第16話 精霊の依り代
ブラック冒険者ギルドの襲撃から数日。
砦の引っ越し準備は順調に進んでいたが──何しろ人も物も多い。
ゴーレムに運搬を任せてはいたものの、目立たぬよう密かに動かしているせいで、作業はまだまだ時間がかかりそうだった。
そんな忙しさの只中、リスティアはといえば。
相変わらず菓子を頬張りながら、分厚い雑誌をのん気にめくっている。
騎士団一級兵装との戦いで見せたあの冷徹な顔は、いまは微塵もない。
普段はフワフワしているくせに、敵には容赦ない──その二面性は、やはり母譲りなのだろうか。
頼もしいが、恐ろしいやつだ。
そんなことを考えていると、不意に「へえ」という声があがった。
俺が「どうした?」と問いかけると、リスティアはページを開いたまま俺に差し出してくる。
ページには、細かい手書き文字がびっしりと書き込まれていた。
……ライナが調べもののついでに注釈を入れたのかもしれない。
それは2ヶ月前のWSOマガジン。
もっとも、俺たちにとってはこれが“最新情報”だった。
ドワーフ商工会が購読してはいるが、国境を越える郵便はとっくに途絶えている。
わざわざ国外の私書箱まで出向いて受け取り、こうして砦に運び込んでいるのだ。
数少ない国外の息吹を伝える、貴重な窓口だった。
「古代の呪具が発見されたんだって。
世界にはまだまだロマンがあるね〜」
記事の写真には、仮面が映っていた。
鬼の面──不気味に歪んだその眼窩は、紙面越しにもこちらを見透かしてくるようだった。
「これが……魔導ギアなのか?」
俺の問いに、リスティアは首を横に振った。
「んーん。魔導ギアじゃないね。
全然別の原理で、精霊さんとの交信も契約術式じゃないって。
少ないけど──そういうの、あるんだよ」
現在の世界の主流は精霊契約術式と、それを組み込んだ魔導ギア。
だが、歴史の中にはごく少数ながら、まったく異なる精霊との交信方法を持つ文化が点在していた。
リスティアはページをつつきながら、にこにこと続ける。
「この仮面はね、精霊さんの依り代になるんだって。面白いよね〜。昔いくつか発見されてるけど、これは新しいやつだって。
仮面以外には……化粧とか、舞とか、瞳とか……そういうのもあるらしいよ」
なるほど。
道具や儀式──あるいは特殊な血統を通じて精霊を宿す。
まさに、シャーマニズムってやつか。
……なかなかゾクゾクする世界だ。
中でも瞳──邪眼に魔眼。
俺のそそるツボを押さえにきているな。ぜひ実物を見てみたいものだ。
そんな俺とリスティアのやり取りに、横から割って入る声があった。
「へえ、仮面ですかー。どれどれ」
鉄仮面──いや、今は“元・鉄仮面”。
エドワルド領の魔獣討伐がひと段落し、人手不足のこちらへ戻ってきていたのだ。
こいつは長年かぶり続けてきた仮面を、レオンに叩き割られて以来。
代わりを何度も作らせては「違う」と首を振り、結局ずっと素顔をさらしている。
……正直、素顔でいるときのほうが断然まともなのだ。
イケメン優男の顔で常識的にしゃべる分には、コミュニケーションもスムーズで、俺としては願ったりかなったり。
だが本人に言わせれば「仮面なしでは戦闘にキレが出ない」とのこと。
以来ずっとスランプ気味で、団員の間でも「早く鉄仮面復活してほしい」と声が上がっているらしい。
……いや、俺は心底このままでいてほしい。
昔馴染みの団員にとっては良いのだろうが、最近は新しい仲間もいるのだ。
ユリィなんて、あの狂気に触れた瞬間に泣きだしてしまうだろう。
そんな胸中など露知らず、鉄仮面は記事に釘付けになり、目を輝かせた。
「これは、エレガントな仮面ですね。
リスティアさん、どこで手に入るんですか?」
リスティアは、頬に菓子くずをつけたままニコニコ答える。
「えっとね、獣人連合だって。別の大陸だからさー。
さすがに“ちょっとお買い物”ってわけにはいかないかな〜」
いや、貴重な発掘物なんだろう?
お買い物できるとは思えないんだが。
すると鉄仮面は、あからさまに肩を落とした。
「そうですか……。
このまま仮面のない人生なんて……」
──いやいや。
代品が気に入らないとゴネているのは自分だろう?
こっちの身にもなってくれ。
俺が呆れていると、リスティアが余計な一言を放り込んだ。
「あー、でも。
魔王様、この手の古代呪具にも詳しいんだって。
暇そうだから、聞いてみたらどうかな〜?」
……リスティアに暇そうと言われるとは。
なんとも屈辱的だが、確かに魔王は底が知れない。
できればその能力は、鉄仮面の私的な悩みではなく、経営に活かしてほしいのだが──。
しかし、遅かった。
鉄仮面はパァァァッと顔を輝かせると、俺が止める間もなく、
「ありがとうございます!」
そう叫んだ次の瞬間には、風だけを残して視界から消えていた。
「素敵な仮面ができるといいね〜」
言葉とは裏腹に、リスティアは興味を失ったように雑誌へ視線を戻し、菓子をボリボリかじっている。
「美顔ローラーかあ。
最近ちょっと寝不足でお肌荒れてるんだよね〜。
ゼファスに買ってもらおっかなー」
俺はただ渋い顔で、通販ページを楽しげに眺める横顔を見つめるしかなかった。
***
魔王は砦の一室にデスクを構えており、主にホワイトシーフ商会の決裁や契約書の査読などを担当している。
しかし、それらの仕事が多忙を極めているというわけでもなく──ブラブラと砦の中を巡回しては団員たちと談笑する毎日だった。
最初はその肩書に緊張していた砦の人間も、フレンドリーな魔王の人柄に、いまではすっかり馴染んでいた。
「魔族も昔は略奪上等でねぇ。
チーム虎禍怒莉頭とは、しょっちゅうやりあったものですよ。はっは」
「へえー、なかなか気合い入ってたんですね、魔王さん」
団員のひとりが鉄の棒を肩でトントン叩きながら笑いかける。
魔王はやおら袖をめくり、右腕を見せた。
「敵のヘッドが放つ石化ブレス──あれがまた厄介でしてな。今でも跡が残ってるんですよ。ほら」
和やかな笑いが広がったその時、広間の扉がきぃと開いた。
現れたのは鉄仮面──手には、一枚の紙切れ。
彼は速度向上の魔導ギアを駆使し、リスティアの手からWSOマガジンを奪い、該当ページだけを破り戻すという芸当をやってのけていた。
「あ、鉄仮面さ……ん」
にこやかに声をかけかけた団員は、ひりつくような気配に声を詰まらせる。
鉄仮面は黙然と歩み寄り、魔王の前へ紙切れを差し出した。
「ほう……」
魔王は視線を走らせ、口元に薄い笑みを浮かべる。
「精霊の依り代……これは危険な道具ですよ。
素材の用立ても難しい。……だが、それだけの価値がある」
その双眸に、熟練の魔導技師の光が宿る。
鉄仮面もまた、真摯な眼差しでその視線を受け止めた。
魔王は小さく頷き、鉄仮面の右肩に左手をポンと置き──耳元で囁く。
「……私の部屋で話をしましょうか」
そのまま二人は広間を後にする。
残された団員たちはしばらく声もなく、ただ閉じた扉を見つめ続けていた──。