第13話 禍根の断絶
レイラは、アリサにあの話をした時点で、ある程度のリスクは覚悟していた。
だが──この展開は、正直予想よりも早すぎた。
彼女のオフィスを訪ねてきたのは、王都騎士団のベアトリス。
強力な権威型精霊共鳴の波動を放つ者として、かつてWSO内でも密かに注目されていた人物。
その名を耳にしたことはあったが、まさか実際にここへ来るとは。
そして、ミレーヌ。
レイラはいつも通りの快活な笑みで二人を迎え、応接ソファーへと通す。
向かい合って座る二人を見ながら、レイラは思考を巡らせる。
──さて、どう出るつもりなのか。
アリサには口止めなどしていない。
むしろ、彼女を通じて精霊共鳴の灯が広がり、志ある者が立ち上がる──
そんな可能性すら期待していた。
だから、情報が漏れたこと自体は想定の範囲内。
問題は、ベアトリスという人物が、どのように動くか、だ。
沈黙を破ったのは、ミレーヌだった。
「最初に言っておきます。私たちは“敵”ではありません。
……少なくとも、あなたがアリサに語った話は、私に立ち上がる力をくれました」
レイラの眉が、わずかに動いた。
「立ち上がる」──そう言った。
それは、王国の体制に“抗う”という意味にもとれる言葉。
裏表がなさすぎるアリサとは違う。
このミレーヌの言葉を、どこまで信じていいものか……。
次に口を開いたのは、ベアトリスだった。
「あなたがアリサさんに語った情報……。
私の知る内容と一致しています。嘘を吹聴していないことはわかりました。
ただ、それを知る者は、王国上層部でもごく一部です」
レイラの目と、ベアトリスのまなざしが交差する。
「どうしてそれを知っているのか。
そして、なぜ、それをアリサさんに語ったのか──。
考えられる可能性は、限られています」
──ここまで見抜かれているのなら。
下手な言い逃れは逆効果だ。
レイラは、笑みを崩さぬまま肩をすくめた。
「……ご想像の範囲内、かもしれませんね。
それで? 王都騎士団のベアトリスさんが、直々にお越しになるなんて……なんだか、怖いです」
アリサには希望を託した。
あの危なっかしい子を、もう少し見守りたかったが──
彼女には、精霊がついている。
調査文書も、信頼できる場所に預けてある。
まだ不完全ではあるが、誰かが引き継いでくれるはずだ。
──覚悟は、とっくにできている。
だが──。
「その、調査ですが。協力させていただけませんか?」
ベアトリスの言葉は、レイラの予想を外れていた。
「……契約労働者の、ですか? 騎士団が?」
「正確には、“騎士団”ではなく私個人として、です」
ベアトリスはふっと微笑んだ。
「私が知る限りのことは、すべてお伝えします。どうぞ公表してください。
……それが、この国の未来のためなら」
レイラが目を伏せ、しばし黙考する。
その様子を見届けて、ベアトリスは続けた。
「この国の崩壊をどこかで止めなければ、取り返しがつかなくなる。
私は、WSO(世界精霊機関)との関係改善を進めたいのです。
国の上層部を説得し、必要なら戦います」
その言葉は──王都騎士団の幹部としては、決して軽々しく言えるものではない。
「ただ、一つだけお願いがあります」
ベアトリスの瞳が、真っ直ぐレイラを射抜く。
「腐敗は、私が正します──次の時代に、禍根を残さぬように。
WSOの追及は、そこまでにしていただきたいのです」
そこまで言い切るとは……。
レイラは、ふっと表情を緩めた。
「どこまで、私のことを調べているんですか?」
「いえ、何も」
ベアトリスは、さらりと答える。
「ただ、騎士団も一枚岩ではありません。
あなたの身辺が本格的に調査されれば、非常に危うい事態になるでしょう。
できれば、私の保護下に入っていただきたいのですが」
レイラが小首をかしげる。
「保護下……ですか。
申し出はありがたいのですが、私にもいろいろ事情がありますので」
気がかりなことが多すぎた。
ここで王国の調査が制限されるのは困る。
そこにミレーヌが口を挟む。
「別に、軟禁しようってわけじゃありませんよ。活動はどうぞご自由に。
でも、あなたに万が一があっては困るんです。
……私が、守りますから」
レイラが少し怪訝そうに目を細めると、ミレーヌはどんと胸を叩いた。
「特別任務ってことで、騎士団にも届出してますから!」
ベアトリスが、小さく息を吐く。
「ごめんなさいね。この子、言い出したら聞かなくて……。
私との連絡係として、そばに置いていただけないかしら」
レイラは肩をすくめた。
「私一人でも平気なんですけどね。
でも、それが条件なら仕方ありません。正直、ベアトリスさんに協力していただけるのは心強いです」
そう言って、ジャケットの懐から白いカードを取り出す。
二人の視線が自然と吸い寄せられる。
レイラが指でカードの表面をなぞると、淡く文字が浮かび上がった。
「私以外には反応しないよう、魔法で保護されています」
そこに刻まれていたのは──
国際精霊・人権機構(ISHURA)
International Spirit and Human Rights Agency
「ご推察のとおり、WSO系列の組織です。
契約労働者……つまりこの国の“奴隷労働”の調査を行っています。
あなた方が、内部からこの国の実態を明るみに出そうとしているのなら──
私も、次代のために協力しましょう」
そう言って、レイラはこれまでに得られた調査結果を語り始めた。
ミレーヌの顔色がみるみる青ざめ、膝の上で拳を握りしめる。
契約労働者の多重債務構造、過酷な労働環境……。
王都貴族の家に生まれ、何不自由なく育った彼女の生活を支えていたのは、何千、何万という名もなき嘆きの声だったのだ。
アリサの言葉が、ふいに脳裏に蘇る。
「──この国を変えたいと思っています。外国に対しても胸を張れる国に」
その通りだ。変えなくてはならない。
けれど、私の進む道はアリサとは違う。
これは、信念と信念とをかけた戦いでもある。
──時代をつくるのは、ベアトリスであるべきなのだ。
静かな空気の中、レイラの声が続いた。
「ひとつ、どうにも解明できないのが“魔力印”と呼ばれるものです。
契約術式の一種とは思いますが、WSOの登録術式とは一致せず、類似例も見つかりません。
しかも、これほど多く、広く普及しているとなると──
中位以上の精霊が関与している可能性が高いのですが……」
ベアトリスは、唇に人差し指の背を添えて考え込む。
「“魔力印”のことは……私にも分かりません。
高度な情報隠蔽がなされているようで、王都の上級貴族でさえ掴めていないのが実情です」
そう前置きしたあと、彼女は小さく息を吐いた。
「この国は形式上こそ王政ですが──
実際に国王陛下が政務を直接執ることは、ほとんどありません。
まず五人の大臣に意見や陳情が上がり、そこで取捨選択されたうえで、“国王主催”という建前のもと、議会にかけられる仕組みです」
ひと呼吸おいて、静かに続ける。
「……つまり、国王の御前には、常にワンクッションが置かれている。
政治の実権は、建前とは裏腹に、大臣たちの手中にあるということです」
「そして、その大臣たちに利権が集中する──」
レイラが静かに相槌を打つと、ベアトリスは目を細めてうなずいた。
「……ええ。
マルセル総務大臣──そして、その盟友にして経済協議会の理事でもあるヴァルト卿。“魔力印”の謎は……おそらく、彼らの掌の内にあるのでしょう」
ベアトリスはまっすぐ前を見据え、静かに決意を口にする。
「ヴァルト卿に近いのは、騎士団団長・ガーランド。
私は、まず彼と向き合わねばなりません。
そして彼は、ライネルさんの件にも納得していないはず……。
強硬策に出られる前に、彼の身の安全を確保する必要があります。しかし──」
ベアトリスの声音が、わずかに苦みを帯びる。
魔力印で縛られたライネルは、常に監視の網の中にいる。
その彼を守るのは、決して容易ではない。
考え込む彼女に、レイラが小さく息をつく。
──こうなっては、隠していても仕方がない。
「……義賊、ホワイト盗賊団。
どういう仕組みかは分かりませんが、彼らは“魔力印”を無効化できるようです。協力を仰ぎましょう」
「WSO関係者が、盗賊団と?」
ベアトリスの眉がぴくりと動く。
「この王国で活動するには、綺麗事だけでは通用しませんからね」
レイラはわずかに肩をすくめると、どこか開き直ったような微笑を浮かべた。
──と、そこに。
「わかりましたっ!!」
突如響いたミレーヌの大声に、ベアトリスとレイラの肩が同時にビクリと跳ねる。
「そのホワイト盗賊団のところに行きましょう!
善は急げ、ですから!」
勢いよく立ち上がるミレーヌの瞳は、やる気に満ちている。
レイラは、わずかに口元をゆがめながら、困ったような視線をベアトリスに向けた。
そこには、静かに首を横に振るベアトリスの姿があった。