第23話 別々の道
王都騎士団。ベアトリスの執務室。
リュシアンは、ベアトリスからアリサたちの騎士団離脱計画を、セリーナとともに聞かされていた。
「現在の動きは、これまで慎重派だった私とフレッドさんの賛成もあり、派兵の方向でまとまりつつあります」
そう述べるベアトリスは、ちらりとリュシアンに目を向ける。
「彼らは表向き消息を絶ったあとも、フレッドさんを通じて連絡手段はありますが──」
言外の問いは、はっきりしていた。
──あなたは、どうするのか?
たしかにフレッド小隊の一員というだけで、彼らの行動に付き合う義理はない。
だが、心は、そう簡単に割り切れなかった。
ベアトリスはふっと微笑む。
「私は、たとえこの先、交わらなくなっても……彼らには、彼らの信じた道を進ませてあげたいと思っています」
──決めるのはあなた自身よ、と、静かに背中を押してくれている。
リュシアンは小さく頷いた。
ふと、隣にいたセリーナの視線を感じる。
そのまなざしは、何かを言いたげでもあり──でも言えない。
静かな葛藤を感じた。
そして、そんな彼女の様子をベアトリスは困った顔で見つめるのだった。
***
リュシアンは、中庭のベンチでアリサと並んで座っていた。
午後の光が優しくふたりを包む。
──まるで、あの日みたいだ。
かつて、アリサに姉の話をしたときと、同じ時間の流れをリュシアンは思い出していた。
「……ごめん、黙ってて。本当は私から言わなきゃいけなかったのに」
アリサは目を伏せる。
話せば、きっと理解してくれる。
でも、先の見えない道に、無理やり巻き込みたくはなかったのだ。
「最初は、騎士団にいてもできるって思ってた。でも、だんだんそうじゃないって感じるようになって……」
言葉を探す。
決して除け者にしようとしたわけじゃない。
むしろ、いつも心の支えだった。
それだけに、彼の将来を潰してしまうかもしれない……それが怖かったのだ。
「だから……リュシアンにも抜けてほしいなんて、簡単には言えなかった」
その顔を見て、リュシアンはふう、と息を吐いた。
「分かってますよ。怒ってなんかいません」
アリサは、ほっとしたように笑みをこぼす。
「よかった。私、嫌われたらどうしようって……」
胸に手をあてて、深い息をつく。
そして、ふとした疑問を言葉にした。
「でも、その話、ベアトリス様から聞いたって。
最近、教練の助手もやってたけど……。どうしてリュシアンなんだろ?」
──ドキリとした。
べつに、やましいことは何もない。
それでもなぜか、一瞬だけ答えに詰まる。
「いや、その……セリーナさんにも、いろいろ相談してて。
ほら、調査チームでずっとお世話になってたし、それでベアトリス様に声をかけていただいて……」
言葉はしどろもどろ。
アリサは、そんな様子に一瞬きょとんとしたあと、また笑顔になった。
「そっか。セリーナ先輩、優しいお姉さんだもんね。
いつもリュシアンのこと気にしてくれているし」
──姉、とは違う。
尊敬できる先輩。それは間違いない。
けれど、それだけじゃない何かがある気がして──
いつも気にかけてくれていることは、分かっていた。
……自分はどうなんだろう?
リュシアンは、少しばかり複雑な笑みを浮かべたまま黙る。
アリサは不思議そうに、そんな彼の横顔を見ていた。
***
そして、計画が全員に告げられた。
会議室に集められていたのは、あの日──王国の現実を突きつけられたときと同じ顔ぶれだった。
ただひとり、ミレーヌだけは特別任務で席を外している。
ベアトリスとフレッドの説明が一通り終わると、アーサーはリュシアンに声をかけた。
「で、お前はどうするんだ? 無理強いをする気はないぜ」
その言葉に、なぜかロイの肩がぴくりと揺れていた。
リュシアンは思う。
──決まっている。みんなと戦いたい。
だけど。
ちらとセリーナを見る。
彼女は目を伏せたまま、黙っている。
リュシアンがアーサーに視線を戻し、口を開きかけた、その瞬間──
「……行かないで」
セリーナの声が、ぽつりと響いた。
静まり返った会議室の空気が、その一言でわずかに震える。
「えっ」
ぽかんとするアーサーが、間の抜けた声を漏らす。
それは完全に予想外だった。
けれどセリーナは、構わず続ける。
ここで言わなければ後悔する──
「行かないで……私のそばにいて欲しい。
ごめんなさい。あなたがアリサさんたちと一緒にいたいのは、分かってる。でも」
掠れた声で、振り絞るように──翠の瞳がリュシアンの目をまっすぐに見ていた。
「私が、守るから。お願い……」
リュシアンは、ゆっくりと目を閉じる。
アリサには、姉の姿を重ねていた。
一緒に騎士になろうと誓った、遠い日の約束。
リュシアンは目を開くと、小さく告げた。
「……ごめんなさい」
セリーナは、うつむく。
だが──その言葉には、続きがあった。
「守ってもらうのは騎士じゃないから……一緒に戦いましょう、セリーナさん」
自分を必要としてくれる人がいる。
その人と、一緒にいたいと思った。理由は、それで充分だった。
──姉との約束……それは、もう果たされた気がしていた。
アリサとは離れていても、大丈夫。
でも、いま目に映る人は……その手を放したくない。
いつの間にかそう思ってしまっていた。
だが……。
言い切ったあとに全員の視線が集まっていることに気づき、とたんに顔が熱くなる。
そこにアーサーが、すかさず茶々を入れる。
「お前、そこは“ボクが守ります”って決めるとこだろ……照れてんじゃねえよ」
見ると、アリサとクラリスが口元を両手で押さえ、顔を真っ赤にしていた。
ベアトリスは(ミレーヌがいなくて良かった)と、密かに安堵する。
セリーナは、両膝に手を置いたまま、今にも消え入りそうだったが──
その口元には、たしかに微笑みが浮かんでいた。
***
クラリスが、大きく咳払いをして話を戻す。
「……それで、盗賊団討伐だが。
確かに、私からも団長に進言していたことではあり、話はまとまった。
新兵二名というのは厳しかったが……そこはなんとか」
その圧には、誰も逆らえない。見事に押し切っていた。
それに、国境警備の要を担うヴィエール家の人間が、まさか体制転覆を企んでいるなどとは想像もしていない。多少の違和感があったとしても、だ。
フレッドが苦い顔をして、アーサーに視線を向ける。
「マルグリット様への紹介状は、用意しておく。
……ただし、くれぐれも失礼のないように。あの方は気が強いからね。
後で僕が叱責されるのはごめんだ」
アーサーは挑むような目で見返した。
「何で俺を見て言うんだよ。心配なのは、アレだろ」と、横目でアリサを指す。
そのアリサは、リュシアンにニヤニヤと目線を送っていたが、自分が話題にされていると気づくと、ぱっと立ち上がった。
「はいっ。そのマルグリット様も、ホワイトな仲間にするんですよね!
任せてください!!」
両こぶしを胸の前でグッと握る。
「……本当に頼むよ」
フレッドは深く、重たく、溜息をついた。
そして──
精霊のまなざしは、物語の次なる段階を、静かに見据えていた。