第17話 勘違い
ガーランドは、セルジュの報告に思わず血の気を失った。
「一級兵装が……盗賊団に、奪われただと?」
震えそうになる声を押さえ込み、顎に手を当てて考え込む。
表情は崩せない──だが胸の内では、冷や汗が止まらなかった。
本来なら、あれは軍事行動による盗賊団討伐までの繋ぎ。
だが、うまくいけば奴らを討ち取り、ヴァルトとマルセルに恩を売る……その算段だった。
騎士団一級兵装──それはただの武装ではない。
聖剣の時は下位精霊しか使えずに頓挫したが、今回は違う。
邪神カンパニーが供給する精霊エネルギーがある以上、敗北はありえないはずだった。
ましてや、やすやすと鹵獲されるなど──。
見通しが甘かった、と責めるのは酷だろう。
一級兵装を退けたのは、ゴーレムとリスティア。
最新鋭の魔導ギアと、最高位の精霊契約術師。
そんな存在と戦うなど、到底想定できるはずがなかった。
実際、彼女たちがいなければ──盗賊団の壊滅は必至だったのだ。
残されたのは、多額の費用請求……。
成果を上げられなかったブラック冒険者ギルドへの支払いなど突っ張ねたいところだ。
しかし、相手はしょせんアウトロー。
どんな理屈を持ち出し、どんな騒ぎを起こすか分かったものではない。
下手をすれば、騎士団どころか王都全体を巻き込む火種になりかねなかった。
──いや、金はまだいい。
これから邪神カンパニーとの本格的な取引を控えるヴァルトやマルセルにとって、支払いは大した負担ではない。
今回の不首尾はブラック冒険者ギルドの不甲斐なさであり、ガーランド自身の失点とは言い切れない。
だが……問題は一級兵装の紛失が露見したときだ。
その瞬間、騎士団内での彼の立場は地に落ち、ヴァルトやマルセルもあっさり切り離すだろう。
「……あの……団長」
セルジュが、不安げに声を上げた。
彼女にはあくまで「盗賊団被害を拡大させないための一時的な措置」として、ブラック冒険者ギルドへの依頼を説明している。
騎士団の業務効率化に貢献し、事務方としての腕は信頼できる。
だが──清濁併せ呑む器量は持ち合わせていない。
せいぜい、ブラック冒険者ギルドとの繋ぎ役……連絡係。
扱いは、その程度にすぎなかった。
ガーランドは無表情を装い、セルジュへと声をかけた。
「……いや、ご苦労だった。
本件は私の方で処理する。下がっていい」
セルジュは小さく頭を下げ、静かに退室した。
残されたのは腹心のアラヴィス。
この青年騎士は、如才なく立ち回る男だった。
家柄も申し分なく、王都の上流階級にも太い人脈を持つ。
体制の内側こそが彼の生存領域であり──その点で、ガーランドとは利害が一致していた。
そのアラヴィスが口を開く。
「……あの一級兵装が奪われるとは。信じがたい話です。
盗賊団は噂以上の戦力を有している。いったい何がどうなっているのか」
盗賊団首領の威勢は広く知られていたが、所詮は烏合の衆。
本来の力を発揮した一級兵装なら、鎮圧はたやすい──そう計算していた。
「……以前の盗賊団とは、戦力がまるで違います。
強力な魔導ギアでも入手したんでしょうかね?」
そう言って、肩をすくめてみせる。
ガーランドが呻いた。
「強力な魔導ギア……いや、国外に出るなど考えられん」
騎士団一級兵装を上回る魔導ギアなど、国外製品しかあり得ない。
だが、ヴィエールの国境警備隊の目をかいくぐり、それを持ち込めるものだろうか。
「……ですよねぇ」
アラヴィスも同意し、言葉を続けた。
「ともあれ、敵を侮っていたのは確かです。
真正面から武力で叩き潰すのは難しいでしょう。
しかも──もし軍を派遣し、やつらが鹵獲した一級兵装を持ち出すようなことになれば……」
「い、いや、それだけは絶対にいかん!」
ガーランドは色をなして声を張り上げた。
しかし、取り乱したことを恥じるように、次の瞬間には大きく息を吐く。
「……いかん。騎士たるもの、これしきで動揺してはならん。
アラヴィス、私には王都──いや、王国秩序の守護者として、それを乱す輩を放置するわけにはいかないのだ」
法の下の秩序。
その法は、為政者の都合と利権によって書き換えられてきたものだった。
しかし、ガーランドは現実を見据えることに、腹を括っていた。
アラヴィスは、そんな彼を見つめながら思う。
この状況で理性を保てるのは、さすがの胆力。
だが副官としても、今回の作戦失敗は痛かった。盗賊団ごときと見下していた自分の責任だ。
やつらは──侮りがたい武力を有する脅威。
その認識で、この危機を切り抜けねばならない。
そんな内心を隠したまま、アラヴィスは軽い口調で言葉を投げる。
「そうですねぇ。正面切ってが無理なら……ロイヤルガードですかね。こうなったら」
ガーランドの肩がピクリと動いた。
「ロイヤルガード? 陛下の?
あんなお飾りどもに何ができる」
国王親衛騎士ロイヤルガード。
といえば聞こえは良いが──その実態は、きらびやかな儀典用の鎧をまとった、王族や上級貴族の子女たち。
泥水をすすり、血を流してきた王都騎士団とは、まさに天と地ほどの差があった。
アラヴィスは軽く笑う。
「やだなあ、団長。とぼけないでくださいよ。
私が言っているのは、そっちじゃありません。……裏のほうです」
「……あいつらか。暗殺、破壊工作専門の」
ガーランドの声が低くなる。
王家の御庭番。
それこそが、真のロイヤルガードだった。
「彼らは、魔導ギアが使えないこの国で、独自に精霊エネルギーの活用法を練り上げてきた一族です。
……団長、ご覧になったことは?」
「いや……貴様はあるのか?」
アラヴィスは軽く頷いた。
「いえ。私も伝聞なのですが。
道具を用いずに、特殊な術で精霊を体に宿すとかで──」
ガーランドは思案する。
一級兵装の紛失──。
セルジュに口止めしておけば、ひとまず時間稼ぎはできる。
次回の棚卸までは、まだ間がある。
最悪、倉庫管理の担当を言い含め、帳尻を合わせることも可能だろう。
だが、問題はそこではない。
盗賊団がそれを使い、彼らの手にあると露見する方が、はるかに致命的だった。
……取り戻せぬなら、破壊するしかない。
もしロイヤルガードが失敗しても、今回のように武装が敵の手に渡る危険性はないだろう。
ならば。
そのリスクと、一級兵装の破壊とを天秤にかければ……。
……乗るべきだ。
ガーランドが頷くのを見て、アラヴィスは続けた。
「一度出した派兵通達を取り消すのは不自然……。とはいえ、兵站の手配から何から、すぐに動けるものではありません。
のらりくらりと引き伸ばす方向で行きましょう」
「そうだな……」
ガーランドの同意を聞き、アラヴィスは少し話題を変えた。
ずっと胸の内にあった疑念を口にする。
「それと──例の契約労働者、ライネル。
彼を監視しているという正体不明の輩……。
……義賊、つまり盗賊団の線は考えられませんか?」
その言葉に、ガーランドは思考を中断させられる。
「盗賊が……?
わざわざ王都の、ひとりの契約労働者を?」
そんなことをする理由など、まるで見当がつかなかった。
「……もし契約労働者同士にコミュニティがあり、ライネルがその中心だとしたら。
盗賊は彼を旗頭に暴動を煽り、王都の混乱に乗じて略奪を行う……。そういう筋書きも成り立ちます」
アラヴィスはこめかみに手を当て、唸るように言葉を継いだ。
「よくよく考えれば……契約労働者を解放して、彼らに何の得があるのか。
不満分子を糾合し、政情不安を煽ることで騎士団や軍の力を削ぐ。
……敵は、なかなか長大な計画で動いているのかもしれませんね」
もちろん、それは完全な勘違いだ。
元社畜の転生者が、成り行きで盗賊団をホワイト化し、契約労働者にシンパシーを覚えて解放している──そんな真実を知るよしもなかった。
ガーランドも低く唸り、腕を組むと団長室の天井を仰ぐ。
「なんという……狡猾なやつらだ。
野蛮を装い、その裏で国家を揺るがす悪事を水面下で進めていたとは……」
そして、間を置いて一言。
「……このことをヴァルトに伝えれば、マルセルを通じてロイヤルガードを動かせるかもしれんな」
こうして、ふたりの逞しすぎる想像力が──新たな事態を呼び込もうとしていた。
***
退室したアラヴィスに、小さな声がかかった。
セルジュだ。
「あの……だ、大丈夫でした……?」
アラヴィスはいつもと変わらない軽い調子で、肩をすくめる。
「あんまり大丈夫じゃないですよ。
まあでも、何とかするしかないでしょ。
……セルジュさんが気に病むことはないです」
その言葉を聞いても、なおも不安は募る。
「で、ででも……無くなった……なんて……やっぱりまずいんじゃ……」
アラヴィスは、そっと手のひらを口に当てた。
「声が大きいです」
全然そんなことはないのだが、わざとらしい仕草で制止した。
「は!……は、うう。……ごめんなさい」
セルジュは慌てて口元を押さえ、ますます猫背になる。
そして、上目遣いで今にも泣き出しそうな顔。
ボソボソと小声で呟いた。
「で、で………私……ブラック冒険者ギルドで……ヴァルト様が悪党とか……団長のことも……怪しげなことを言われて……怖くて……」
アラヴィスの目が鋭くなる。
だが、他人と目を合わせようとしないセルジュは気づかない。
(あの連中……余計なことを)
やはり彼女を使いにやったのは失敗だった。
こういうことには向いていないのだ。
つくづく、自分の見通しの甘さに腹が立つ。
──とはいえ、向いている人間というのも、嫌なものだが。
だからこそ団長は、彼女を側に置いている。
矛盾しているようでいて……あれで案外、潔癖なのだ。
アラヴィスは盛大にため息を吐いた。
「それこそ、セルジュさんが気にすることではないですよ。
……どうであれ、凶悪な盗賊団は放置できない。
騎士団や軍を動かすにはしがらみが多い。
団長の苦労も、まあ察してあげましょう。ね?」
答えになっていない。
だが、それらしいことを言って紛らわせるしかなかった。
セルジュもまた、何か言葉を欲しているのだ。
アラヴィスは、できるだけ優しい調子で声をかける。
「いつも通り──いまはそれでお願いします」
軽く頭を下げると、足早に立ち去った。
ボツンと残されたセルジュは、視線を落としたまま佇む。
やがて、トボトボと歩き出したその背中に、声がかかる。
「……大丈夫ですか? セルジュ様」
振り返る。
そこに立っていたのは、ミレーヌだった。