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第19話 精霊の祠

俺たちは、翌日エルフの里を発つことにした。


リスティアの母は「もう一泊くらいどう?」と引き留めてくれたが──

さすがに、これ以上お世話になるのは気が引ける。


……ミレーヌも、ようやく“遠慮”という概念を思い出したようだった。


とはいえ、出発の前にやるべきことがあった。


この地を守護する精霊へ──

挨拶に行こう、という話になったのだ。


「挨拶か……予定してなかったな。手土産なんて、用意してないぞ」


俺がそう漏らすと、母はニコニコと新聞紙の包みを差し出してきた。


「うちで採れた野菜だけど……よかったら持っていって」


包みの中には、キャベツやらネギやら。

どう見ても、ご近所へのお裾分け感覚だが──まあ、心遣いはありがたい。


ともあれ、精霊を祀る祠へと向かった。


***


その祠は小高い丘の上にあった。

俺のいた世界で言う“小ぶりな神社”といった風情だ。

鳥居こそないが、木造の社に石畳と玉砂利が敷かれた境内があり、どこか凛とした空気をまとっている。


境内を、巫女装束を着たエルフの娘が、(ほうき)を手に静かに()いていた。


リスティアはその姿を見つけるなり、ぱっと表情を明るくする。


「ハルちゃん、久しぶり〜!」


「……あれぇ? リーちゃんだ。珍しいね」


エルフの娘──ハルと呼ばれた彼女も、こちらに気づいて微笑む。


リスティアより少し背が高く、すらりとした体型。

その物腰は柔らかく、まさに“聖域”にふさわしい落ち着きをまとっていた。


リスティアは軽やかに駆け寄り、新聞紙の包みを手渡す。


「ちょっと出張でこっちまで来たの。これ、お母さんから」


──なるほど、野菜はこっちへの土産だったか。


「この子は、ハルニーアちゃん。私の同級生だよ」


「……はじめまして」


ハルニーアはぺこりと頭を下げた。

俺たちも慌てて挨拶を返す。


「精霊さんも元気してるかな?」


リスティアがにこやかに尋ねると──

ハルニーアの表情が、ほんの少しだけ曇った。


「……精霊様は、お元気なんだけどね」


何か言いかけたそのとき──

背後から、妙に明るい声が響いた。


「こんにちは、いやぁ良い天気ですね!」


振り返れば、ピシッとスーツにネクタイを締めた男が立っていた。

満面の笑みをたたえているが──どこか作り物めいた空気がある。


ハルニーアはあからさまにげんなりした顔で言った。


「……いくら来られても、困ります。父からも応対しないように言われてますので」


それでも男は怯まず、笑顔のままじりじりと距離を詰めてくる。


「まあまあ、話だけでも。悪い話じゃないでしょう?

ここの精霊様は、かなりの力をお持ちだとか。

それを“有効活用”して、あなたたちエルフにも還元されるわけですから」


──“有効活用”。


その言葉に、リスティアの表情がぴくりと揺れた。


「精霊さんを“有効活用”? 私、そういうの、嫌いなんだよね〜」


珍しく、リスティアが怒っている。

どうやら、男は禁句を踏んだらしい。


しかし、男は笑みを崩さない。


「私はこちらのハルニーアさんとお話をしているんですけどね。これはビジネスですので」


ゼファスが見かねて口を挟んだ。


「ビジネスなら、なおさら相手への敬意が必要だ。

事情は知らんが──彼女が困っているのは明白だろう」


そこで男の空気が変わった。


「……おい、あんた誰だよ。仕事の邪魔するんじゃねえよ」


そう言って、ゼファスを下から睨みつける。


まずい。

いや──ピンチなのはゼファスの方じゃない。

こんな場所で即死魔法なんか撃つんじゃないぞ。


──そう思ったそのとき。


パチンッ。


小気味いい音が響いた。


振り返ると、ミレーヌが静かに剣を鞘に収めたところだった。


直後──男のベルトが切れ、ズボンがずるりと落ちる。


「……えっ?」


情けない声とともに、男が慌ててズボンを引き上げる。


「な、何を──!」


真っ赤な顔で怒鳴りかけたその瞬間。

ミレーヌが、ひとつ前へと踏み出す。


「あなた、さっきから勝手に割り込んできて──

相手の意志も聞かずに強引な話ばかり。感心しませんね」


……いきなり剣を抜くとは。

どうして王国は盗賊から騎士まで血の気の多いやつが揃っているのか。


ミレーヌは毅然と言い放った。


「まだ続けますか?」


しかし、男もただの営業ではないようだった。

手が懐に動き──場が緊張に包まれる。


そのとき──


「あらあら。下位精霊さんが騒ぐから、何かと思ったら……」


のんびりとした声が、背後から響いた。


現れたのは、買い物袋をさげ子どもと手をつなぐ、いかにも近所のスーパー帰りの主婦──

リスティアの母だった。


だが、男の顔から血の気が引くのがはっきりと分かった。


リスティアの母は、ゆったりと歩み寄りながら、柔らかな声で言葉をかける。


「まあ、あなた……」


目を細め、あくまでにこやかに。


「この地区は訪問セールスお断りって、このあいだ教えてあげたでしょう?

……忘れちゃったのかしら?」


小首をかしげるその仕草は穏やかだ。


男は脂汗を浮かべ、しどろもどろに言い訳を始めた。


「い、いえ……本日はあくまでセールスではなく、ビジネス提携の打診でして……!」


彼女は微笑みを崩さず、なおも追撃する。


「それも、自治会の総意が必要だって言ったわよね?

……忘れちゃったなら、また“あれ”が必要かしら」


「い、いえっ!もちろん覚えておりますともっ!本日は──失礼いたしましたッ!」


そう叫ぶようにまくし立てると、男は脱兎のごとく坂道を駆け下りていった。


……“あれ”って何だ?


俺たちがぽかんとしていると、リスティアの母はそっと微笑んだ。


「ハルちゃん、遅くなってごめんなさいね。怖かったでしょう?」


「いえ……大丈夫です。リーちゃんたちがいてくれたので、すごく心強くて」


ぶんぶんと首を横に振るハルニーアに、こちらが恐縮してしまう。


「ハルちゃん、あの人、何? 私、似たようなの知ってるけど……」


リスティアが眉をひそめると、ハルニーアはわずかに(うなず)いて言った。


「デモンズエステートって会社。精霊様の力を使って土地開発したいんだって……。みんなは反対してるんだけど」


その言葉に、ゼファスとリスティアが視線を交わす。


「邪神カンパニー系列か……。どうやら強引なビジネスはここでも健在のようだな」


ゼファスが静かに(つぶや)く。


そのとき、ミレーヌが小さな声で問いかけてきた。


「あの……私、もしかして余計なことをしてしまいましたか? あとで、皆さんが困るようなことになったら……」


その声には、珍しく配慮の色があった。

だが、刃物を抜いた時点でアウトだろうな……。


すると、リスティアの母が、まるで聖母のような微笑みでミレーヌを見つめ、優しく言った。


「斬っちゃっても大丈夫だったのよ? 証拠が残らないように、ちゃんと治せるから」


……それを“大丈夫”とは言わないだろう。


あの男が妙にビビっていた理由が、なんとなく分かった気がした。


「次にまた来たら、すぐに連絡してね〜」


そう言い残して、母は鼻歌まじりに帰っていった。


さすが、凄腕の精霊契約術師とリスティアが言うだけはある。


あのゴロツキのような男を、にこやかに追い払ってしまうとは。


俺は黙って、その背中を見送った。


そして、気を取り直したハルニーアに招かれて、精霊を祀る社の中へと足を踏み入れる。


***


社の中に入り、精霊に挨拶──

とはいえ俺にできるのは、水晶球の前で静かに手を合わせるくらいのことだった。


一方で、リスティアは慣れた様子で、出された麦茶を飲みながら水晶球を前に談笑を始めていた。

契約術師である彼女にとっては、これも日常のひとつなのだろう。


やがて会話を終えたリスティアがこちらを振り返り、状況を説明してくれる。


「例の不動産会社、精霊さんの力を使って、ここに大型の複合施設を建てたいんだって。

ショッピングセンターに映画館、グルメに温浴施設まで──盛りだくさんだね~」


田舎にド派手な商業施設。

発想としては、この世界でも定番らしい。


正直、それはそれで便利そうにも思えた。

田舎暮らしには不便も多いだろうし、生活の質が上がるなら歓迎されるんじゃないか──そんなふうに考えかけたが、


ハルニーアの返答は、少し意外だった。


「今は自動配送の魔導ギアもありますし、娯楽は精霊ネットで観られますから……。

不便だと感じることは、特にないんです」


なるほど、進んでいるんだな。


彼女は続けて静かに言った。


「精霊様は土地の作物を見守ってくれて、私たちはその恵みで穏やかに暮らしています。

だから、無理な開発が良いことなのかどうか……」


その言葉には、思わず頷かされるものがあった。

スローライフ──俺にはまだその境地は遠いが、心惹かれる響きはある。


「……でも、リーちゃんみたいに“田舎は退屈”って飛び出していく子もいるんですけどね」


リスティアは照れくさそうに肩をすぼめた。


──まあ、その気持ちは分かる。


けれど、俺は考える。


(経済性と開発か……)


俺たちが進めようとしているのも、エルンハルト領の産業再生だ。

だが、地域の声を無視し、“儲かる”だけの開発に成り下がったら──それは、俺が目指す未来じゃない。


この村の空気、エルフたちの暮らしぶり──

そのすべてが、俺の中にひとつの指標を刻んでいた。


しかし……。

エルフの里の問題は気がかりだが、今の俺たちにはやるべきことがある。


幸い、リスティアの話では連中が狙っている土地は自治会の管理下にあり、簡単には手が出せないという。

何より、あの“母”がいる。


なら、俺たちにできることは──ないのか?


そう思った矢先、水晶球がふわりと淡く光った。

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