第07話 未来へ
身の丈を超える大剣と、重厚長大な両手剣が激しく交差し、火花が飛び散る。
鎧ごと両断できそうな一撃同士が、目では追えない速度で何度も行き交う。
冒険者の少年コリンは、呼吸も忘れてその光景に見入っていた。
戦いに興じる二人――カレン、そしてクラリス。
竜巻のような剣撃が続いたあと、ふいに両者は距離を取り、カレンは大剣を肩に担いでニヤリと笑った。
「こんな楽しい勝負は1億の首以来だよ。
王都の騎士ってのは、ずいぶん強いんだね!」
クラリスは呼吸一つ乱さず、静かに一礼。
そのやりとりに、アーサーが呆れ声を投げる。
「言っとくけどな、騎士が全員こんなんじゃないからな。
……ったく、どっちも化け物かよ」
クラリスが鋭い視線を向けたが、カレンは豪快に笑って受け流す。
アリサたちは合流後、ドワーフ商工会でゴーレムと完成間近の精霊炉を視察し、次にエドワルドの領内へと足を運んでいた。
その地で魔獣討伐隊を率いていたのが――S級冒険者カレン。
クラリスを一目見るなり強者の気配を感じ取ったカレンは、抑えきれぬ衝動のまま、ひと勝負を申し込んだのだった。
「オレには、“模擬戦”って聞こえてたんだけどな……」
ロイが肩をすくめてアーサーへ振り向くと、大げさなため息と共に同意のジェスチャーが返ってきた。
そこに、リリカが手を叩きながら割って入る。
「はいはい、そこまで!
カレンさん、お客さんに絡むのはやめて欲しいっちゃ。ほんと、すみませんねー」
頭を下げるリリカに、クラリスは静かに首を振った。
「いえ、このような武人と手合わせできるとは光栄です。
ましてや――魔導ギアの力もお持ちとか……。これがまだ本気ではないとは、とても信じられません」
カレンは大剣を軽々と振り、ニカッと笑う。
「ははっ! さすがに人間相手には使わないよ。危ないからね」
その言葉に、見物していたセラの口元が引きつる。
そして、傍らのミアにそっと語りかけた。
「……あれに私の両腕、消し飛ばされるところだったんだけど」
しかし、返ってきたのは「ふーん」という気のない相槌だけだった。
リリカは、あらためて訪問者一同を見渡し、にこやかに説明する。
「皆さん、見てくださいよー。ここ、ついこの間までは荒地だったって信じられます? ねえ、エドワルド様」
一面の麦畑が、視界全体に果てしなく広がっていた。
名を呼ばれたエドワルドは、感慨深げに頷く。
「ああ……こんな景色は何年ぶり、いや、何十年ぶりか。
危険な魔獣はすっかりいなくなったし、農作業用の魔導ギアもセラちゃんのおかげで順調だ。
それに、エルフの国からは農業の守護精霊まで来てくれた。
今年は領民に、たらふく食わせてやれるぜ」
アリサは話を聞きながら、胸の奥がじんわりと熱くなるのを感じていた。
彼女の故郷の小村では、皆が朝から晩まで汗と土にまみれて働いても、収穫はほんのわずか。
だが、ここでは魔導ギアと精霊の加護によって、生産性が飛躍的に高まっているという。
――これが国中に広がれば……飢えに苦しむ人が、どれだけ減るだろう。
「……この国は、もう変わり始めているんだ」
アリサはリリカとエドワルドへ向き直った。
「あの……私の知り合いに、セロって子がいます。契約労働者で、いつもお腹を空かせているのに、それでも必死に頑張っていて。そういう子が、たくさんいるんです」
その言葉に、エドワルドの顔が翳る。
封建貴族の一員として、この国に蔓延る貧困と不平等の責任を感じていたのだ。
アリサは静かに、しかし揺るぎない声で言葉を重ねた。
「私が戦う理由は、それをなんとかしたいと思ったからです。……そして、その答えがここにも、ドワーフ商工会にもありました」
そう言って彼女は振り返り、両手を大きく広げた。
爽やかな風が頬を撫で、黄金色の大地が果てしなく陽光にきらめく。
まるで世界そのものが希望の光に包まれているかのようだった。
アリサはその眩しさに瞳を潤ませながら、その先の未来を見ていた。
「精霊さんの力を正しく使えば、こんな世界が実現できるんですね!
私、この国の現実を知ったときは絶望しました。でも、諦めなくて良かった……きっと、契約労働者の問題も解決できる。いまはそう確信しています」
気づけば、アリサだけでなく、騎士団の仲間たちも皆、その言葉に深く頷いていた。
エドワルドは腰に手を当て、目の前の少女の背に声をかける。
「そうかい。なあ、騎士のお嬢ちゃん……アリサって言ったな」
アリサは、ひらりと振り返り、元気よく答えた。
「はい! アリサ=グランフィールです!」
――王都騎士団を抜けて、この国を変える。
以前のエドワルドなら、正気の沙汰じゃねえと相手にもしなかっただろう。
だが、彼もまた変革の渦に身を投じていたのだ。
もはや迷いはなかった。
「あの世に行くまでに、やることが増えちまったな……」
ボソリと呟き、エドワルドはアリサをまっすぐ見据える。
「これからマルグリットのところに行くんだってな。ワシも力になろうじゃないか」
「え? 本当に……!?」
アリサの顔がぱっと明るくなる。
「ああ。ちょうど本家に用もあったしな」
そう言って、エドワルドはリリカに視線を送った。
「そういうわけで、留守中は頼んだぜ。まあ、こいつがあれば指示も出せるしな」
そう言って、目線を高く上げた。
***
上空には鳥のような魔導ギアがゆっくり旋回している。
聞けば、農薬散布から静止画像撮影――土中の魔導ギアともリンクして作物の生育状況を遠隔からモニタリング可能とか。
すべて、ドワーフ商工会と魔導技師ライナのもたらした技術だ。
リュシアンが感嘆の声を上げる。
「こんなことまでできるなんて……これが、魔導ギア……」
ドワーフ商工会ではゴーレムにも驚かされたが、見るものすべてが彼の想像を超えていた。
そこにミアがすかさずアピール。
「魔導ギアもすごいけどさー。
それを動かしてるのは精霊契約術式。つまり、あたしのおかげってわけよ」
「さすが、先生ですね!」
憧れの眼差しを向けられ、ミアは満足げにうんうん頷いた。
だがすぐ横から、セラの冷ややかな声が飛ぶ。
「ミアさん、あなたね。ここで働いてるのは私とリサさんでしょう? ……それに、“先生”って何のことですか」
ミアは得意満面に胸を張り、ペラペラと喋り始めた。
「あー、この子ね、精霊契約術師志望なの。
あたしほどじゃないけど、まあそこそこ有望株ってやつ?
で、センセーから“どうしても教えてやってほしい”ってお願いされちゃってさー。
ほら、一番弟子だし〜。頼られちゃうわけ!」
セラはじっとリュシアンを見つめ、細い目尻をふっと緩める。
今度は優しい声で、さりげなく切り込んできた。
「そう……でもね。ミアさんに教わったら、見た目だけの効率の悪い魔法しか覚えませんよ?
魔法というのは、少しの労力で最大の効果を引き出すもの。……そうは思いません?」
「は、はあ……」
返答に詰まるリュシアンへ、さらに畳みかける。
「リスティア様も、他に人がいなかったから任せただけでしょう。私に言ってくれれば……。
“自称”じゃないほうの一番弟子の私が、手ほどきしてあげますよ」
「ちょ、ちょっと! 何勝手なこと言ってんの。こいつは、あたしのだから!」
そう言い放ったミアの動きが、ピタリと止まった。
セラも同じものを感じ取っていた。
――眼鏡の奥、翠の瞳から放たれる視線。
「……ねえミアさん。気のせいかしら? あの人から……ものすごい殺気が出てるんだけど……」
脂汗を浮かべ囁く。
ミアも青ざめ、引きつった笑みで小声を返した。
「え……あ……うん。ねえセラ、やっぱり代わってあげても……いいかも……なんて」
「あ〜〜〜っ!! そうそう、仕事仕事!」
ミアの声をかき消すように、セラは大声を張り上げる。
そして振り向きもせず、そのまま駆け去っていった。
「あ……ちょっと……」
ミアが情けない声を漏らしながら追おうとした、そのとき。
背後から肩をがっしりと掴まれ、動きを封じられる。
「ねえ、先生……。少しお話しません?」
ゆっくりと振り向いた先には、穏やかな笑みがそこにあった。
***
クラリスはセリーナと向かい合い、互いに騎士団式の敬礼を交わす。
「では、ベアトリス殿によろしく伝えてくれ。ここまでの支援、感謝する」
エドワルドの出立準備が整うまで、アリサたちはここに滞在することになった。
だが、セリーナとリュシアンは王都へ帰還する時がやってきていた。
「はい。教官もご武運を。
私たちの道は違えど、志は同じ……ベアトリス様の言葉です。
この国のために!」
その力強い言葉に、騎士団員一同は剣を掲げ、空へと突き上げた。
そして、別れの言葉が交わされていく。
アリサはリュシアンに優しく語りかけた。
「ねえ、フレッドさんにもすごく感謝してるの。
私、何も恩返しできなくて……だから、リュシアンにお願いしていいかな?」
リュシアンはこくりと頷き、そっと右腕を差し出す。
そこには手作りの腕輪があった。
アリサはゆっくり瞬きをして、自分の腕にある同じものへと指を滑らせる。
「うん……リュシアンのお姉さんの夢、私がんばって叶えるから。
正義の騎士になるんだ。約束するね」
そう言って、大輪の花のような笑顔を見せた。
「リュシアンは、自分の道を進んで。
セリーナ先輩が一緒だし、心配してないよ。
それにミアさんもいるから……きっと、すごい魔法使いになるんだろうな。楽しみだよ」
そこにロイが加わる。
「元気でな、リュシアン。……お前がいないと寂しいぜ、本当に」
三人で肩を寄せ合って過ごした日々が、胸に去来する。
目頭が熱くなり、言葉が続かなかった。
リュシアンは二人を交互に見つめると、そのまま強く抱きしめた。
小さな肩が、かすかに震えている。
「……生きてくださいね。何があっても。また会えるって……信じてます」
アリサもロイも、何度も頷きながら――溢れる涙を止められなかった。
こうして、それぞれの戦いへと歩み出していく。
彼らが再び巡り合う未来は訪れるのか。
ただ、静かに見守る精霊のまなざしだけが注がれていた。