第06話 内緒話
王都騎士団では、団長ガーランドの命による、上級騎士を対象とした緊急通達が布告されていた。
会議の招集ではない。命令書だ。
クラリスたちの全滅を大義名分に、盗賊団討伐のための強権が発動されたのだ。
そしてその命令書を携えて、ベアトリスの執務室を訪れたのは――団長付き秘書官、セルジュだった。
猫背をさらに丸め、目を前髪で隠しながら、彼女は机上に書類を差し出す。
「…………で、……………が……………です、はい」
消え入りそうな声。
隣に控えるミレーヌには、ほとんど内容が聞き取れなかった。
だが、ベアトリスは静かに頷く。
「ええ、分かりました。ご苦労さまです」
――どうやら、伝わっているようだった。
「……じゃあ」
退室しかけたセルジュを、ベアトリスはやさしく呼び止める。
「セルジュさん、ここが最後のお届けでしょう?
少しだけお話していきませんか?」
「…………え? い、いいんですか? わ、私なんかが……その……ベアトリスさんと……」
なぜか耳まで真っ赤にして動揺している。
「ええ、もちろん」
ベアトリスはふっと笑みを浮かべる。
「ミレーヌ、お茶をお願いできるかしら?」
――その一言で、部屋の空気はすっと和らいだ。
***
応接ソファーにベアトリスとセルジュは向かいあって座る。
ミレーヌはベアトリスの背後で直立の姿勢で控えた。
「……そうですか、セルジュさん、お芝居が好きなんですね」
セルジュは目を泳がせながら、囁くように話す。
「は、はい……わ、私、学生のときは演劇部で……その……台本とか書いてて……へへ」
ベアトリスは相槌をうちながら、軽く頷いた。
「それで……。あなたの書類は言葉が正確で整理されているわ。文には人柄がでるものね」
ぱあっと顔をほころばせるセルジュを、ベアトリスの背中越しに眺めながらミレーヌは考える。
――上級騎士の中でも、彼女は異色だ。
クラリスの訓練には一日も耐えられず、半月も寝込んだという。
それでも筆記の成績と家柄を考慮され、経理として採用。
秘書官に抜擢されたのは、特別優秀だったからというより……強面なガーランドに歴代秘書官が潰れ、回りまわって仕事が降りてきただけのこと。
だが彼女はその圧を受け流すように気配を消し、粘り強く仕事をこなした。見た目によらず、したたかというべきだろう。
しかも、その中で意外な才能を開花。
属人化していた団務を整理し、流れを組み立ててマニュアル化――業務効率は三割も改善したという。
脚本と舞台進行……それがセルジュの真価ということか。
「ベアトリスさんに褒められるなんて……う、嬉しいです。
わ、私……本当は劇作家になりたかったんです。
でも、そんな不安定な仕事はダメだって……うちの親、すごく頭が固くて……」
――打ち解けてきたのか、いつの間にか悩み相談になっていた。
そしてミレーヌは、セルジュのあまりの人畜無害さにすっかり毒気を抜かれていた。
ガーランド派を排除し、騎士団を改革する――その志に揺らぎはない。
だが、彼女と剣を交える未来は……どうしても現実味が伴わなかった。
セルジュは、ボソボソと言葉を継ぐ。
「団長は……ちょっと顔が怖いんですけどね…………内緒ですよ、へへ。
でも……私みたいなのを拾ってくれたから……感謝してるんです」
ベアトリスは一瞬ためらい、複雑な表情を浮かべた。
「そう……ですか。では、この話はお互い内緒ということで。
私は、今回の派兵については反対――と言ったら、どう思います?」
きょとんとした顔でセルジュはベアトリスを見つめた。
「……私も、戦いは好きじゃないです。けど……クラリスさんが、かわいそうで」
その名が出た瞬間、ベアトリスとミレーヌは同時にピクリと反応する。
だが、セルジュは気づかないまま続けた。
「わ、私……訓練は全然ダメでしたけど……クラリスさんは颯爽としていて……まるで物語から抜け出してきたみたいで……。
あんな強い人が負けるなんて……」
俯きがちにポツリポツリ。声は小さいが、悔しさが滲んでいる。
「盗賊団……きっと、汚い手を使ったんです。そうに決まってます……。
……だから……団長からも、これ以上の被害を出さないためにも“手段を選ぶな”って…………ほんとは、あの人たち……怖いし……嫌なんですけど……」
「…………………………………です」
最後の一節は、あまりに小声で、ベアトリスとミレーヌにも聞き取れなかった。
そしてセルジュは、ハッとしたように顔を上げる。
「あ……これ、極秘任務なんです。…………内緒……ほんと、内緒ですよ」
右手の人差し指を立てて唇にあてると、いたずらっぽく微笑む。
そして立ち上がると、
「……ベアトリスさんとお話できて……楽しかったです……ミレーヌさんも……お茶、ごちそうさまでした」
頭を下げ、そそくさと退室。
その背中は小さく丸まり、頼りない姿が、かえって二人の胸に深く残った。
彼女の姿が消えた後、ベアトリスはミレーヌと顔を見合わせる。
しかし、ふたりとも言葉が見つからず、ただ沈黙だけが室内に落ちていた。
***
その翌日――セルジュの姿は都市ラドリアにあった。
ギルド長室に通され、所在なさげに座る彼女の前に、グレイスがドカドカと入室。
向かい合うソファーにその巨体を沈めると、悠然とした眼差しをセルジュに投げかける。
「確認したよ。だけど、聖剣がないじゃないか。
……人にものを頼むのに、ずいぶんケチくさいねえ。あれがあれば、こんどこそ首を取れるってのにさ」
「……聖剣……っ……は……あ……………です」
すっかりグレイスの気迫に飲まれたセルジュは、ほとんど声にならない。
グレイスは鼻を鳴らす。
「ふん。でもまあ、一級兵装が五種……。
せっかくの魔導ギアも、精霊エネルギーがなくちゃ、騎士団にあっても宝の持ち腐れだからねえ」
「は、はは……はい。
それで……これ、納品書……です。受領書……サインを……………」
おずおずと書類を取り出すセルジュを横目に流し、グレイスは傍らに控えるエミリアを見やる。
エミリアは、受け取った受領書にサラサラとペンを走らせながら穏やかに言葉をかけた。
「一級兵装……旧式技術とはいえ、さすが騎士団ですね。品質は段違いです」
セルジュは、人当たりの良さそうなエミリアを見て一息つく。
「は、はい……で、その……これも中位精霊クラスのエネルギーじゃないと動かないとかで……この前は……その……あんな使い方をされると壊れちゃうらしいので……よくわかんないですけど……その……です」
レオンが聖剣を使用した際は、下位精霊から無理にエネルギーを絞り出していたのだ。
エミリアは苦笑する。
「効率が悪いのは同じなんですね……最新のギアはずいぶん改善されているらしいですが。
まあ、いまの王国の技術では無理でしょうけど。
大丈夫ですよ。邪神カンパニーと契約できていますから……ですよね」
にこやかに言いながら、エミリアは視線でグレイスに同意を促す。
「そういうこと。連中の精霊炉を使えば問題ない……ただし、費用は請求させてもらうよ」
その言葉を待っていたように、エミリアはすかさず1枚の紙を差し出す。
それをまじまじと見たセルジュは……。
「………!!
あ、あの……これ、ゼロが……ふ、ふたつ……いや、三つは多いんじゃ……ないか……と……」
グレイスが愉快そうに喉を鳴らして笑う。
「しみったれたこと言うんじゃないよ、天下の王都騎士団様が。
はした金じゃないか。……ま、ヴァルトともよく相談するんだね」
その名前に、紙から目線を上げたセルジュが疑問を投げた。
「ヴァルト様……が……ですか?…………どうして?」
グレイスは気勢を削がれたような声で応じる。
「どうして……って。あんた秘書なんだろう?」
「は、はい……ヴァルト様はよくいらっしゃいますが……その、私にも紳士的で……立派な方だなって……それで」
言葉の最後はグレイスの爆笑にかき消された。
「ご立派ときた。確かに立派な悪党さね。
……ああ、もういいよ。とにかくガーランドにそう言えばわかるから。使い走りのお嬢さん」
片手をヒラヒラさせ、煙管に火をつける。
話は終わり。その合図だった。
セルジュはエミリアに促され、背中を丸めて退室。
そのままギルドの玄関口まで案内されると頭を下げた。
「あ、あの……よろしくお願いします…………その……うう……」
エミリアは小首をかしげ、「何か?」と問いかける。
ちらりと上目遣いに、意を決したように――しかし、か細く声を発する。
「さっき、悪党って…………あれは……どういう……?」
穏やかに、エミリアはくすりと笑う。
「あれはギルド長の言葉のあやです。お気になさらずに」
しかし、少しだけ口角を上げてセルジュの耳元で囁く。
「正義にはいろいろと出費がかかりますからね」
前髪の奥でセルジュの瞳が揺れる。
「そ、そそ……それって……」
しかし答えはない。
「内緒です」
エミリアは、「でも……」と呟きながら、懐から1枚の写真を取り出した。
撮影や通信が制限されている王国内では貴重だ。
「私、この人を探しているんです。王都でもし見かけたら教えていただけません?」
そう言って指をさしたのは、制服をゆるく着こなして気の抜けたような表情を浮かべる女性――ミア。
盗賊団の砦を襲ったA級冒険者パーティが、カレンとレナのふたりに撃破されたところまでは黒い精霊を通じて情報を得ていた。
しかし、その後の行方が分からない――盗賊団に捕らえられているのか、どこかを放浪しているのか……。
「セルジュさんが協力してくれるなら、私もいろいろと教えてあげますよ。ね?」
「……い、いろいろって……な、何を……」
その問いかけにも答えはない。
ただ、にっこりと笑うエミリアの前で、弱々しく頷くことしかできなかった。