第02話 冒険者アリス
アリサたちは、計画どおりリエンツ地方に差し掛かる境で、王都騎士団への定期連絡を絶った。
その後の行軍は、できるだけ目立たぬよう各々が散開。そして、ひとまずの集合地点――ヴィエール一族が駐屯する国境警備隊の基地で再び落ち合う手筈となっていた。
離脱メンバーは、名目上とはいえ討伐隊の指揮官を務めるクラリス。
それにアーサー、カイン、ロイ、アリサを加えた五名である。
アリサはカインとペアを組み、目的地へ向かう。
道中の危険を考慮し、新兵と先輩を組み合わせる形だ。
ロイはアーサーと行動を共にしている。
そしてクラリスは――。
「一人で十分すぎる」と、全員が納得するほどの戦闘力だった。
***
とある小村の通りを歩きながら、アリサは隣のカインに声をかけた。
「なんだか、盗賊団って不思議な人たちですね。評判がバラバラで」
カインは何も言わず、ただコクリと頷く。
潜伏中とはいえ、道中ではできるだけ耳を澄ませ、現地の声を拾うようにしていた。
その話は――王都では得られない、両極端なものだった。
「ある村では、モヒカン頭と鉄仮面にひどい略奪を受けたって。
でも別の村では、援助物資のおかげで冬を越せたって感謝されていて……。
いったい何が目的なんでしょうか」
アリサは小首をかしげる。
「それで――“モヒカン”って、どういう意味なんでしょう? この地方の風習かな」
カインは曖昧な表情を浮かべ、言葉を探した。
だが、その答えを待つより早く、アリサはまた自分の言葉を重ねていた。
彼は感情表現も口数も少ない。
だが、決して冷たいわけではない――それは一緒に過ごすうちに、アリサにも分かってきていた。
だから最近は、会話が成立しようがしまいが、気にせずに話しかける。
むしろ、その沈黙すら安心できる空気の一部になっていた。
「で、ブラック冒険者ギルドの方があくどいって噂も耳にしました。
冒険者さんって、本当はお宝を目指して夢とロマンを追いかけるものですよね!」
グッと両手を胸の前で握りしめ、無邪気な笑顔を見せるアリサ。
「でも……そのせいで私たちまで変な目で見られちゃうし……ほんと、迷惑です」
封建貴族領を自由に行き来できるのは、基本的に商人か冒険者。
だがアリサたちは商人にしては不自然すぎる。
そこで“冒険者”という設定で行動していた。
「……冒険者、か」
カインがぽつりと呟く。
「そう、冒険ですよ!」
アリサは食い気味に被せ、輝く目で言葉を続けた。
「私、騎士の物語と同じくらい、冒険者のお話も大好きなんです!
知ってます? 『ヌルッポと深き迷宮』シリーズ……」
矢継ぎ早にまくし立てるアリサ。
カインは黙って頷くだけだが、その瞳はどこか遠くを見つめていた。
そのとき、不意に背後から声がかかった。
「あんたたちが……魔獣討伐の人かい?」
振り向けば、土のついた手ぬぐいで額を拭う農夫らしき中年男。
彼は遠慮なくアリサたちを上から下まで値踏みするように眺めていた。
「兄さんのほうは強そうだが……お嬢ちゃんで大丈夫かい? けっこう凶暴なやつなんだぞ」
「えっ……?」
アリサはキョトンと目を丸くする。
「あの……何か?」
「何かって、あんたら冒険者なんだろう? ホワイトシーフ商会とかいうところに討伐を頼んであるんだが」
聞いたことのない名――おそらく地場の冒険者組合だろう。
だがどうやら、男はアリサたちを依頼先と勘違いしているらしい。
カインが「いや、俺たちは――」と言いかけた、その瞬間。
「あ、はい! そうです!」
アリサが元気よく被せた。
「“冒険者の”アリスって言います。こっちは兄のカイル。よろしくお願いします!!」
ぱあっと花が咲くような笑顔で、ペコリと頭を下げる。
ご丁寧に、用意していた偽名まで忘れずに口にしたのだった。
農夫の男は「おお、やっぱり来てくれたか」と安堵の息を漏らし、嬉しそうに手を合わせる。
「ありがたい! じゃあ、さっそく来てくれ」
そう言って先導するように歩き出した。
呆気に取られて男の背を見ていたカインは、そっとアリサへ振り向く。
だが彼女はサッと目をそらす。
「……俺たちは寄り道している余裕はないんだがな」
ぼそりと呟くカインに、アリサは悪びれもせず口を尖らせた。
「だって、人助けも騎士の務めですよ。
それに……本当に冒険者として活躍できるなんて! 少しワクワクしませんか!? 」
後半、本音がダダ漏れになっていたが――そういう性格だった。
カインは小さくため息をつき、観念したように歩き出した。
***
聞けば、魔獣といっても相手は野生の狼に近い存在で、集団で現れては村の家畜を襲っているという。
村人にとっては死活問題だが、大規模な脅威というほどではない。
アリサはクラリスの訓練を受けて、体力も筋力も以前とは比べ物にならないほど鍛えられていた。
しかし――模擬戦以外で刃を振るうのは、これが初めてだった。
一方のカインはというと、王都近隣での魔獣討伐任務をいくつも経験している。
「本職の冒険者ほどじゃないんだがな……」と本人は遠慮がちに言ったが、その剣の腕は騎士団の中でも確かな評価。
アリサにとっては、頼もしい存在だった。
二人はまず、村人の協力を得て柵の強化に取り掛かり、落とし穴や杭などの罠の設置を行う。
相手の数が多く、こちらは少数。できるだけ被害を抑えるように守りを固める必要があったのだ。
「冒険者さんのお仕事って、思ったより地味ですね……」と、アリサは早くも事前イメージとのギャップに戸惑っていたが、現場とはそういうものだというカインの言葉に納得はした。
華々しく剣を振るうだけが仕事ではない。それは騎士も同じだったからだ。
なんだかんだで準備には3日ほどかかり……終えたあたりで、村の中が騒然としていることに気付いた。
不意に、ドカドカという足音とともに大男がアリサの目の前にあらわれる。
「おい、この仕事はワシらのやで。お前ら何者や!?」
王都でも、ここまでの道中でも見たことのない独特の恰好だった。
素肌に鋲付きの革ジャン。胸板は厚く、眼光は鋭い。
カインは静かに「あれがモヒカンという髪型だ」とアリサに教えた。
***
「ねえ、もういいじゃん、モヒカン。魔獣討伐やってくれるっていうなら、任せても」
モヒカンの傍らにいた女性が面倒くさそうに声をかける――こちらも見たことのない恰好だった。
「黙っとれ、ミア。
なあ、お嬢ちゃん。勝手な割り込みはいかんのよ。それに、あんたみたいなのが魔獣と戦うのは無理やで。ケガするまえにやめとき」
そういって、釘バットを無遠慮にアリサに突き出す。
アリサは少しカチンときた。
「私たちも、困っている村の人たちを助けたいんです。それに、こう見えても騎……」
騎士という言葉を寸前で飲み込んだ。いまは潜伏中なのだ。
「……こう見えて、けっこう強いんですよ! ねえ、兄さん」
と、カインに話を振った。
カインは、はあ……と息をつくと、モヒカンに向かって言葉をかける。
「あんたたちの仕事に割り込んだことは悪かった。ただ、妹の言う通り魔獣被害はいつ再発するかわからなかったからな。緊急の措置として手を貸していた」
ミアは、柵や罠の配置などをちらりと見やると、気だるそうにモヒカンに声をかける。
「けっこう手慣れてるじゃん。素人には見えないかな。
それに、この兄さんはけっこうできるよ。女の子の方は……まあ、戦闘はやめといた方がいいと思うけど」
その言葉にアリサは思わず頬を膨らませる。
「確かに、まだ私は強くないですけど……。ホワイトな――そう、ホワイト冒険者なんです!」
モヒカンがピクリと反応し、口を開く。
「おい、それは――」
だが言葉は、腹の底を揺らすような唸り声にかき消された。
森の闇の向こう、いくつもの赤い光点が揺れている。
「チッ、話は後回しや。
おい、やる気あるのはいいけどな。邪魔するんやないで!」
そう言ってモヒカンは駆けだす。
カインは思わず声をかける。
「おい、一人で突っ込むと危険だ!」
あっと言う前に5~6頭の狼のような魔獣に取り囲まれるモヒカン。
だが、ミアはあいかわらず面倒くさそうな顔で眺めている。
「あれくらい、大丈夫だって~」
そして、アリサは信じられない光景を見た。
モヒカンが釘バットを大振りするたびに、魔獣が数メートルは吹き飛んでいた。
あの力、クラリス教官並みかもしれない。こんなに強い人がいるなんて……。
「はい、そこ、ぼーっとしない。
こっちに来たやつの相手は頼んだよ。いまから派手なのいくから」
そう言いながら、ミアは手にした杖をクルクルと回し、ビシッと構える。
次の刹那、村と森の間の平原に、巨大な炎の壁がゴウっと音をたてて生まれた。
――魔法!?
アリサは思わず声を漏らした。
リュシアンが操る風精霊のつむじ風とは比べものにならない。
炎の壁が轟音を立て、突進してきた魔獣たちの動きを一気に分断していく。
混乱した群れは、事前に用意していた罠に次々と落ち、杭にかかってのたうった。
その隙を逃さず、カインが鋭い剣技で立ち回り、一閃ごとに魔獣を退けていく。統制を失った群れは、彼の敵ではなかった。
アリサの前にも一頭が飛びかかる。
震える手で剣を構え、反射的に横薙ぎに払った。
毛が散り、魔獣が悲鳴を上げて退く。
胸の奥がどくんと高鳴り――彼女は初めて「生きた敵を退けた」という実感を味わっていた。
「おー、やるじゃん」
ミアの声がかかるが、耳の奥が心臓の鼓動であふれ、何も聞こえない。
そのままアリサは叫び声ともつかない気合いを発して、残りの魔獣へと駆けだしていた。