの才能は、やがて上位精霊に届く可能性を秘めている。
だが、それもあくまで訓練次第。
まずは下位精霊との契約術式で基礎を固めれば、将来の応用は難しくはない──リスティアはそう考えて、ミアを付けることにした。
さらに、すぐにリュシアンは彼女に追いつくだろう。
だがそれでいい。
ミアの性格なら、教師としての体面を保つために一念発起し、さらなる能力向上に励むはずだ。
リュシアンを育てつつ、ミアも成長させる。
リスティアには、そんな読みがあったのだ。
──話は小隊控室の様子に戻る。
ミアは、いまひとつピンときていないミレーヌの表情を見て取った。
「そうだねぇ、百聞は一見にしかずってやつ?
……ところで、お兄さん、8万G持ってる?」
いきなりフレッドをカツアゲにかかる。
セリーナが思わず色をなしたが、フレッドは「まあまあ……」と笑って手を上げて制した。
「精霊への対価……魔法を見せてくれるのかな?」
にやりと唇を吊り上げるミア。
「そういうこと。ギャラリーも集めといてよ? こういうのは、派手にやらなきゃ面白くないじゃん☆」
***
この世界における魔法とは──魔力を媒介として発現する現象である。
魔力は自然界のあらゆる場所に存在し、生物の体内にも巡っている。
そのため、精霊の力を借りなくとも、人間は魔法を行使することが可能だ。
ただし、人の体内を流れる魔力量はごくわずかであり、発動できるのは火を灯す、風を揺らすといった小規模なものに限られる。
一方、精霊は高密度の霊体エネルギーで構成されており、この世界に顕現する際、そのエネルギーを魔力へと変換して自然現象を引き起こす。
精霊契約術師は、対価を支払うことで力の一部を借り受け、魔力へと転じて魔法を発動する。
──これが、魔法の基本的なプロセスである。
さらにいえば、その契約術式を封じ込めることで、誰もがいつでも魔法を使えるようにした道具──それが魔導ギアである。
では、精霊契約術師に魔導ギアは不要かといえば──決してそうではない。
魔導ギアを用いれば、事前にプリセットした魔法を即座に展開できる。
戦術の幅を広げる、欠かせない道具なのである。
ともあれ、騎士団内でおおっぴらに魔導ギアを使うことは許されない。
ゆえに今のミアは、道具に頼ることなく実力を披露するしかなかった。
***
外部委託の魔法使いが魔法を実演する──その話を聞きつけ、多くの騎士が演習場に詰めかけていた。
魔導ギア産業が衰退したこの国では、優秀な精霊契約術師の多くが国外へ職を求めて去り、国境の往来に厳しい制限が課されたときには、すでに手遅れだった。
その結果、王国に残された精霊契約術師──魔法使いは量も質も著しく低下。
騎士たちにとって魔法とは、せいぜいそよ風を起こす程度の力。
そんな認識しかなかった。
だが、ベアトリスがわざわざ招いたとあれば、何か面白いものが見られるかもしれない。
たいした娯楽もない騎士団である。野次馬同然の観客たちが押しかけていた。
「ふ〜ん、まあまあ集まってきたかな〜」
屋外演習場のど真ん中で、視線を一身に浴びながらミアは気持ちよさそうに伸びをする。
手にしているのは杖──といっても魔導ギアではなく、ただの木の棒だ。
何か持たせないと格好がつかない、という理由で、セリーナが急遽かき集めてきた代物である。
そのミアを遠巻きに見ながら、セリーナの胸中には不安が渦巻いていた。
アリサからは「すごい魔法を使っていた」と聞いているし、リスティアが推薦するのなら信じたい。
だが実際に、その力を自分の目で確かめたわけではない。
まして、あのヘラヘラとした気だるげな態度からは、とても腕が立つようには見えなかった。
──自分でお願いしておいて何だが、あれで本当に大丈夫なのだろうか。
もし口先だけだったなら、ベアトリスの顔に泥を塗ることになる……。
セリーナも、実のところ魔法には疎い。
下位精霊との契約? それって結局大したことないんじゃないのか──
心の奥では、ミレーヌと同じ感想を抱いていたのだった。
「んじゃあ、そろそろおっ始めようかな〜」
ミアはくるくると杖を回す──が、勢い余って手からすっぽ抜ける。
「あちゃー。いつもの杖と違うからさ〜」
ゆるく頭をかくミアに、観衆から嘲笑まじりの笑いが広がった。
セリーナの背に、冷たい汗が伝う。
だが、ミアは余裕の目でギャラリーを見返した。
「……まあ、ご愛嬌ってやつ。笑いも取っておかないとね」
そう嘯くと杖をスッと構え、静かに目を閉じる。
数秒後、場の空気が一変した。
彼女から立ち昇る魔力の奔流──魔力がどういうものか分からぬ騎士たちですら、何かが起ころうとしていると直感した。
刹那。
ゴウッ!
轟音とともに巨大な炎の壁が立ち昇り、見物人の眼前に展開する。
熱気が煽られ、肌をチリチリと焼く。
予想外の出来事に、居並ぶ騎士たちは一歩も動けなかった。
炎が収まりかけると、ミアは低く呟く。
「……まだまだ」
バッと木の杖を空にかざす。
瞬く間に一抱えほどの炎の弾がいくつも生まれ、弓術用の的をまとめて撃ち抜き、破壊し、焼き尽くした。
演習場を支配する静寂。
その中心で、ミアはくるくると杖を回し、今度はドヤ顔でポーズを決める。
「……これが、魔法。“ほんの初歩”なんだけどね。
分かったかな? 諸君」
騎士団演習場はかつてないほどの歓声に包まれた。
セリーナもまた、瞳を輝かせ、思わず惜しみない拍手を送っていた。
つい先ほどまで胸中を占めていた不安など、跡形もなく吹き飛んでいた。