第20話 豊穣の精霊
精霊は水晶球を通じて語りかける。
リスティアは耳を澄ませ、ふんふんと頷いていた。
「……おじさん、あんまり具合よくないの?」
ハルニーアは、少し悲しげに首を縦に振った。
この地の精霊と契約しているのは、彼女の家系。
特殊な契約術師の一家なのだそうだ。
本来は父親がその役目を担っていたが、体調を崩して最近になって彼女が継いだのだという。
──だから、あの男はハルニーアに執拗にアプローチをかけていたのか。
そして、精霊は案じていた。
押しに弱く、優しすぎるハルニーアに、この里の命運をひとりで背負わせてしまうことを。
俺はゼファスに声をかける。
「なあ、なんとかならないか?
俺個人的には、開発そのものに反対じゃないけど……やっぱり、こういうのは住人の意思を尊重すべきだろ?」
ゼファスは腕を組み、しばし考え込む。
「土地の権利は自治会の総意か……これはそう簡単には切り崩せないだろう。
反面、精霊との契約がハルニーアさん一人というのは、やはりリスクが大きい」
そして、俺の方を向いて続けた。
「対策としては──“多重化”だ。
精霊契約を特定の誰かだけに委ねない構造にする。
主導権はハルニーアさんに持たせつつ、権利を“貸し出す”のだ」
俺はその案を飲み込みながら、ハルニーアの方に向き直る。
「この地の精霊は、農業の守護精霊なんだよな。
だったら、その力を……他の土地にも“貸す”ってのはどうだろう?」
ハルニーアはまばたきをして、ぽつりと聞き返した。
「……“貸す”? 精霊様の力を、よその土地に?」
「そう。俺たちのところにも、荒れ果てた農地がある。
精霊の力があれば、立て直せる。そうすれば多くの困っている人が助かると思うんだ」
俺は言葉を重ねる。
「もちろん、きちんと契約を結んで、対価も支払う。
期間を区切ってもいい。だけど、その間は農業以外の目的で精霊の力を使えないようにする。
つまり──双方に“拒否権”を持たせるってことだ」
ゼファスも補足する。
「これなら、一方的に乱開発されるリスクはなくなる。
しかも、外部業者が入る余地もほとんどない」
ハルニーアは、水晶球を見つめる。
すると、水晶球が淡く光る。
リスティアがにっこりと笑う。
「精霊さん、いいって言ってる。
“自然の恵みを必要としてる人たちに、力を分けるのは、悪いことじゃない”って」
ハルニーアの瞳が、ほんの少し潤んでいた。
「……父に相談してみます。きっと、里のみんなも納得してくれると思います」
その言葉に、俺は静かに頷いた。
***
俺たちは予定を変更し、しばらく里に留まって説得活動にあたることにした。
幸いにも、リスティアの母が賛成してくれて、ハルニーアと一緒に住民への説明に協力してくれた。
何よりも──当の精霊が乗り気だったのが、いちばん大きい。
おかげで、住民の総意を得るのは思ったよりも難しくなかった。
……ちなみに。
リスティアは外の世界では名の知れた存在なのだが、ここでは完全に“地元の子ども”扱い。
お世辞にも、説得戦力としては期待できなかった。
しかし契約内容はまとまり、帰還ついでにWSO本部での登録申請を行うところまでこぎつけることができた。
俺たちは、ハルニーアを伴い、再びローカルバスに揺られてWSO本部へと向かっていた。
***
「いやあ、有意義な滞在だったな、同志」
隣でゼファスが満足げにそう言い、俺もコクリと頷いた。
エルンハルト領の振興に向けた布石も打てたし、WSOへの申請も順調。
成果を持ち帰れるというのは、やはり気分がいい。
リスティアはというと、袋菓子をボリボリ食べながら、ハルニーアと楽しそうに話していた。
完全に遠足気分だ。
そして──ひとりだけ、頭を抱えるのがミレーヌだった。
理由は簡単。
ベアトリスへの定期報告を、まるっと忘れていたからだ。
そもそも、エルフ国から王都騎士団への連絡手段などないのだが。
そんなことは俺の知ったことではなかった。
まあ、これまで好き勝手やってきたわけだし……少しは反省してもらいたい。
だがそんな俺の思いなどどこ吹く風で、彼女はむしろ開き直ったように言い放つ。
「契約労働者の件、ちゃんと頼んだわよ!?
その条件と引き換えに、王国代表としてWSOに同行してもらう──って、そっちがお願いしたってことにしておくから!」
……いや、なんで俺たちが“お願いした側”になってるんだよ。
というか、その設定、穴だらけすぎるだろ。
──こいつ、基本ワガママだったな。
そんなやり取りの最中、バスは山道に入り小さな停留所に差しかかる。切り立った崖沿いの一本道だ。
数人の男たちが乗り込んできた。
その顔を見た瞬間、ハルニーアの表情が凍りついた。
「いやぁ、困るんですよねぇ。
後から来て、勝手に話を進められちゃうのは」
のらりくらりとした口調で近づいてきたのは、例の不動産会社の営業。
その背後には、いかにも取り巻き然とした男たち。
──里から距離を取ってきたのは、リスティアの母を避けるためか。
俺は一応、無視を決め込むことにした。
WSOへの正式登録が完了すれば、こいつらは何もできない。
……そのはずだった。
「ねえ、ハルニーアさん。
こっちは礼を尽くしてたのに──ずいぶん舐めた真似してくれるじゃないか。
今からでも考え直しちゃくれませんかね?
……そうじゃないなら、あんたの親父さん、少しばかり心配ごとが増えるかもなぁ?」
ハルニーアが、小さく肩を震わせた。
俺は、静かにため息をついた。
──まったく、いつの時代の地上げ屋だよ。
とはいえ、ハルニーアを狙われたとなっては、黙ってるわけにもいかない。
俺はリスティアに目をやった。
……案の定というか、もうやる気満々だ。
バッグの中をゴソゴソ漁って、すでに杖を取り出しかけている。
俺は一応、穏便に済ませるつもりで声をかけた。
「なあ。ビジネスってのは、あくまで双方の合意があって成り立つもんだろ?
そっちの思い通りにならなかったからって、逆恨みで脅すのは筋が違うんじゃないか?」
男は一瞬こちらを睨んだあと──薄く笑った。
「こんな山奥で余所者が数人いなくなるってのもいいな。あの田舎エルフも、少しは空気を読むようになるんじゃねえか?」
そう言って、男は懐から短刀を抜く。
刃は鈍く光り、ただの脅しにしては不穏な気配を放っていた──魔導ギア、か。面倒なことになった。
俺は、ミレーヌがムキになって飛びかからないよう、そっと手で制した。
──だめだな、これは。
そう判断して、俺はリスティアに声をかける。
「なあ、車内でぶっ放すのはナシな。……他に手はあるか?」
リスティアは、にこりと笑った。
「たしか……あなたたちの事務所、この先の町外れだったよね?
ここにいるのが“全員”ってことでいいのかな?」
男の顔に、明らかな「?」が浮かぶ。
彼女はゆっくりと杖を構え、水晶球にそっと触れる。
「今は中位精霊さんの力が使えるから……。
ゼファス、120万Gの稟議、とおる?」
けっこう高ぇな。
ちらりとゼファスを見ると、無言で頷いていた。
俺は、はぁ、と息を吐いた。
「仕方ない。一撃で決めてくれよ?」
俺の言葉が終わるより早く、車内の空気がピンと張り詰める。
窓の外、空が急速に暗転し、黒雲が渦を巻く。
そして──リスティアの身体から立ち上る、圧倒的な魔力の奔流。
「私ね……怒ってるんだよ」
声は静かだったが、凍るように冷たい。
「精霊さんたちを道具みたいに扱う、邪神カンパニーのやり方。
ユリィのこと……そして今度は、私の友達を脅して……」
ゆっくりと目を閉じる。
その表情は穏やかで──それゆえに、底知れぬ怒気が滲んでいた。
そして、スッと杖を軽く横に払う。
静寂を切り裂くように、遠くの空が白く閃いた。
続けて数秒後──
ドンッ!!
腹の底に響くような重低音が、車体を震わせた。
リスティアは、そっと目を開けると、わざとらしく呟いた。
「山の天気は変わりやすいからね〜。
あの雷、たまたま事務所に落ちてないといいけど……自然って怖いね?」
挑発的な笑みを男に向ける。
男は、一瞬呆けた顔をしたが、すぐにカッと目を見開き、リスティアに掴みかかろうと身を乗り出した。
だが次の瞬間、彼女がまたしても軽く杖を振ると、男と取り巻き連中は車内から姿を消す。
そして、窓の外から風に乗って悲鳴が聞こえた。
思わず目をやると……そこには谷底に向かって落ちていく男たちの姿。
「まあ、死にはしないんじゃないかな〜。
こういうのって、木の枝に偶然引っかかって助かるとか……あるでしょ?」
ケロリとして言う。
……枝なんかなかったぞ。
それに、車外に放り出すなら雷は必要あったのか?
俺の湧き上がる疑問をよそに──
ミレーヌのキラキラしたまなざしを受けながら、リスティアは満足そうに菓子を頬張っていた。