第12話 決着と始まり
精霊の加護を受けた「真亜」と呼ばれる進化種は、その素材だけで莫大な価値を持つ。
だが残されたのは、脚と、尾と、首から先だけだった。
いや、素材がどうこうなんかよりも……。
それより──助かった……。
あの黒いドラゴンが放とうとしていた魔法。
あれは、どう足掻いても避けようがなかった。
いまでも身体にまとわりつく殺気に、カレンの背中を冷たい汗が伝う。
膝から崩れ落ちた。
百戦錬磨のカレンですら、この戦いには尋常ではない緊張を強いられていたのだ。
「おねえさん、大丈夫?」
不意にかけられた声に、カレンは顔を上げる。
灰色の大きな瞳と視線が合わさる。
そこには、まだあどけなさの残る少女の笑顔があった。
──間違いない。
さっきまで、聞こえていた声と同じだった。
「……助かったよ。ゴーレム」
ぽつりと呟いたカレンに、
「ユリィです!」と、元気な声が返ってきた。
少女は満面の笑みで、自分の後ろにある黒い鎧を指差す。
「ゴーレムはあっち。私はユリィ。よろしく!」
カレンは驚いたように目を見開いたあと、
ふっと、頬をゆるませた。
そのとき、駆け寄ってくる足音が響いた。
レオン、グロック、鉄仮面──そしてコリンの姿が見えた。
***
ゴーレムは、帰還に必要なエネルギーを使い果たしていた。
俺は、映像が途切れたモニターを黙って見つめ、深く息を吐いた。
エネルギー切れの直前──
黒いドラゴンの姿が掻き消え、生体反応も完全に途絶えたのを確認していた。
……なら、大丈夫だろう。
討伐隊が現地にいるなら、もう心配はない。
だが、そんな俺の安堵をよそに──
ライナは苛立ちを隠そうともせず、白衣の胸ポケットに挿していたボールペンを噛んでいた。
「ユリィ、全部使い切るなんて……無茶にもほどがある」
俺はライナを安心させようと、声をかける。
「大丈夫だって。うちの連中がついてる。ユリィのことも、ちゃんと保護してくれるさ」
だがライナは、キッと睨み返してきた。
「ゴリラの手下の男なんて、絶対ユリィをいやらしい目で見るに決まってるでしょう!」
……そっちかよ。
過保護すぎるのも、どうかと思うぞ。
ライナは、ボールペンをバキンと噛み砕く。
少し冷静になったのか、今度はティナに向き直った。
「インカムの通信はまだ生きてるでしょ?
ユリィに伝えて。リスティアに精霊エネルギーを補充してもらうようにね」
こうして、ゴーレムの試運転は“帰還フェーズ”へと移った。
リスティアとの連絡がつくと、彼女はすぐに小型精霊炉へ、下位精霊からのエネルギー補充を開始。
だが、どうやら一回だけでは必要量をまかなえないらしく──
途中補給のために、リスティア自身が飛行魔法で並走してくれることになった。
そして、エルンハルト領に営業担当として訪れていたリリカはというと……。
突如現れたユリィの姿を見て、たっぷりと説教を開始。
インカム越しに、ライナに向かって「何考えとるっちゃ!!」と怒鳴り声が響いていた。
***
「それじゃあ、ユリィ。まっすぐ、寄り道せんで帰るんよ?」
リリカが、ゴーレムを装着したユリィに念を押す。
「もー、分かったってば……」
げんなりした声が返ってくる。
どうやら、リリカにはユリィもライナも逆らえないらしい。
そこへ、見送りに来ていたひとりから声が飛んだ。
「今回はあんたの手柄だけど……素材は、本当にいいのかい?」
カレンだった。
「あ、大丈夫です。帰るのに必要な分はもらったから!」
──ドラゴンの鱗1枚でも、非常に貴重だ。
下位精霊への対価としては、それで十分すぎるほどらしい。
「そうかい。……にしても、こんな魔導ギアがあるなんて。
そのうち、冒険者なんて商売も廃業かもしれないね」
豪快に笑うカレンに、ユリィも弾んだ声で返す。
「おねえさんみたいなカッコいい戦い方、誰にもできないよ!
今度は一緒に冒険しようね!」
カレンは「ああ、いつでも」と穏やかに答える。
だが次の瞬間──その瞳が鋭く細められた。
「……あの黒いドラゴンから出ていた精霊の気配。心当たりがある。
帰ったら、1億……いや、団長に伝えておくれ」
そう言って、傍らの元ブラック冒険者ギルドA級・レオンとグロックに視線をやる。
「こいつらも取り込まれる寸前だったからね。
ブラック冒険者ギルド。そこに、手がかりがあるはずさ。……あれを、野放しにしちゃいけない」
ユリィのそばで話を聞いていたリスティアの顔色が変わる。
WSO指名手配の黒い精霊──それが、王国内に潜んでいた。
だが、思わぬ情報を得た。
この件は、ただちにWSOへ報告すべきだろう。
「ユリィ、少し急ごうか」リスティアが促す。
ユリィが頷き、振り向くと──コリンが声をかけた。
「ゴーレム……ありがとう」
たった一言。だが、確かな思いがこもっていた。
「……うん。精霊戦士は、困ってる人の味方だからね! それじゃ!」
ゴーレムの光学迷彩が起動する。
みるみるうちに周囲の風景へと溶け込み……最後には、衝撃波だけが残った。
風が止み、コリンがぽつりと呟く。
「カレンさん……」
その瞳には、強い決意が宿っていた。
「リリカさんに聞いたんです。
あのゴーレムは、誰でも操れるわけじゃないって。
ユリィさん、以前に事故で命を落としかけたことがあったって」
それは、降って湧いた力なんかじゃない。
彼女が、自分の意志で──本気でつかみ取ったものだ。
「……だから分かりました。
あのとき僕は、自分を奮い立たせれば、“奇跡”が起きてくれるって……どこかで、都合よく思ってたんです」
コリンは、拳をぎゅっと握りしめ、カレンを真正面から見据える。
「でも、そんなんじゃダメだった。
今は、夢がどれだけ遠いか──はっきり分かった。
何をすればいいかも、ちゃんと」
──ひとつ呼吸。
自分はカレンに師事していたつもりだったが、それはただの“憧れ”に過ぎなかった。
そこから、一歩を踏み出さなくてはならない。
「カレンさんの背中……ただ“見る”んじゃなくて、いつか“並びたい”んです。
ドラゴンバスターとして!」
カレンは、その視線を真っすぐ受け止め、少しだけ照れくさそうに笑った。
「……それでこそ、冒険者だね。
よし、これからはあたしのこと──“アネゴ”って呼びな。
お前らも、後輩に負けんじゃないよ!」
そう言って、レオンとグロックの背中をバシンと叩く。
すると──
「……あ、じゃあ僕も」
鉄仮面が、その場のノリでしれっと紛れ込もうとしていた。
***
俺は、ユリィとリスティアからもたらされた情報に、言葉を失った。
──エステルに取り憑いていた、あのおぞましい精霊が、ブラック冒険者ギルドに関わっている……だと?
リスティアは、すぐにでもWSOへ報告すると言っていた。
それが正しい判断だろう。
だが──王国とWSO、両者の関係はきわめて険悪だ。
それは裏を返せば、WSOの捜査網が届かない国といえる。
……あの精霊も、その“抜け道”を理解している。
「やっぱり、WSOとの関係改善は急務だな。リスティア、すぐに動こう」
精霊炉ビジネスの本格始動に加え、WSOを訪れる理由がもう一つ増えた。
それは──敵討ちなんてもんじゃない。
あの黒い精霊を、なんとかする。それが、きっとエステルの望みだ。
そして、アリサを同じ目に遭わせるわけにはいかない。
「……あれの相手は、俺がやる」
決意を固めた俺に、声がかかった。
「WSO本部に行くのか?」
ドラン……そういや、ずっとここにいたな。
あの騒ぎの最中も寝ていたが。
「最近、国境警備隊の動きも活発になってきていてな。
出発は急いだほうがいいだろうな。なんだかきな臭いぜ」
王国内部の動きもいろいろありそうだな。
──あまり時間をかけていられそうにない。
俺はリスティアはドワーフ商工会を出ると、準備のために砦へと急ぐことにした。