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第18話 カスミソウ

王都騎士団の食堂では、三食の決められた時間を外れると、軽食やドリンクが有料で提供される。


ミレーヌはセルフサービスのホットコーヒーを二つ、トレーに乗せてテーブルへと運んだ。

そのうちの一つをセルジュの前にそっと置き、自分も向かいの席に腰を下ろす。


しばし、沈黙が流れた。


ベアトリスのようにうまく話を切り出すことはできない。

というより、何を喋ればよいのか分からなかった。


思わず声をかけたのは──いまにも消え入りそうなほど儚げなセルジュの小さな背中を、見るに見かねたからだ。


この様子からすれば、重大なことが起きているのは間違いない。

もしそれがガーランドに関わるのなら、利用する好機とも言えるだろう。


だが……そんな気は、まったく起きなかった。

セルジュを踏み台にしてガーランドを陥れるなど、どうしても(はばか)られたのだ。


「あの……冷めないうちに、どうぞ」


ミレーヌがそう勧めると、セルジュは小さく頷き、カップを手に取った。

指先はかすかに震えていた。


──何か、あったのですか?


喉まで言葉はこみ上げる。

けれど、それを口にすれば彼女をさらに追い詰めてしまう気がして……声にはならなかった。


だから、まったく関係のないことを口にすることにした。


「セルジュ様、演劇がお好きなんですよね。

私も……物語を考えるのが好きで。下手なんですけど。

よかったら、聞いていただけますか?」


伏せられていたセルジュの睫毛が、わずかに揺れる。

小さく頷いた──気がした。


ミレーヌは、少し安心して言葉を続ける。


「外の世界には、エルフの住む国があるんです。

そこで、あるお宅に招かれて、コロッケをごちそうになるんです。その家の子供たちと一緒に」


「……エルフが……コロッケを?」


不思議そうに首をかしげる。


「そうなんです。しかも、その家のお父さん──見た目は子供なのに大酒飲み。家事には指一本動かさなくて、セクハラ発言ばっかりなんですよ。

お母さんはすごい美人で、いつもニコニコしてるんですけど……怒ると魔法で悪徳セールスマンを撃退しちゃうんです。私、もうびっくりしちゃって」


そうして、ミレーヌはエルフ国での体験を、まるで物語を語るように話し始めた。


「えぇ?……ふふ、それはひどいね。谷底に落としちゃうなんて」


セルジュの口元に、次第に笑みが戻っていく。


「でも、私も魔法が使えたらなーって。

もう、でっかい雷がバーンって! ああ、きっとスッキリするんだろうなー」


気がつけば、ミレーヌの口調から敬語は消えていた。

目をきらめかせ、身振り手ぶりを交えながら──エルフの魔法使いの武勇伝を、楽しげにまくしたてていた。


やがて、ひとしきり話し終えると、


「……という物語なんです。ぜんっぜんリアリティないですよね」


そう言って、いたずらっぽく舌をちょこんと出してみせる。


セルジュはくすくすと笑いながら、コーヒーを一口飲む。


「ミレーヌさんに、こんな才能があったなんて知らなかったな。

私、もっと堅い人かと思ってたの。成績優秀で、ベアトリスさんの隣でいつも凛としていて……」


その口調は、いつものボソボソとしたものではなく、どこか柔らかさを帯びていた。

極度の緊張しいである彼女だが──家族や親しい友人の前では、きっとこんなふうに話すのだろう。


そんなセルジュの言葉に、ミレーヌも自然と頬をゆるめる。


「そんな……私なんて、ベアトリス様に認めてもらうことばかり考えてて。

もう、こう──まっすぐ! だったんです」


そう言って、両手で自分の顔を挟むようなしぐさをしてみせる。


セルジュは、相変わらず楽しげな笑みを浮かべていた。


「でも、最近はそれじゃダメなんだって……。

ベアトリス様のことは尊敬しています。だから、依存じゃなくて……なんていうか、同じ地点に立ちたいなって」


ふいに顔を翳らせたミレーヌを、セルジュはじっと見つめた。

その目元には、優しげな光が浮かんでいる。


「そうなんだ……。ミレーヌさんって、すごいな。

私なんて、いつまでもオドオドしてばかりで。こんな性格、ほんと嫌になっちゃう」


ミレーヌは照れたように手を振る。


「いえ、そんな、全然。

私、細かいことが苦手で、いつもセリーナに怒られているんです。

セルジュ様のことを見習いなさいって。丁寧にやりなさいって。

騎士団を支えているのは、あの方の努力だって……本当にそう思います」


その言葉に、セルジュは軽く頬を染める。


「え……そんなこと言われたの初めて……嬉しいな」


はにかむ笑顔が、カスミソウのように淡く咲いた。


ミレーヌは思う。

もし自分が男だったら──きっと、放っておかないのに。


目を離したら風に散ってしまいそうな、可憐で小さな花。

胸がきゅっと締め付けられた。


──やがて、セルジュがぽつりと呟く。


「ありがとう、ミレーヌさん。

心配してくれて……ちょっと、不安なことが多かったから……。

ごめんなさい、それは言えないんだけど」


ミレーヌは首を横に振った。


「いえ。セルジュ様も大任のあるお方。差し出がましい真似をしました」


その言葉に、セルジュは顔を伏せ、小さな声で囁くように言った。


「あの……お願いしてもいい?」


ミレーヌが小首をかしげると、セルジュは続ける。


「“様”はいらないの。

そういうの……実は恥ずかしくて。公式のときはきちんとしないと団長に怒られちゃうんだけど」


ミレーヌは静かに微笑む。


「はい、セルジュさん。

私、誤解していました。もしかして人嫌いなのかなって……でも、こんなにも可愛らしいなんて」


その一言に、セルジュの顔は真っ赤になった。


「そ、そそ、そんな……ミレーヌさん!」


思わず声を上げる。

そして視線が重なり──自然と二人のあいだに笑みがこぼれた。


***


「こんなに笑ったの……久しぶり。楽しかったわ、ミレーヌさん」


食堂を出て、別れの言葉を交わす。


「またお話したいです。演劇の物語、聞かせてもらえませんか。

セリーナの読む本は、ちょっと少女趣味すぎて話が合わないんですよね~。

私、サスペンスが好きなんですけど」


すっかり軽口になっているミレーヌ。


その背に、不意に声がかかった。


「……お好みに合わなくて悪かったわ」


ギクリとして振り返ると、眼鏡を押し上げるセリーナの姿。


「えっ……戻ってきたの? お疲れ様。

……って、どちら様?」


視線の先にはセリーナとリュシアン、そして見知らぬ女性。


セリーナは問いを無視し、背筋をピシッと伸ばす。


「失礼いたしました、セルジュ様。

こちら、魔法指南のミア先生です。

ベアトリス様はヴィエール隊の全滅を受け、騎士団の魔法実技強化を検討しておられます。そのため、高名な精霊契約術師をお招きしました」


セルジュはきょとんと目を(またた)かせる。


「精霊契約術師……その方が?」


ミアは目立つ学生服のような普段着から、いまは騎士団の制服を着せられていた。

セルジュはどこかで見た気がしながらも、思い出せずにいる。


セリーナはミアに向き直り、セルジュを紹介する。


「先生、こちらは騎士団長付き秘書官、“上級騎士”のセルジュ様です」


──くれぐれも失礼のないように。

念押しの意味を込めて、“上級騎士”に強いアクセントを置いた。


だが、その意図はまったく伝わっていなかった。


「おっす! 偉大な精霊契約術師でっす、よろぴく〜。

あたし、リュシアンの魔法の家庭教師? まあ、そんな感じかな。

こいつが少しでも使いものになればいいんだけどねー。どうだろ? ははっ」


ヘラヘラ笑うミアに、セリーナは思わず剣の柄へ手を伸ばしかける。

だが今は──上官の前だ。


「精霊契約術師……魔法……すごい……。

私、噂や物語でしか聞いたことなくて……よろしくお願いしますね」


セルジュはペコリと頭を下げた。

ミアは両腕を頭の後ろに回し、「まあまあ、(かしこ)まんなくていいから〜」と気楽に応じる。


やり取りを眺めていたミレーヌは、セリーナの放つ怒気に気づき、こめかみに汗がつっと流れた。


慌てて取り繕うように言葉を挟んだ。


「ま、まあ。先生もお疲れだと思いますし……。それでは失礼します」


軽く会釈し、ミアたちを促すようにしてそそくさと退散する。


残されたセルジュは、ひとりぽつんと立ち尽くす。


けれど、食堂に入る前とは違い──その顔には微笑みが浮かんでいた。

ほんの少しだけ、不安の影が薄らいだように見えた。

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