第14話 暴走
時間は少しだけさかのぼる。
「ハッ! パルマンのやつ。すげえな。
あいつ一人でも良かったかもな。俺も負けてらんねーぜ!」
ランスに搭乗する男――イーゴは上機嫌でスロットルを吹かす。
爆音を響かせて空を駆けながら、眼前で飛行する少女を追っていた。
「オネエチャンよお、この俺に走りで勝負するってのか?
おもしれえ!」
だが、リスティアはイーゴの言葉を受け流しながら、冷静に戦況を見ていた。
杖の兵装については情報がなかったが、あの迸る魔力。
危険性をすぐに察知していた。
……ユリィの性格じゃあ、あまり強硬策には出れないかな。
まあ、それがあの子らしいんだけど。
そして、くるりと旋回してランス型の魔導ギアに向き合う。
イーゴも急ブレーキをかけ、ホバリングを始めた。
「なんだよ、もう降参するってのか? これからが本番だろ?」
だが、その言葉には答えず、リスティアは静かに語りかける。
「ねえ、あまり構ってる時間がなさそうなの。
そろそろ大人しくしてくれないかな? 今度また遊んであげるから」
その声音に宿る冷気が、魂をかすめるように撫でていく。
だが、ここで怯むようでは男がすたる。
「はあ? 何言ってん……だ……」
宙に浮かぶ杖の上に立ち、涼やかに微笑む少女。
その周囲には陽炎のような魔力が揺らめき、まるで神話の住人──この世の存在ではないように見えた。
……いやいや、何をビビッてんだ俺は。
泣く子も黙るブラック冒険者ギルドA級パーティ。肩で風切る男だろうが!
「なめてんじゃねーぞ! コラぁ!」
精一杯の虚勢を張るが、後が続かなかった。
突如として地上から轟音とともに巨木がせり上がる。
枝が機体を絡め取り、無数の蔦がイーゴ自身の体を縛り上げた。
……!!
何が起きたのか、まったく理解が追いつかない。
混乱するイーゴの眼前──息がかかるほど至近に、しゃがみ込み両手で頬杖をつく少女の顔があった。
彼女は張り付いたような微笑みを崩さず、そっと囁いた。
「大人しくして、って言ったよ? ね、約束。
破ったら、次はもっと面白いもの見せちゃうから……分かった?」
喉がひゅっと鳴る。イーゴはこくりと頷くしかなかった。
次の瞬間、ぱあっと花が咲いたように、無邪気で人懐っこい笑顔があらわれる。
「うん。いい子だね。
あとでちゃんと解放してあげるから、ちょっとだけ待っててね〜」
そう言い残すと、すっと立ち上がり、迷いなく眼下の戦場へと飛び去っていった。
イーゴは、すっかり戦意を喪失していた。
……なんだあれは。
S級冒険者なんかよりも、全然ヤバいじゃあねーか。
パルマン、逃げた方がいいぜ。
***
「いやー、ピンチだったね、ユリィ」
リスティアは、あいかわらずのフワフワとした笑顔を浮かべていた。
俺は肩から力が抜けるのを感じ、思わず安堵の息を吐いた。
「助かったよ……。なあ、あの杖、かなり危険だな。なんとかできそうか?」
ライナも大きくため息をついた。
「もう……心臓に悪いわね。もう少し早く手を打てなかったの?
あのランスなんて大したことなかったじゃない」
リスティアはのん気に言葉を続けた。
「んー、あの子もわりと手強かったんだよ。
……まあ、間に合ったからいいじゃない。それにしても、面白い魔導ギアだね」
興味津々といった様子で視線を向ける先には、巨大な氷塊が消し飛んだ衝撃に動揺する男の姿。
だが、俺は気が気じゃなかった。
「あの男……一方的に強力な魔法を連発してやがる。もし相手がゴーレムじゃなかったら、どうなってたか。危険すぎる」
力を得れば迷わず振るう。しかも制御も理性もない。
……子供じみた性格が一番タチが悪い。
そう思った矢先だった。
ガッ! と音を立て、男の足元から氷柱がせり上がり、そのまま槍のように身体を貫いた。
次の瞬間には氷はサアッっと霧散し、小太りな体が地に伏す音が響いた。
「……え?」
言葉を失う俺。モニターには、無表情で杖を構えるリスティアの姿があった。
そして、にっこり。
「うん。氷属性の鎧。同属性への耐性があるね」
……いや、貫通してたが。
「リスティア、やりすぎるな」
ゼファスが冷静に諭す。
「暴徒鎮圧用の魔法を使うんだ」
「大丈夫だよ。急所は外してるから」
相変わらず“大丈夫”の基準が分からない。
しかし一瞬の躊躇もなく放つその姿に──俺とゼファスの方が甘いのかもしれない、と思わされた。
いつもの調子と違う。彼女の中でスイッチが切り替わっている。
軽口で突っ込みを入れる気にもなれなかった。
地に伏していた男は、再び光に包まれる。
今度はピンクの衣装。
柔らかな粒子が癒やしのオーラを広げ、何事もなかったかのように立ち上がった。
……回復魔法まであるのかよ。
こいつ一人で決戦兵器じゃないか。
リスティアは「まったく」と呟き、杖を軽く振り下ろす。
地面から芽が吹き出し、瞬く間に成長──大きな蕾が開き、サッカーボール大の種を弾丸のように発射。
男の腹を撃ち、うずくまったところに蔦がはい出し、体をきつく締め上げる。
「これでいいんでしょ? ゼファス」
……鮮やかすぎる。
というか、ちゃんとした拘束用の手札持ってたじゃないか。
ホッとしたのも束の間。
「くそっ! 盗賊め!」
ジタバタと暴れる男。
リスティアは呆れたように見下ろし──普段の穏やかでフワっとした雰囲気からは想像できない、ぞっとするような冷たい声を発した。
「いい加減にしてほしいな。
ユリィも疲れてるんだから休ませてあげたいの。
それ以上暴れるなら──血液、沸騰させちゃうよ?」
……脅しでも冗談でもない。淡々とした“宣告”。
今の彼女は、決して逆らってはいけないモードだ。
「なにを、この程度……!」
呻いた瞬間、蔦がスパンと切断される。
リスティアはとっさに魔法障壁を展開し、後方へ飛び退いた。
緑の衣装にチェンジした男から風が噴き出し、またたく間に巨大な竜巻が生まれる。
だが──次の瞬間、ふっと掻き消えた。
「……あれ?」
男が不思議そうに杖を振ると、再び荒れ狂う風が噴き出し、大地を抉る。
砂塵で映像が乱れる中、リスティアの冷静な声が響いた。
「ねえ、ライナ。魔力の流れ、おかしいね」
「そうね……」
ライナは険しい顔を見せる。
「クールタイムもなく大魔法を連発……。あの杖がどれだけオーバーテクノロジーでも、ベースは旧世代ギア。
多重化も冗長化もないから、負荷が限界にきている。……暴走寸前かもしれない」
直後、男の悲鳴が響く。
「おい! なんだこれ! 止まれーっ!」
暴走──。
俺は制御を失った魔導ギアに生命力を根こそぎ吸われ、死にかけた過去を思い出す。
だが、あの杖の出力は俺のときの比じゃない。
「灰も残らずロストかな。……まあ、自業自得じゃない?」
ライナがボソリと呟いたそのとき。
カタカタとキーボードを叩いていたティナの手が、ピタリと止まる。
「ライナさん、リスティアさん……。なんとかなりませんか?」
その声には、切実な願いがこもっていた。
ティナはあのとき、精霊共鳴で俺を暴走から救ってくれた。
同じ悲劇を、もう二度と見たくないのだろう。
ライナは小さく息を吐き、目を伏せる。
そして冷徹に言い放った。
「私もドランも、今からあれを止めに行く時間はない。
こっちは巻き込まれないよう障壁を固めるしかない……。リスティア、砦の方もお願い」
ただ、処理を進めるだけの淡々とした声。
ティナの肩が小さく震える。
正直、あの男には同情する気になれない。
だが──おそらく彼は、リスクを知らぬまま杖を振るっているのだ。ブラック冒険者ギルドのやり口なら、それもあり得る。
それに、あんなやつでも心配してくれる仲間がいる。
……最悪の結末だけは、避けたい。
けれど、ライナとリスティアですら対処不能な現実を前に、俺にはどうすることもできなかった。
そんなとき、不意に静かな声が割り込む。
「いや──望みを捨てるな」
ゼファスだった。その言葉には確信が宿っていた。
「技術は人のためにある。
それが魔王カンパニー……いや、ホワイトシーフ商会の社是だ。同志よ、そうだろう?」
俺は思わず頷いた。だが、この状況でいったい何を……?
ライナがはっと何かに気づき、小さく微笑む。
「そうね……なんとかなるかもしれない」
不安げに振り向いたティナに、優しい視線を送った。
***
──おかしい。おかしい! おかしい!!
パルマンは制御を失った竜巻を前に、杖をめちゃくちゃに振り回していた。
「解除……解除だ!
くそっ、なんで止まらない!?」
杖が手から離れない。衣装の解除もできない。
水晶球の光はランダムに点滅し、不穏な気配を放ち続ける。
冷や汗が止まらない。
死の予感に耐えきれず、口から嗚咽が漏れた。
「た……助けて……」
目の前の少女に向かって、か細い声を絞り出す。
だが、少女は悲しげにうつむき、ただ首を振るだけ。
パルマンは目を閉じ、現実から逃れようとした。
(せめて……ミアちゃんの衣装姿、見たかったな……)
そのとき。
「いやあ、無茶な使い方をしますな。はっは」
場違いなほど軽い声が、背後から聞こえた。
「……!?」
振り返ったパルマンの目に映ったのは──上等なスーツに身を包んだ初老の男。
穏やかな笑みを浮かべながら、にこにこと杖へ手を伸ばしている。
「ドワーフの彼とは昔なじみでしてね。
このギアの開発にも少し関わったんですよ。懐かしいなあ」
懐から取り出した工具を、まるで自分の手足の延長であるかのように操る。
外装を鮮やかに外し、迷いなく実装部品の群れを目で走査した。
「ここですね」
小さく呟くと、リード線の一本へニッパーを滑り込ませる。
パチン、と軽快な音が響いた瞬間──
ブゥン……と低い唸りが消え、水晶球の光がふっと途絶えた。
そして、パルマンが纏っていた衣装は、きらめきの粒子となり空中で消失。
暴走は、あっけなく収束した。
初老の男は杖をひょいと取り上げると、にこやかな笑みのまま口を開いた。
「これ、私がお預かりしてもよろしいかな?」
パルマンは、ただ黙って頷くしかなかった。
***
「魔王……」
絶句する俺の横で、ゼファスがクイっと眼鏡の位置をなおした。
「魔王様は魔王カンパニーの創立者にして、初代チーフエンジニアだからな。
……なあ、ライナくん」
ライナもゆっくりと頷く。
「ええ。まだまだ健在じゃない。
こっちの方も手伝って欲しいくらいよ。忙しいんだから」
「そりゃいい!」と、ドランが嬉しげに声を上げる。
その声を聞きながら、俺とティナは同時に深い安堵の息を吐いた。